「懐中時計」
はね子
序章 もしもの話
ーーーーカチ、コチ、カチ、コチ
幕さえもないボロボロの手作り舞台。
舞台というよりはサーカス台といった方が良いかもしれない。
人1人立つのがやっとな大きさの円形台の上に、光の強すぎるスポットライトを浴びながら男が立っていた。
いや、正確に男なのかは分からない。
2メートル以上の背丈から男だと彼が思い込んでいるだけで、人間であるのかさえも怪しい。
逆光がそこにいる何者かの顔を隠して、少し離れた観客席に座る彼には見えていなかった。
ーーーーカチ、コチ、カチ、コチ
「もしもの話をしよう」
彼は舞台の側に作られた観客席に座っていた。
少ない数しか用意されていない席数なのに、彼以外には誰も客はいなかった。
気にしたそぶりもなく舞台上の『ソレ』は語り始めた。
「もしもの話をしよう。
目の前で親友と恋人が崖から落ちかけている。
1人を助ければ、もう1人は崖から落ちる。
どちらも助ける時間は残されていない。
崖の下は真っ暗で何も見えない。
君には選ぶ権利がある」
ガシャンと照明が下げられた音が響いた。
闇が周囲を支配する。彼は真っ暗な世界を見渡すが何も見えなかった。
パッと明かりがつくと、スポットライトはまた別の演者を明るく照らした。
彼にとってその演者の顔には見覚えがあった。
「親友を獲るか?」
『ソレ』の声が響く。
親友はいつものように笑いながら、観客席の彼に手を差し出した。
彼は思わず手を伸ばしかける。
ガシャン。
また照明が下げられた。
灯が再びつくと、今度は見覚えのない顔だが何故か懐かしくも感じる。
「それとも、恋人を獲るか」
そうだ、彼女は恋人だ。
何故その顔に見覚えがないと思ったのかがわからないまま、彼はまた手を伸ばそうとする。
ガシャン。
3度目の消灯。
伸ばしかけた手は行き場を失って宙を掴んだ。
「君は選ばなければいけない」
『ソレ』は相変わらず語りかけてくる。
ーーーーカチ、コチ、カチ、コチ……カチ。
スポットライトはまた『ソレ』を照らした。
『ソレ』の手には1つの時計が握られていた。
銀の懐中時計だ。
たが秒針が止まって時計としての役割は果たしていなかった。
「さて、君の答えはーーーー?」
彼は懐中時計を握りしめていた。
ただ、静かに、その文字盤を眺めながら……。
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