2.死肉接ぎ




 アルテムが予備のロウソクに再び火を灯した。顔色が良くないのは、体力の消耗ではなく思考が疲れてきたようだ。蜜蝋で作られたロウソクはすでに三本目だ。太く長い蝋燭ならば一本で一夜の明かりとなる。それが二本も燃え尽きているのに、礼拝堂の小窓からは日差しは見えず、夜の闇が深々と見えるだけだ。


「どうなってんだ、夜が明けねぇ……」


 がりがりと頭をひっかき、礼拝堂の内をぐるぐると回る。そうしてから、外に繋がる扉、その閂に手をかけて、ふと止まる。固い音とともに柔らかな光が彼の胸元からあふれた。


 カザリはぎょっとしなから神官を見つめた。神官も思わず、くるりと立ち戻る。

 唸りながら胸元の強く輝くものを握った。銀で出来た菱形の聖印だ。細やかな意匠がされていて、金の蔦が伸びていた。扉から離れていくと、しばらくの明滅の後、すっと光は散っていった。

 そうしてから、神官はふっと息を吐いた。


「ぜってぇー、やべえよなあ」


 見えたのは苦い者を食んだ後のような顔だった。それをついっとカザリに向けて静かに、動けるか、と問いかけた。カザリが静かに頷いて、立ち上がる。くらりとはするが、寝起きの感覚だから、問題はない。


 そして、ぼろぼろの長椅子に手を掛けた。それは長櫃になっているようで、開くと中には武具がざらりと押し込められていた。鎧もあるが、アルテムは身に着けずその下に保管してある大剣を握った。

 鞘から引き抜くとわずかに霧のようなもやが広がり、辺りを白く染めては消えていく。剣は灯火とかかわりなく白い輝きを放っており、聖別されたものだとカザリにも理解できた。


「大剣を使ったことは?」

「ない、です」

「分かった、待ってろ」


 静かに言い切ると槍を一本、長櫃から引き出した。胸のあたりまでしかない短いものだった。それでも柄は硬い胡桃の木材で出来たもので、明らかに使い捨てのものではない。石突だけやたら新しいから、短くなった長槍を再加工したものだろう。

 アルテムは白い布を長櫃から一枚、取り出した。そうしてから槍の刃を左手で握り、自ら血を流し始めた。無造作で、痛そうでもない。そして、あまりにも手慣れた様子で、カザリの理解が追い付かない。

 気にもせずにアルテムはその血を布に染み込ませてから、槍の穂に結び付けた。すると赤黒く染まった布が、薄く輝いているのが分かった。


「よし、お守りだ、持ってろ」


 ずいっと押し付けるように渡す。戸惑ったままカザリが受け取ると、笑いかけながら手をパンパンとホコリでも払うように打ち合った。怪我した掌からはすでに血が止まり、怪我の後もなくなっている。

 奇跡の類を無造作に起こす。驚きと同時に、納得もあった。だからこそアルテムは自分たちを助けられたのだろう。


「外を見てくる。何かあったらその子を守れ。いいな」


 神官は大剣を握ったまま、今一度扉に近づこうとする。刃からちらりちらりと光が漏れては薄暗い礼拝堂に軌跡を作った。光を曳く、ゆったりと落ち着いた足取りは戦士のものだ。

 それをガンっという音が押しとどめる。礼拝堂の扉をがりがりと何かが引っ掻き、その後力づくで開けようと、猛然と叩く音が響いた。めきりめきりと音を立てて軋みを上げる扉、一度、それが途絶えた。静寂がしんっと広がった。


 アルテムが緊張のままぐっと腰を落とし、大剣を構えた。同時に胸の聖印が輝くが、祈る暇もない。


 轟音と噴煙が広がり、冗談のように扉がはじけ飛んだ。閂の破片と蝶番の残骸が高い音と立てて転がり、跳ねた。巨大な金鎚が無造作に振り下ろされていた。人では、とても振り回せないだろう。


「こいつは、またくせえな」


 継ぎ接ぎだらけの巨人が這いずるように、礼拝堂へと入ってくる。顔面は腐敗した狼の骸骨を芯にして、いくつもの人間の死体を繋ぎ合わせて支えていた。肉体も獣と人を無茶苦茶に、合わせたようなもので人の皮をはじめ、豚や牛や犬、狼の毛皮が混ざっている。

