第1章 邂逅①


まだ完全に日が昇り切っていない正午前。

公園のベンチを占領し無防備に手足を伸ばして空を仰ぐ男がいた。

雲ひとつない青空が広がり、輝く日輪は冬の気配が近づいて寒くなってきた空気をほんの少しだけ暖めてくれているような気がする。


焦点の定まらない目でぼんやりと空を眺めるその男ーー長谷川幸は、公園の近所に設けられた交番に勤務する警察官だ。歳は27。育ての親の影響で年若いうちに警察学校に入学したまでは良かったものの、それほど優秀でなかったためか卒業が遅れ気付けば町の交番に勤務して早数年。キャリアとは程遠い人生を歩んでいた。


「……暇だ。暇すぎてつまんねー」


今日も口から出るのは不満ばかりだ。


かつては抱いていた夢も熱意も今では消え失せ、彼は近所でも有名な不良警官と呼ばれていた。

普通の会社員が昼食どきに外食に出るのと同じように、幸もまた日が昇り切る前に見廻りと称して外に出る。そうしてすぐ近所の公園のベンチにもたれかかって時間を潰す。

最近は公園で遊ばない子供が増えたおかげか、この時間帯の公園に人はあまり訪れない。だいたいいるのは公園脇にトラックを停めて車内で仮眠をとる中年のトラック運転手や、近くの工事現場で働く少しいかつい男たち。ときどき井戸端会議に花を咲かせる主婦達や騒ぐ場所を求めてやってきた大学生連中。しかしそれは非常に稀な光景だ。

平素、ここは公園だというのに余り楽しげな声は聞こえずに静まりかえっている。腕につけた時計の秒針まで聞こえる時があるほどだ。

そんな静かな情景の中に紛れ込み、頭の中を空っぽにして自分を空気のように思い込む。

それが彼の日課となっていた。


それほど大きな町でもないため事故もほとんどない。それがもちろん良いことで、平和が1番だとは彼も分かっている。

だけど時々虚しくなる。


自分の人生はいったい何のためにあるのかと。


「おっ、いたいたー!

 やっぱここにいたか、さぼり警官!」


底抜けに明るい声が幸の背後からかかる。『さぼり警官』と揶揄っているが調子のいい声音からは嫌味などは感じない。

幸は小さく笑って、背後に立つ男に声をかけた。


「おいおい、敬一郎。もう見つけに来たのかよ」


「お前が巡廻に行くなんか信じられるはずないだろー? 何かにつけてさぼる理由を探しているような奴、監視しておかないと駄目だよなぁ」


はにかんだ笑顔は少年のようで、空に昇る太陽さえも圧倒してしまうほどの輝きを放っていた。


木崎敬一郎。歳は28と幸よりもひとつ年上だが、この交番に配属されたのは幸より2年遅い立場上の後輩警官。

裏表のない性格で学生時代から上層部に気に入られるほど期待されていた有望株だったが、警察署内での勤務を断り地域により近いからとの理由で交番勤務を志願した変わり者だ。だが、今でもかつての上官からラブコールが届き、敬一郎は「町の人を守る義務がある」といって断り続けている。


そんな優秀な男が評判の悪い幸の下についている。そんな上下関係に当初の幸にとってはプライドを刺激され屈辱的にも感じていたが、過ごす時間が長ければ長いほど蟠りも融解していく。今では気を使う必要もない同僚兼友人となっていた。

だからこそ、このような揶揄いがあっても笑いあえる。


「うっせーよ。毎日、こんなに平和なのが悪い。

 大体、俺が警官になったのはこんな風にだらだらするためじゃねーんだよ。

 こう、なんてゆーの? ドラマみたいに『何時何分、犯人確保!』とかやってみたかったわけ」


「お前なぁ、それはマジでテレビの見すぎだろ。

 それが通用するのは現行逮捕の時だけで、実際には証拠集めるために足で稼いで散々こき使われるだけなんだ。平和が1番だぞ」


「どっかの少年探偵は365日事件に巻き込まれてるじゃねーか」


「あれこそフィクションだから許されるんだろ。俺はあんな風に事件ばかりのフィクションより、今みたいな平和な現実のほうがよっぽど好きだけどな」


「マジのレスポンスしてんなよ。分かってんだよ、それくらい」


自分に刑事としての素質はなかった。幸にとってその事実を納得させることがとても成し難く、随分と時間がかかってしまった。今ではもう心の整理を終えて諦めがついている。

諦めた結果がこの怠惰な交番勤めなのだ。


叶えられなかった夢や希望を憧れとして語るくらいは許してほしい。


敬一郎は眉根を少し顰めるが否定も肯定もしなかった。2人は同じ交番に勤める同僚だ。だからといって考え方は同じではない。敬一郎にとっては希望の配属先で満足ができる職場だが、幸にとってはそうでないことを彼は理解していたからだ。


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「懐中時計」 はね子 @haneko873

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