57 それ、なんてゲーム

 ほどなくして、立てこもり犯に届けられる水と食料が揃った。近所のコンビニエンスストアで購入してそのまま持ってきたものだ。何かを混入していないことはちょっと調べれば判るだろう。


 ダイアナは両手にそれらを抱えてフィットネスジムの正面玄関から入っていった。


 人質になっている男性の友人の一般人として、なので、周りをきょろきょろみながら、恐々といったていで足を進めていく。


 建物の中はいつもと全く違ってしんとしている。明かりはついているのに中にいるのはおそらく犯人とリチャード、裏から侵入したデイビッドと、今正面から入ったダイアナだけだろう。


 こんな、人のいないジムなんて初めてだし、もうこんな形で見たくはないな、とダイアナは心の中で独りごつ。


 エントランスから二十メートルほど、フィットネスルーム横の通路を通って奥に行くと会員用の休憩スペースがある。

 直線の廊下なので犯人とリチャードの姿がすぐに見えてきた。


「とまれ」


 男がマシンガンをダイアナに向けて命じた。

 ダイアナは言われるまま、立ち止まる。


「ここに、置けばいいのか?」


 手に持っている水と食料をちょいと持ち上げてダイアナは犯人を見る。


「そうだな。足元に置け」


 犯人の要求通りに、足の近くにミネラルウォーターのペットボトルと、サンドイッチのパックを置く。


 犯人が近づいてきた。


 ふと、リチャードを見る。

 目立った怪我はなさそうだ。


 リチャードと目が合った。

 後ろへ行けと目で軽く合図を送ってみるが、リチャードは動かなかった。

 表情からしておそらくダイアナの言いたい事は理解しているようだが、怖いのか、それとも他の理由か、はたまた動けないのか。


 犯人に視線を戻す。

 もう目の前数メートルの位置だ。


「あんた、“リラ子”だな」


 唐突な犯人の確信めいた問いかけに、思わず「は?」と声が漏れた。


「オレはそんな名前じゃない」


 下手に多く答えてしまうと墓穴をほるかもしれない。ダイアナは端的に否定した。


「本名は知らない。ネットで“リラ子”って呼ばれてる女だろ?」

「そいつがオレに似てるのか」

「顔も知らない。ただ、あんたが“リラ子”だから捕まえるように言われた」


 どうやら黒幕がいるようだ。この男を取り押さえることができたら情報が増えそうだ。


 デイビッドに動きはない。相変わらず数メートル先にいるのが嘘のように気配を消している。

 まだ話をしておけということかとダイアナは納得した。


「あんたが誰に何を言われたかは知らないが、オレはその“リラ子”ってヤツじゃない」

「じゃあ、どうしてここに来た? 極めし者だから俺を取り押さえる自信があるからだろう?」


 ならばなぜ最初にリチャードを狙ったのだと言い返してやりたいが、目の前の男と背後に潜む犯人の狙いが判るだけに余計なことは言えない。

 ダイアナが正体を隠すから犯人も回りくどいやり方で暴かざるを得ないということだろう。


犯人あんたがオレに来るように要求してきたからだよ。そいつのこと心配だし」


 リチャードを見やると、男もちらりと振り返る。

 じっとこちらを見つめているリチャードに、男は鼻を鳴らした。


「なんだよ、話が違うだろ。いや、正体を隠しているだけか」


 男の目に危険な気配が宿る。それはすぐに全身を包むように広がっていく。

 暴力を振るおうとする人の気配だ。


「よしてくれよ。食べ物と飲み物、持ってきてやったからさ」


 ダイアナは軽く体を縮こまらせて相手の慈悲を乞う。


「それも演技だろうっ?」


 男はマシンガンの銃口をダイアナに向けた。

 同時に。


「目を閉じろ」


 機械の声がした。

 デイビッドだと期待しつつダイアナは指示に従う。

 きつく閉じた瞼の向こうがぱっと明るくなった。目を閉じていてもかなりまぶしく感じた。


「うああぁぁっ!」


 耳元で犯人の悲鳴がする。

 しっかり目を閉じてあの明るさだ。閃光の直撃を受けたであろう犯人はたまったものではないだろう。

 悲鳴の中に、バネが跳ねる音が混じった。


 おそらく犯人はもう無力化されている。

 ダイアナが安心して目を開けた時には右手にスタンガン、左手に特殊ハンドガンを持ったデイビッドがそばに立っていた。

 犯人の男は目を押さえたまま床に倒れてぴくぴくと体を震わせている。


 デイビッドはハンドガンで麻酔針を撃ったのだろう。いや、犯人の様子からしてもしかすると麻酔ではなく麻痺させる薬かもしれない。

 それで無力化できなければお得意のスタンガンを見舞ったに違いない。


 閃光に麻痺か麻酔。どこのハンターだよとダイアナは微笑した。


「お怪我はありませんか?」


 とても他人行儀な口調でデイビッドが尋ねてくる。彼のこんな丁寧な物言いは初めて聞いた。


「あ、はい」


 いつもの調子で応えると知り合いとしての親しさがでそうだ。ダイアナはうなずくにとどめた。


「えっと、あ、リチャード」


 もしかして、リチャードも目を閉じそこなって目つぶしを食らってないかと心配したが、彼は無事だったようで安心したような顔で近づいてきた。


「ダイアナ、無事でよかったよ」

「そりゃこっちの台詞だよ。殴られて人質にまでなって。心配したぞ」

「心配だから、水と食料を届ける役を買って出てくれたのか?」

「うん。だってオレをかばってやられたんだし」


 ダイアナが答えるとリチャードは照れ臭そうに笑った。


「話はいろいろとあるでしょうが、まずは外に出てください。私はこの男を拘束してから向かいますので」


 デイビッドに促され、ダイアナ達はうなずいた。


 心なしかデイビッドの口元がにやにやと笑っているように見えるのは気のせいだろうかとダイアナは相棒の心境を邪推した。

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