61 決まり切ったやりとり

 犯人の指定した五分前にダイアナは廃ビルの近くにやってきた。


 まずはデイビッドが周りの偵察をし、伏兵がいれば排除する。

 ダイアナはまっすぐ犯人のもとに向かい、リチャードを救出して犯人を取り押さえる。


 今日もしっかりと“キャンディ”の装いをして、その上、デイビッドが預けてくれた「武力解決グッズ」を身に着けている。


 黒のシャツとパンツ、スニーカー、目にはゴーグル、頭にはヘアピースの上からヘッドギアというスタイルだ。身軽そうな服装なのに首から上は物々しい。


 事前にデイビッドからグッズの説明は受けている。

 極めし者として問題なく立ち振る舞える状況ならば、それらの出番はあまりないはずだ。

 しかし相手は人質をとっている。リチャードを盾にしてダイアナに無抵抗を強いる可能性は大いにある。その時こそデイビッドの仕込みが活躍する。


 できれば使わずに解決できる状況であってほしいとダイアナが考えていると、発砲音がとどろいた。

 やはり伏せている者がいたようだ。


 さてと、とダイアナはビルを見上げた。

 使われなくなったが取り壊す資金もない廃ビルだ。朽ちて崩れる危険が指摘されるまでには、あるいは指摘があってから撤去されるだろうが、それまでは悪人の温床になる代表格だ。


 三階建てで天井は高く取られているらしく、屋上まで十五メートルほどだろうか。

 犯人が陣取っているのは二階らしく、窓ガラスがなくなった空間から光が漏れてくる。


 最上階じゃないんだなとつぶやくと、デイビッドの声がヘッドギア内部に聞こえてきた。


『エントランスから中央付近まで一階の天井がない』


 床が抜けたのか、元々吹き抜けだったのか。

 犯人達は残った二階部分にいるそうだ。

 熱源センサーに反応しているのは三人。うち一人はおそらくリチャードだろうが、さすがに熱源だけでは個人の特定はできない。


 発砲音をBGMにしたデイビッドの冷静な声は解説を終えた。

 相棒の声からして伏兵の殲滅は順調のようだ。


 さて、オレはオレの仕事をするか。


「おそらくリチャードをそっちに放るから、準備ができたら教えてくれ。それまで引き延ばす」

『了解』


 通信を終えるとダイアナはひとつ深呼吸をして、ビルの正面へとゆっくり歩いて行った。


「止まりな」


 入口から数歩、足を進めたところで斜め上から声が降ってきた。


 デイビッドの言ったとおり、入り口から五メートルほど先まで一階の天井がない。吹き抜けの先の、二階の床ギリギリのところに、黒のレザースーツに身を包んだ女が腰に手を当てて尊大な態度でダイアナを見下ろしている。


 薄暗くて顔はよく見えない。シルエットと声から判断するにダイアナとそう年は変わらないと思われる。


「アンタがサマンサだね。人質はどこだ? 無事だろうな?」

「そんなにあの男が心配か。けど、正体は知られたくないみたいだね。変装に変声までして。そりゃ普段仲良くしてる女が諜報員――」

「余計なことをしゃべっていないで、答えなよ。人質は無事かと尋ねてる」


 本来、弱みを握る犯人側が有利な状況だが、ダイアナはあえて強く出る。


「無事さ」

「姿を確認させろ」


 気おされたサマンサにさらに畳みかける。


「強気だねぇお嬢さん。ほら、ここにいるよ」


 二人目の声がした。サマンサの斜め後ろから現れた女はリチャードの首根っこを掴んで引きずってきた。


「アンタはタバサか」

「ご名答。さて、こちらの要件だけどね」

「どうせろくなものじゃないのだろう?」

「そうだね、あなたにとってはそうなるわね」


 タバサは落ち着いた声で予想通りの要求を告げた。


「人質の命と引き換えに、死んでちょうだい」


 こいつはヤバいヤツだ。

 ダイアナは直感した。


 サマンサには感情が見える。感じ取れる。

 だがタバサにはそれがない。

 今目の前で話している相手が死ぬのがさも当然であるという態度だ。

 おそらくそれを指摘すれば返ってくる言葉まで想像できる。


「死ねとか、よくも、そんな、軽々しく」


 リチャードが苦しそうな声で、まさにダイアナが想像した言葉を投げかけた。


「重々しく言えばいいのかい? どっちにしろ、ゴミをゴミ箱に捨てるのになんのためらいがあるっていうの」


 ほら予想通りだ。

 ダイアナは嘆息した。


 こいつらはマフィアファミリーに属しているのだろう。人を蹴散らし踏みにじることに罪悪感など持つはずがない。

 だがそれならそれでいい。

 社会のゴミはおまえらだと教えてやればいいだけのこと。


「残念ながらアタシは捨てられる気はないね。人質を今すぐ解放するなら穏便に済ませてあげるから無駄な抵抗はやめな」


 にやりと笑ってやる。


「これでもそう言えるのかい」


 タバサはナイフの切っ先をリチャードの延髄にあてがった。


「これは困ったね」


 さも困っていなさそうにダイアナは肩をすくめる。


「はっ、わたしらが脅しだけで人質に危害を加える気はないとでも思っていたのか? おめでたい」


 気を取り直したサマンサが笑う。

 こいつは判りやすい。


「思ってないさ。アンタ達の常套手段じゃないか。だからアタシも仕事を遂行するのみだ」

「どうするつもりだい? あんたが下手な動きをした瞬間、男は死ぬよ。あんた極めし者らしいが闘気を解放してここまで来るまでの間に刺せるからね」


 タバサはダイアナの一挙手一投足を見逃すまいと睨みつけてくる。


 そろそろ言葉のやり取りで引き延ばすのは限界だ。


 デイビッドの準備が整っていないなら一旦リチャードを抱えて外に出てから、戻ってきて犯人と対峙するしかないが、おそらく人質を失った時点で二人は逃げようとするだろう。今は闘気の気配はないが、彼女達が極めし者か、FO使用者だとするならその時間を十分に与えてしまう。


 けりをつけるためにやってきたのに逃がすのは悔しいが、まずは人質の身の安全を確保することが優先だ。

 ここは一旦リチャードを連れて退くしかないかとダイアナが考えた時、待ち焦がれた相棒の声が聞こえた。


『準備完了。おまえから見て奥の窓の下だ』


 よしっ。

 思わずガッツポーズを取りたくなるのを抑えて、ダイアナはコツンとヘッドギアを叩いた。


 無音になる。すべての音をシャットアウトした世界で、ダイアナはつぶやいた。


「闘気を放つまでもない」


 言いながらダイアナはかかとに力を入れた。

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