54 なんでこっち来るんだ

「ところで、話が途中になっていましたが、なぜ今のままを選ばれたのですか?」


 マイケルが尋ねてくる。

 もうその話は終わったと思っていたのに不意打ちを食らった気分でダイアナはうなずいて答えた。


「まだ身バレすると決まったわけでもないのに自分を捨てたくないなって思ったからだよ。今の段階で整形とかしたら、なんか犯罪者からしっぽ巻いて逃げるみたいに感じる」

「おまえらしいな」


 コメントを漏らしたのはデイビッドだ。声音からして馬鹿にしているわけではなさそうだ。

 ちょっと笑って応えて、続ける。


「あとは意外に“キャンディ”のやってること、認めてくれるヤツはいるって判ったし」


 言いながら心に浮かんだのはリチャードの「いいんじゃないかな」だった。


「まぁ確かにネットではおおむね評判のようだしな。今はまだ“キャンディ”じゃなくて“リラ子”だが」


 ふふんと笑うデイビッドにお決まりの「うっせーわ」を返しておいた。その呼び名を広めた張本人にだけはバカにされたくない。


「ではダイアナはこれから外で諜報活動をする時は必ず“キャンディ”の装いでお願いします」


 マイケルの念押しにダイアナは軽くかぶりを振る。


「外に出るとなってから変装するんじゃ緊急の時に困るだろ。いっそ毎日出社したら“キャンディ”になっておけばいい」


 ダイアナの提案に「それはいい案ですね」とマイケルも同意した。


「おまえが積極的に仕事に関する提案をするとは、これは明日は大雨だな」


 デイビッドの茶化しに、今度は笑顔で脚に蹴りを軽ーく入れておく。

 脚を押さえて悶絶する相棒を横目にダイアナは気分がよかった。

 出社後変装して仕事に取り組み帰る時にはまた素顔に戻るなんて、ちょっとスーパーヒーローみたいだなと考えていたのだった。




 ダイアナが仕事時に“キャンディ”として過ごすようになってから一か月近くが経った。

 幸い、キャンディがダイアナであると特定されるようなこともなく、またその動きも鎮静化している。さすがに一度大きな作戦を実行し失敗したとあっては、ジョルダーノファミリーもすぐには動けないのだろう。


 その代わり警察の捜査も行き詰っているようだ。麻薬密売人の活動が縮小しているようなのだ。もしかすると警察の目の届かない水面下では動いているのかもしれないが。


 おそらくファミリーの息のかかった売人は組織の指示に従って動いているのだろう。

 膠着状態といったところか。

 年末年始にはまた活動を再開するかもしれないと警察は見込んでいるらしい。


 世間ではクリスマスムードが高まってきている。もうすぐ十二月とあって、街のあちこちにツリーが立ち、飾り付けやイルミネーションで彩られている。浮かれた顔の人々が少しずつ増えていくのを見て、ダイアナもその可能性は高いかもなと思う。

 クリスマス休暇ともなると皆、警戒心を解くものだ。警備なども手薄になりがちだ。そこを狙ってくるかもしれない。


「ダイアナ、クリスマスって予定ある?」


 仕事のことを考えていると、声をかけられた。

 ダイアナの意識が現実に戻ってくる。

 ランニングマシンの上でダイアナは規則正しく手足を動かしていた。


 そうだジムに来て運動してるんだったと思い出す。

 隣のマシンで同じように走るリチャードから話しかけられたのだった。


「えぇっと、なんだっけ?」

「無心で走ってたね。転んだりだけはしないでよ」


 笑われた。


「クリスマス、予定ある? って聞いたんだ」


 おぉっと、まさかのお誘いだ。ダイアナは驚いた。

 誘われるにしても運動中とは思わなかった。電話やメッセージツールを使ってか、直接聞くにしてももっと落ち着いた場所だと思っていた。

 どこでどんなふうに誘われたとしても答えは決まっているのだが。


「仕事だよ」

「クリスマスなのに?」

「オレの職業知ってんだろ? みんなが休みん時の方がむしろ働きやすいんだよ」


 企業が休みの時の方が、サーバーのメンテナンスはやりやすいのだというとリチャードはなるほどと納得した。


 実際はもっと違う理由なのだが。

 犯罪者も休みの期間はおとなしくしていてくれたらなぁとは口に出せないのがつらいところだ。


「それじゃ、クリスマス近くのダイアナの休みの時に会わないか?」

「いいけど、休みがいつになるかなんて直前まで判らないぞ」


 つまり予約のいるようなこじゃれた店や高級な店にはいけない、ということだ。

 気楽なランチや軽食なら行ってもいいが、それ以上の付き合いはしないとダイアナは改めて線引きをしている。


 リチャードもおそらくはダイアナの意思を汲み取ってくれていると信じたい。まさか「誘いは断らないのは脈ありだ」などとは思っていないだろう、多分。


「それでいいよ。ランチしよう」


 嬉しそうに答えるリチャードに申し訳ないと思いつつ、無垢を絵に描いたような彼は、やはり危険な仕事をする自分とは付き合っちゃいけない人なのだと自分に言い聞かせた。


 いつもはスポーツジムを出たところですぐにリチャードとは反対方向の自宅へと向かうダイアナだったが、今日は何やらエントランス付近が騒がしい。


「何かあったんですか?」


 外を見つめてざわついている人達にリチャードが話しかける。


「なんか、この近くでナイフだか銃だかを持って暴れているヤツがいるらしい」


 それじゃ外に出ない方がいいな、とリチャードが心配そうにしている。


「騒ぎが収まるまでここでじっとしていよう」


 ダイアナも心配そうな顔をしてみせてうなずいた。


 犯罪者が暴れていると聞いてどうにかしたいと思うが今は“キャンディ”ではないのだ。極めし者ではないただのスポーツ好きの女を演じなければならない。


 すぐにパトカーのサイレンが近づいてくる。


「きっと警察が取り押さえてくれるよ」


 リチャードはダイアナを気遣ってくれているようだ。


 騒ぎは外で自分達は建物の中にいる。警察も到着したとあってダイアナもリチャードの楽観的な言葉にすっかり同意していた。


 だが、事態は彼女達が思っていたより深刻だった。

 外の悲鳴が大きく聞こえた。

 ジムのエントランスの人達も慌ててその場を離れる。


 まさか、と思った瞬間に、男が建物に飛び込んできた。

 手には、マシンガン。


(ナイフだか銃だか!? 誤情報もいいとこだ!)


 咄嗟にリチャードの腕を引っ張ってダイアナは床に伏せた。リチャードも引き倒されるように転がる。


 同時に、銃口が火を噴いた。

 弾が連射される轟音と共に、辺りの備品や設備にいくつもの穴が開いていく。


 誰かの悲鳴も聞こえた。被弾してしまったのか。


 男がトリガーを引いていたのはほんのニ、三秒だったが、もっと長い時間のように感じた。

 何もできないのは悔しいがとにかく今は犯人に目を付けられないようにじっとしているしかない。


 ダイアナは床に伏せたまま息を殺した。

 だが。


「いたた……」


 隣のリチャードがうめき声を漏らした。

 その声に引き付けられるように犯人がこちらを見た。


 目が、あってしまった。


 二十代に到達したかしないかぐらいの若者が目をぎらつかせて、ダイアナ達に近づいてきた。

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