3.神殿跡地




 ぼうっと揺らめく蜜蝋の火を囲み、車座になる。扉は直せなかったので、長椅子を風除けにしたが、吹き込む風のせいで少々寒い。

 鋭い歯をがちりがちりと打ちながら顎を撫でる少女、その横には大剣を抱えて胡坐をかくアルテムが火を眺めている。


 夜はまだ明けない。

 少女は白い髪を少し弄ったあと、ふっと息を吐いた。短く刈り揃えられたのは、衛生のためだとアルテムが処理したためらしい。こちらの話は終えたが、彼女はまだ名乗らない。


「ま、助かったよ、ダンナがた」

「あー、カザリがいなきゃ気付かなかった、礼ならこっちにな」

「ぼ、ぼくはな、何もしてない」

「ま、どっちでもいいさね、恩人にはかわりない」


 口元を寂し気に撫でる。煙草でも探しすように着ている貫頭衣をごそごそするが、着替えさせられたためか、何もない。


「ここにあるぞ」


 アルテムが立ち上がり、先ほどとは別の椅子、その長櫃を開いた。


「悪いが、血で汚れたもんは捨てたぞ、瘴気が出るからな」

「まあ、しゃあなし。あるだけいいって」


 長櫃からいくつか取り出す。黒い杖と白い短刀、小瓶を数本、確認していく。小瓶はほとんど空だが、一本だけ中身がしっかりと詰まっている。それはチラチラと輝く砂のようなものだ。まじないの道具か、なにかだろうか。

 砂のようなものをじいっと見て呻く。


「やっぱり、“螺旋の夜”かよ」

「何か、知ってる、の?」


 顎を撫でてふぅんっと鼻を鳴らす。


「そうさね、ここは世界の狭間、あるいは裏。忘れられたものが蠢き、歩き出す在るべきではない場所」


 朗々と語り部のように呪い師は語る。


「日は決して上らず、淀みの中で揺蕩い、積み重なるだけの地だ」

「迷い込んだ、のか、また」


 アルテムが静かに大剣を握る。それに笑いかけながら、呪い師は答える。


「神官さん、アンタ、経験者かい。だがさ、ここは夜が明ければ、戻れるような近い幽世じゃあない。決して太陽なき“螺旋の夜”だ」

「なんだそりゃ、聞いたことねぇぞ」

「知ってる奴はまず帰ってこないからな」


 へっと笑う。それはどちらかといえば少年めいていた。弱々しい様子がないのは良いことだが、内容は不吉だった。

 か細い声がカザリから自然に漏れた。


「帰れない」

「だが、帰ってきた奴もいるし手段はある。そもそもこいつは階段だ。深淵に潜り、その力を得るために螺旋の道があるのさ。下りがあれば上りがある、とはいえ」


 わしゃりと頭をかいて、眉根を寄せた。


「その戻り方とかはな、その夜によって違う、らしい。だから、まあ、調べなきゃならんがな。幸い伝手はある……」


 短刀を抜く。白い骨でできた刀身、一見もろそうな刃で石畳を抉る。そうして蜜蝋のまわりに奇怪な文様を描いた。文様は静かに青白く輝く。

 同時にがあんがあんと、鐘が鳴り響く。この神殿は鐘がある様式ではないから、別の場所にあるのだろう。鐘の音が終わると、紋様は光を失っていく。


「あぎ」


 すると入口から奇妙な声がした。ぎぃぎぃと木が軋むような物音を立てて、外から大きな人影が入り込んだ。緑色の肌をした巨躯が柄を付けた大袋を背負っている。ぬっと伸びた顔半分をしめる太く長い鼻、やたら大きく雑然と並んだ歯、その隙間からひゅーひゅーと吐息を漏らしていた。

