68 まさか背後を取られるとは

 その日から早速ダイアナは張り込みを開始した。

 場所は曜日で替えて、ちょっと覗けばキャンベル探偵事務所の入口が見える路地の隅に身を潜める。

 変装はしないが帽子をかぶり、髪の色を目立たないように配慮した。


 ちなみに、見つかった時の言い訳も考えてある。相手がこんな愉快な話を信じてくれるかどうかは判らないが、と内容について考えるダイアナは笑ってしまう。何かもっと自然でうまい話が思い浮かべばそちらに替えようと思っているが、なかなか思いつかない。


 まぁ見つからなければいいのだ、と、それに関しては考えるのをやめた。


 張り込み自体は簡単だ。キャンベル探偵事務所を訪れる人をカメラに収めればいいだけだ。

 だが探偵達に見つかってはならない、仲間であるデイビッドにも気づかれてはならないというのは思っていたよりプレッシャーだ。


 路地裏にずっと身を潜め続けているのも疲れる。


 週末は近くの店から見張ろうか、とダイアナは三日目にしてすでに音を上げ始めていた。


 そして、土曜日になった。

 事前にマイケルから許可をもらって今日と明日は探偵事務所の近くの喫茶店に腰を落ち着けている。


「三日間、路地裏に三時間ずつずっと身を潜めていたのは頑張ったと思いますよ」


 お褒めの言葉もいただき、喫茶店から見張るための隠しカメラを貸してもらえた。

 窓際に座り、テーブルの上にカメラ付きポーチを置いて位置を調節する。

 これでずっと外を見ていなくても人の出入りは記録できる。


「こんな便利なものがあるなら最初から貸してくれればいいのに。そうしたらずっと喫茶店で座ってればいいだけだろ」

「毎日三時間も喫茶店にいたらさすがにバレますよ。週末だけならともかく平日もとなると見張られていることに気づかれてしまいます」


 カメラを借りる時のやりとりを思い出した。

 言われてみればその通りだと納得した。


 とにかく今日、明日はあまり気にせずここでご飯を食べてコーヒーを飲んでいればいいのだから楽なものだ。


 なにせ外での張り込みは寒い。空調の効いた店内にいられることがありがたい。


 ダイアナは頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めた。

 行きかう人達は皆、コートの前をきっちりとあわせ、中にはそれだけでは足りないとばかりに襟元をぎゅっと掴んで足早に過ぎ去る人もいる。


 食事が運ばれてきたので意識を店内に戻す。


 ダイアナが注文したのはチキングラタンのセットだ。

 長く居座るので冷めにくい料理を注文したが、考えてみれば三時間近く居座るのだからあまり意味はなかったかもしれない。


 一人で苦笑して、フォークでサラダをつつく。


 のんびりと食事をしながら、探偵事務所のこれまでの人の出入りを思い出す。


 この三日間で依頼人らしき人は二人ほどだった。

 若い女性と中年男性だ。

 特に怪しいそぶりはなかった。


 彼らが一般人として、いったい何を依頼するのだろう。

 尋ね人だろうか、素行調査だろうか。

 それともまさか、彼らこそがジョルダーノファミリーの関係者だったりするのか。


 その辺りはマイケル達が調査してくれるのだろう。


 考えていると、視界の隅の探偵事務所に動きがあった。

 若い女性が事務所に入っていく。二日前に来ていた女性と思われる。


 依頼人か。調査結果を聞きに来たのかな。

 さほど気に留めずにダイアナはちびちびと食事を続ける。

 さらに十分ほどして、女性とカールが出てきた。


「ん?」


 依頼人と探偵が連れ立って出かけることがあるのか?

 ダイアナはメッセージアプリを開いてマイケルに問う。



『もしも誰かの遡行調査だと、結果次第では懇意にしている弁護士の事務所に連れていくといことは、あるかもしれませんね』



 そんなこともするのかとダイアナは感心した。



『ふつうは弁護士事務所を紹介するだけだろうと思いますが、依頼者の希望でそういうこともあるかもしれません』



 なるほどと納得して、ダイアナはまた事務所に目を向ける。


 目の前の皿が空になり、食後のコーヒーを飲み終える頃までは、何の変化もなかった。

 さて追加注文はどうしようかな、と考えていると。


「あれ、ダイアナさんじゃないですか」


 斜め後ろから声がかかった。

 この声は、カール?


 ぎょっとしたがダイアナはなんでもないふうを装って声の方に振り向いた。

 予想通り、カールが立っていた。


「私は仕事で外に出ていて、その帰りなんですよ」

「そうなんだ?」

「ほら、ここから見えるあの建物。あそこがキャンベル探偵事務所なんです」

「あー、そういえばそうだっけ」


 ちょっとわざとらしいかと思ったが、そんなことは気にしていられない。

 カールから次に飛んでくる質問への答えを、ダイアナは必死に考えていた。


「ダイアナさんは、どなたかと待ち合わせですか?」


 やっぱそうくるよな。


 仕事だと言う?

 いや、それだと何気なくデイビッドにどんな仕事か探りを入れられると困る。

 平日なら仕事で通せるが、週末にここで仕事となると、探偵事務所に張り込んでいることがデイビッドに察せられてしまう。


「待ち合わせじゃなくて、友だちと別れた後だよ。ついでに飯食って帰ろうかななって思って」


 休日に一緒に出歩く友人など今はもういないけどな、とは心の中だけの自嘲だ。


「オレ、コーヒー好きでさ。出かけた帰りとかに入ったことがない店を見つけたら、そこのコーヒーを試したいんだ」


 これはほぼ本当のことだ。


「なるほど。……あ、相席いいですか?」


 ウェイトレスがそばで遠慮がちに佇んでいるのをちらりとみて、カールはダイアナに相席を申し出た。


「いいよ、どうぞ」


 正直言って断りたかったが、この話の流れとタイミングでは仕方がない。

 適当に話をして、さっさと切り上げるしかないな。


 作り笑顔の下でダイアナはできるだけ早くここを離れるにはどうしたらいいのか、考えた。

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