82 猶予は一時間

 五分ほどして、マイケルが会議室に戻ってきた。

 小脇に抱えられるほどのサイズの箱を持っている。持ち方からしてさほど重量はなさそうだ。


「まさか……、デイビッドの一部なんてこと、ないだろうな」


 恐々つぶやくとマイケルは即、かぶりを振った。


「あの会話の様子だとまだそれはないでしょう」

「なんで?」

「まずはこれでも送っておこうか、と言ったカールの後の物音はデイビッドに危害を加えたようなものではありませんでしたから」


 言われてみれば、カールがそう告げた後、彼の足音らしき音がするまで数秒ほどだった。デイビッドの悲鳴も聞こえていない。


 しかし、「まだ」ということは今後も大丈夫という保証はないとマイケルは考えているのだろう。


「軽いので爆発物の可能性も低いでしょう。とにかく開けてみましょうか」


 マイケルは箱をテーブルの上に置いてゆっくりとガムテープをはがし始めた。


 箱の上部が開けられるようになって、ダイアナは自分が開けると申し出た。

 爆発物でなくても何かトラップが仕掛けられていた場合、マイケルよりダイアナが開けた方が被害がない、もしくは少ない。


 闘気を解放し、身を守るように体にまとわせて、ダイアナは箱の上部をそっと持ち上げた。

 特に何も仕掛けられている様子はない。

 中に入っていたのは、デイビッドのヘッドギアだった。


「あなたが助けに来た時に余計なことを言わないようにという対策も兼ねているのでしょう」


 マイケルは感心したように言った。

 敵をほめてる場合かよと思いつつ、ダイアナは箱の底に残っている小さな紙きれをつまみ上げた。


 “二時間後に連絡する。それまでに余計な動きをすれば彼は帰らないものと思え”


 典型的な脅迫文だ。


「ここは相手の言う通りにするしかないでしょう。二時間後の連絡の後にすぐ動けるように準備はしますが」

「オレはどうすればいい?」

「じっとしていてください」


 ぴしゃりと言われて、ダイアナは食いしばった歯をむき出しにした。

 噛みつきたいのをこらえている彼女に、マイケルはひとつ息をついた。


「ならば、一つお願いします。デイビッドの盗聴器が外されていないようなので、誰かの声が聞こえてきたらお知らせください」


 盗聴受信機と録音機材は課長のジョルジュの執務室に設置しているという。

 ダイアナはジョルジュの部屋へと向かった。




 何の進展もない――少なくともダイアナにはそう感じられる一時間が経過した。


 ジョルジュの部屋で盗聴器から何か聞こえてこないかと耳をそばだてているが、奇妙なほどに静かだ。

 諜報員を捕らえたのだから、組織の内情を聞きだすなどの行動があってもよさそうなものだが、それもない。


 部屋の持ち主のジョルジュは、どこかと連絡をしたり、マイケルに呼び出されて部屋を出ていったりと忙しそうだ。


 こんな時にまるっきり蚊帳の外のダイアナはいら立ちを覚えていた。

 なんでオレには何も任せてくれないんだ、と憤るが、それはオレが諜報員として頼りないからだと冷静に自分に言い聞かせる。そんな自分もふがいないと思う。


 不意に、誰かがやってくる気配がヘッドホン越しに伝わってきた。

 ダイアナは録音のスイッチを入れる。


『窮屈な思いをさせてすまないね』


 ディルバルトことミケールだ。

 急にやってきた大物にダイアナはごくりと唾をのむ。


『私がいる間は拘束を解いてあげよう』


 聞こえてくる物音からして、手錠か何かを外されたようだ。


『何か困っていることはないかな? 食事は? 喉は乾いてないかな? あぁ、トイレなら隣だから行ってきてくれていいですよ』


 紳士的な物言いだが、自分がいるからには絶対に逃がさないという余裕を見せつけ、精神的にねじ伏せているのだとダイアナは思う。


『この人は何も答えられないわ。しゃべれないんだから』


 ローザの声だ。

 勝ち誇った憎たらしい声を聞いてダイアナの怒りが湧き上がる。


『あぁ、それであのヘッドギアだったのですね。コミュニケーションの手段を奪ってしまいましたか。申し訳ないことをしました』


 言葉の十分の一も謝罪の色がない声だ。


『攻撃を、しかけるのか』


 デイビッドの地声だ。

 精一杯絞り出しているというほどではないが、言葉を発することに意識をしていると感じ取れる。

 失声症の彼にとっては、並みならぬ努力だろう。


『ワークスに対する攻撃のことでしょうか。それなら、予定通りです。あなたの相棒のダイアナさんをこことは別の場所に呼び出します。その隙に襲撃します』


 数秒の間があって、またミケールの声がする。


『ダイアナさんは呼び出しに応じないと言ったそうですね。それなら、あなたに泣き叫んでいただいて呼び寄せていただきますよ』

『この会話、あいつらに聞かれてるってこと?』

『可能性はゼロではありません』


 直接見られた気分になってダイアナは息をのんだ。こちらの声や物音など聞こえるはずもないのに息をひそめてしまう。


『それってまずいんじゃ?』

『問題ありません。彼らはまだ動いていません。ここがどこか特定されていないでしょう』


 聞こえていることを前提として、下手に動くなという警告か。

 同時に、ワークスや警察の動向をチェックしているという通達でもある。


『どちらにしても計画通りです。それまでにあちらが何か策を講じることができるなら、相手のほうが一枚上手だったということです』


 たとえどんな運びになっても自分が最終的に勝つと思っているのだろう。ミケールの声は堂々として自信に満ち溢れている。


『それでは私はこれで。次にお会いする時にあなたを切り刻むことにならなければいいのですが』


 さらりと恐ろしいことを言いおいて、デイビッドを再び拘束すると、ミケール達は部屋を出ていったようだ。


 この一時間で相手に気づかれずに何ができるのかを考え、実行しなければならない。

 録音のスイッチを切り、ダイアナはジョルジュとマイケルを呼びに行った。

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