 アルテムとカザリはあっけにとられたまま、目を見開いていた。


「ぎぃ」


 こちらを見下ろす眼はべったりとした黄色で、白目がほとんどない。その巨躯は長椅子の一つに座り込んで、大袋をどさりと置いた。


「夜渡りしたい、一式あるかい?」

「ぎひ、ぎぃ。あぎあぎぎ」


 くつくつと笑いながら、疱瘡の後が残る節くれた手で大袋に手を突っ込んだ。取り出したのは、やたら大きな天秤ばかりだ。その皿の上に衣服らしきものをどさりと載せた。

 呪い師は顔を寄せて、衣服をじろりと見た。目を細め、片眉を上げる。


「ん゛むー」

「ぎぎ」

「分かってる」


 唸り声のような言葉が分かるらしい。呪い師は細く白い指を伸ばして、小瓶を持ち上げた。ちらちらと光る砂粒を少しづつ、天秤のもう一方の皿に落としていく。小さな砂粒であるのに、だんだんとそれが釣り合っていく。


「こいつぁ、随分……」

「ぎ」


 そして、釣り合うと緑色の巨躯が大鼻をひくひくさせて笑った。渋い顔をしながら呪い師が衣服を取ると、商人は似たような小瓶を取り出す。小瓶がわずかに震えると砂がさらりさらりと吸い込まれていく。


「がが」


 上機嫌にのっそりと立ち上がる。その砂を一つまみ取り出した。そして、破壊されて転がっている扉の方にふっと、吹きかける。


「いぎいぎ」


 そうしてから、くいくいと手繰るように指を動かす。なにかの呪いで、扉が浮き上がった。時が逆巻くようにバラバラだった扉が組み立てられて、曲がった蝶番の歪みが戻る。そして閂が元通りにがちんとしまった。

 彼は満足するとその巨躯をどさりと長椅子に落とした。


「あぎ」

「おお、喜べ。このトロルが居ついてくれるってさ」


 軽い様子で、車座に再び戻ってきた。それにアルテムは額を軽くたたいた。カザリもぽかんとした口を締める。


「あの、まず、なにがどうなっているの」


 その問いかけにあー、と困ったような顔で顎を撫でた。


「この妖魔はトロルの商人でな、ちょいとうちの部族と付き合いがあるんだ。トロルは夜の魔物だが、まあ交渉できるほうだ」

「そいつに道具を頼んだ、と」

「そうそう、そんだけさ。で、彼はな。儲かると踏んだらしくな、ここで商売するってさ。扉を直してくれたのは、買い物のおまけだとさ」

「あがあが」


 呪い師の言葉は分かるらしく、こちらに手をひらひらと動かす。手が動くたびに苔の匂いが広がった。森の湿った暗い匂いだ。


「大分、気に入られたみたいだな、アンタら。土臭いせいか」

「はあ」


 褒められているかよくわからないので、カザリはぼんやりと返す。アルテムも頭を逸らして、天を仰ぐ。

 それもわずかな間だけだ。下に引いたマットを直して、胡坐を組む。


「まあ、補給があるのはいい。食いもんだって有限だ。んで、どの程度で出られると思う?」

「わかんねぇー、まあ、トロルが儲かると踏んだんだ、一年か二年か。あるいはもっとかかる」

「まじかよ」


 頭を抱える神官は、かなり参ったような声を上げた。あれほど強い人もあんなにも顔をゆがめて、辛そうな顔をしている。彼には待ち人がいるのだろう。自分とは違うのだ。父母はもういないし、住んだ土地はすでに叔父のものだ。

 だが、呪い師はにたりと笑う。


「安心しろ、外とは時間が違う。どんなに長くても外ならたった一夜のことさ」

「むーん、それならまあ、ギリいけるか」


 神官は子供っぽい唸りを上げて、指で数を数え始めた。傭兵やっている神官だけあって、どこか変な人だ。


「へっ、女かい」

「そうだよ、だからヤバいんだよ」


 からかう様子にアルテムは動じず返す。それに詰まらなそうに唇をすぼめると呪い師は鼻息を荒く吐き散らした。なんとか、この神官をやり込めようと思考を凝らしているが、それは困る。


