87 詐欺師は詐欺師でしかない

 ダイアナは拳に握りこんだ器械のスイッチを入れた。

 ぷしゅーっと少々マヌケな音を立ててたちまち拳の隙間から白い煙が勢いよく噴き出す。

 以前ダイアナがマフィアの車に拉致された時に彼女の靴に仕込まれていた催涙ガス発生器だ。


 あの時はダイアナもガスを吸って目やのどが大変なことになったが今回は準備をしてある。

 対し、ローザは無防備なところにガスを食らって悲鳴を上げる。

 ミケールは咄嗟に鼻と口を手で覆っている。


 チャンスだ。

 ダイアナはデイビッドの背後に移動し、手錠を引きちぎった。


 手首の痛みか、目やのどのそれかに呻くデイビッドをひっつかんで、窓へと放る。


 うわぁっと悲鳴が上がるがすぐに彼の体を柔らかいものが受け止める音が聞こえてきてダイアナはほっとした。


 ダイアナが壁を登り始めてすぐ、ジョルジュ達がマットをクレーンで釣り上げてデイビッド救出の準備をしてくれていたのだ。


 なんか、オレ最近男を窓に放ってばかりだな。

 考えるとおかしくて笑ってしまう。


 催涙ガスはそれほど量がないのですぐに止まった。

 ミケールは大きく呼吸をして回復してきつつあるが、間近で食らったローザは涙を流しながらダイアナを睨みつけている。


「あんた、よくも、こんな真似」


 鼻水にまみれた恨み言がローザの口から洩れた。


「オレがあんたの脅しにビビッて手を出さないと本気で思ってたのか?」


 ふふんと鼻で笑ってやる。


「本気だったさ!」


 ローザの強い声にもダイアナは「どうだか」と返した。


「見事な手際だね。よかったらなぜ彼女が人質に手を下さないとそこまで信じているのか、教えていただきたい」


 ようやく普通に呼吸ができるようになったのだろう、ミケールが平静を装って問いかけてくる。しかしまだ彼にも催涙ガスの影響が残っているのは一目瞭然だ。話を引き延ばしてもう少し回復しようという腹積もりだろう。


「簡単さ。彼女は良くも悪くも根っからの詐欺師だからだ。人を騙して金品を巻き上げることに抵抗はなくても、人を殺すとなっちゃ話は別だ。保釈中の身で、万が一あんたがオレに負けた時、殺人の罪まで背負いたくないだろうからな」


 ローザを見ると悔しそうな表情を浮かべた。図星らしい。


「ここに残すのはカールにするべきだったな。あいつならやりかねない危険さがあった。あいつが残ってたらオレもちょっとはためらったさ」

「ちょっと、って」

「あぁ、ちょっと、な。実の弟をためらいなくぶっ殺しそうなヤツのいうことなんて聞けないから」


 ローザが呆然としている。


「あんた、そこまでして犯罪者を許さないっての」

「当たり前だ。オレを誰だと思ってるんだ。“クレイジー・キャンディ”だぞ」


 ふふんと胸を張って言ってやる。


 ローザとミケールは何も応えなかったが、忌々し気な表情を浮かべている。


「さてローザ、これからここは戦場だ。あんたは離れているといい。とはいえ」


 ダイアナが言葉を切ると、かすかに、しかしはっきりと騒動の音が聞こえてくる。


「上も下もドンパチ始まっちまってるがな。隣の部屋の隅でガタガタ震えてるといいさ」


 顎をしゃくるとローザは一層悔しそうな顔になったが、何も言わずに部屋を出ていった。

 彼女がどこに向かうのかは判らないが、逃げようとしてもおそらく捕まるだろう。


「彼女を人質にとるかと思いましたよ」

「無駄だろ? あんたはジョルダーノ、あの女はチェルレッティだ。肝心なとこじゃ自分のファミリー優先だろうよ。あんたらのいう結託なんてそんなもんさ」


 ふんと鼻で笑ってやるとミケールは鼻白んだ。


「それは警察やFBIにも言えることでしょう」

「まぁな。けど、あんたらに直接買収されてるようなクソ連中はともかく、こっちは手柄はあらかじめ分けておくから現場で決裂することはほぼないさ」


 なにせ現場に出る者の目的は「犯罪者を捕らえる」ことのみだ。シンプルでいい。


「それに、人質とるなんて下劣な真似をしなくても、あんたはオレが倒してしょっ引く」

「随分な自信ですね。それでは、その鼻っ柱をへし折って差し上げましょう」


 ミケールが身構え、闘気を解放した。


 久々に見る本物の闘気は音を立てそうなほどに勢いよく体からあふれ出て天井を突こうかと立ち昇る。

 体のそばは黄色、体から離れると黒の闘気は「月」属性のものだ。


「へぇ、あんたも月か」


 久しぶりの真の極めし者トゥルー・オーバードが放つ闘気はダイアナと互角かそれ以上、しかも属性は同じ「月」とあって、ダイアナは高揚感を覚えた。


「あなたの戦い方は拝見させていただいています」

「カールが手配していた盗撮か」

「ええ。初めて戦いますが、私の方が有利と言えましょう」

「動揺させる気ならあてが外れたな。本当に余裕がある奴はそんなことはしないもんさ」


 ダイアナも闘気を解放する。


 夕陽がさし、オレンジ色に染め上げられた部屋で、二人の極めし者が大きく一歩を踏み出した。

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