 おおおん、おおおんと人間の声帯で不自然に吠えると無造作に金槌を振り上げていた。


 叫ぶ巨怪におびえて、脚が動かない。臭いが強い。そうだ、踏みつぶされて転がった時の臭い、死にかけた時感じた腐った血と肉のものだ。カザリはそれだけで倒れ込みそうになるが、眠っている少女がそれを押し留めた。

 一人で死にたくない。今だって、そうだ。ぎゅっとアルテムがくれた短い槍を握りしめた。ふうふぅっと荒い息を吐く。目を逸らさないだけでも、つらい。だが、それでも目を見開き、槍を構える。


 巨怪が腐肉を散らしながら、吠えるとアルテムに振りかぶった。見えない早さだった。積もった埃が舞い、長椅子が砕け散る。そして、硬い音とともに石畳が火花を上げた。


 アルテムはすでにいない。するりと抜けて、後ろを取っていた。いつの間に切ったのだろうか、怪物の左足が骨まで断ち切られていた。腐った粘性の血が流れて、切り離された肉体が塵となった。

 吠える怪物は振り向きざまに残った腕を無理やりに振るった。不自然な体勢だが、巨体が振るった鎚は人など易々と打ち砕くだろう。


「はいよッ!」


 神官は大剣一つで叩いて受け流す。絡まる蛇のような幻を見た気がした。怪物の金槌が悲鳴を上げて、火花を散らす。そのまま、勢い良く床をうがつ。そして、アルテムは金槌を足場にして流れるように首を断ち切った。

 切り飛ばされた頭が勢いよく、カザリの近くへと転がってきた。

 すぐ肉体の方は塵と化し、ばらばらと風に消えた。槌がごろんと倒れ込むが、それもまた幻のように消え去った。


「あんがい、脆いな、もっとやばい、かッ!?」


 安堵の声は戸惑いが飲み込んだ。ごろりと落ちた腐った狼頭から人間の死体がいくつも転がった。そいつらはのたうつように這いまわり、カザリと眠った少女へと近づいてくる。表情はないが飢えのまま歯を剥いている。


「ひっ!」


 短い声が呻きが、カザリから漏れた。悲鳴のような情けなさだが、今は後ろを押すものがいた。怯えてはいられない。


 自分で思うほど情けない体勢だが、それでもカザリは短槍で蠢く死体を貫き、滅ぼした。だがそれも先頭の一体だけだ。狼頭から、ぞろりぞろりと這い出して来る。不気味に腐った血をぬらぬらとこぼしながら、歯を剥く。瞳はなく、黒々とした穴だけが見えた。


「くそッ!」


 転身してアルテムが来るがそちらにも、死者が這いまわり近づいてくる。アルテムが踏みつけるだけで、灰と化す。

 だがカザリはそうはいかない。必死に槍を突き出しても、滅ぼせたのはもう一体だけだ。その後ろから抜けてきた死者に足を掴まれて、そのまま引きずり倒された。腐臭が、死が覆い被さる。足から噛みつかれて、肉がそげていくのが、分かる。

 喚くような悲鳴を上げながら、も短く持った槍でそいつの顔面を突く。打ち倒して、それが塵と変わるより早く何体も死体が覆いかぶさった。


 倒れて動くこともままならない。


 押し倒されて齧り取られながら、見たのは眠っている少女だ。それがもう一度、戦う気力を引き戻すが、気力だけで死者ははねのけられない。アルテムも間に合わない。彼女を助けられない。


「ご、めん」

「いや、わりいのはこっちだ」


 少女は顔の包帯を無理やりに引きちぎり、言い切った。傷の残る顔のまま、にいいっと笑うと獣めいた鋭い歯が剥き出しになる。琥珀色の目がぎらぎらと燃えるように輝いている。


「沼の墓碑、葬送の火よ、死出を開け」


 体を起こしきらず、包帯でばんと石床を叩く。黒々とした泥がぶわりと噴き上がり、そこから荒々しい炎があらわれて、爆発した。熱と炎が目の前に広がるが、熱くはない。ただただ暖かい。しかし、周りに張り付いた死者たちを無造作に、焼き滅ぼしていく。そのまま、狼の頭蓋にも火が広がる。火はあっさりと骨までも焼き切り、灰とした。


「目覚めの悪い、いやな夜だな。無事かい、ダンナ」


 頬をかく少女、問いかけに答えられない。ただ、呆然と頷くことしかできなかった。 




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