「あの、これから、どうすれば、いいの」

「おお、ああ。そうだったな、そうだったな」


 忘れてたとばかり、ほいっとトロルから買った服を押し付けてきた。銀を縫い込んだ立派なもので、貴族の服だと見まがうものだ。


「これを着れば、外に行ける。探索してもらうぜ、ダンナ」

「カザリに、か?」


 自分が行くべきだとばかり、アルテムは片膝を立てる。こめかみをぐりぐりと回して、こちらを見ている。実際、彼ならば先ほどの怪物とまともに戦えていた。


「とっても強い神官様よぉ、目立ちすぎんだよ。アンタから湧いてる霊気はな、まぶしくて仕方ないからな。戦う相手としちゃあ、相性はいい。だがよ、アンタそれじゃ、誘蛾灯みてえなもんさ、教会の外にいってみろ。数に食い物にされるぜ」

「それは厳しい。なんとか、ならんのか?」


 少女は肩をすくめた。


「心当たりはあるが、手持ちにゃあないね。仮にそいつを買うとしたら、まあ時砂は瓶じゃなくて樽が必要になるな」


 呪い師は大仰に言いきった。もう一言口を開こうとするアルテムに大きく首を振った。彼女は笑わなかった。神官は諦めたように天井へと視線を上げた。それで、ようやく息を吐き出して、呪い師は服を指す。


「だからさ、カザリのダンナにやってもらうしかねぇ。あたしは、大分弱っちまったし、この夜はちょいとまずいんでね。髪も切られちまったから、蓄えた魔力も呪いもねぇしさ」


 色が引き抜かれたように白い髪を呪い師はくるくると弄る。短く少年のように切りそろえられた形は良く似合っているが、女性としては不満が残るだろう。アルテムは眉を寄せて、申し訳なさそうに声を絞った。


「悪かった」

「まあ、呪詛が染み込みすぎたんじゃろ。呪いごと、魔力ごと、髪を切らにゃあ、奇跡の治癒も弾いちまう。しゃあない、しゃあない」


 軽い口調でそれを受け流すと唇をするりと撫でた。そうしてぎざぎざした歯を剥いてから呪い師は笑う。


「そうだ、神官さん、気をつけなよ。アンタ、夜の連中にはうまい餌に見えるぞ。なんつっても加工しやすいしな」

「加工って、おい」


 アルテムは下唇を歪めて、唸る。その手に向けて、砂の小瓶を放った。


「ほいよ、こいつはな。時砂つってな。遺灰だの遺骨だのをまじないで覆ったものだ。清い者、聖者や戦士の遺灰なら、なお具合がいい」

「おいおい」

「魂はもうここにはないさ。ただ、魂の器、記憶するものとしての力はある。世界は記憶で出来ている。特に時ですら不安定な“螺旋の夜”ではな」


 男二人で顔を突き合わせて、その砂のきらめきを間の抜けた声を漏らしながらしばらく眺めた。

 呪い師はひょいと小瓶を奪い去り、胡坐をかいた股の間に置いた。カザリもアルテムも、隙間から見える白い肌から視線を逸らした。


「初心だね、アンタら」


 ゲラゲラと色気を消す笑いを放ってから、呪い師は話を続けた。


「んでよ、空になった魂の器ってのは、世界の記憶に介入して、時を操り、空間を渡る力がある。できる限界はあるが、トロルがやったくらいのことは人間でもできるさ。大分、消費がでかいがな」


 つられて扉の方へと顔を向けた。ばらばらの板切れにされていた扉が元に戻っている。


「んで、さっきも見てたろ、こいつは金の代わりになる。外にいったらできる限り、集めてこい」


 衣装の革ベルトを奪うと、中身の入った小瓶や空の小瓶を差してから手渡してきた。


「カザリのダンナ、アンタさんがあたしらの命を握ってる、アンタはなんの縁故もないのに夜の世界に入れた。おそらく、この世界に一番に適正がある」

「わかった、やる」


 静かに、端的にカザリは答えた。他に選択肢もない。怯えは足に残っている。だが、いつものように心地よい闇の中で、朝を待ち続けることはできないのだ。

 銀糸の服を握りしめて、二人の顔を見つめた。


「必ず、帰ろう」


 何より、今は一人で死ぬことはないのだ。誰にも覚えられず消えることはない。それが強く、カザリの背を押してくれた。




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