麻薬密売人はクスリ常習者に囲まれてみろ

44 運動しすぎで死ぬとか

 夏の盛りが過ぎれば途端に朝晩は涼しいを通り越して肌寒くなってくる。


 チェルレッティファミリーのダニエルとの戦いから二か月が経ち、公園の木々も黄色く色づき始める。


 ダイアナは口の中のドロップをころんと舌で転がしながら、目的のカフェへ向かっていた。

 リチャードに、久しぶりにお茶でもしないかと誘われたのだ。


 彼との交際を断ってから、さりげないデートの誘いをやんわりとかわしつつ、フィットネスジムでは気さくに話す仲だ。


 ダイアナとしては少しずつフェードアウトできればと思っているが意外にも彼との談笑が楽しくて、すっぱりと関係を絶つに至っていない。彼の友人のパブロとはあんなにあっさりと連絡を絶ったというのに。

 たまに話すくらいの間柄が一番心地よいのだが、リチャードはおそらくまだダイアナのことはあきらめていない。こう感じるのは自意識過剰かもしれないが。


 今回、彼の誘いに乗ったのにはほかに理由があった。

 前回の一件で通っていたダニエルの喫茶店でバリスタを務めていた彼を見つけたとリチャードがいうのだ。


 彼の淹れるコーヒーはとても美味しかった。ぜひまた味わいたいと思っていたので今回は特別にリチャードのお誘いに乗ったという流れだ。さすがに店の情報だけ聞いて誘いは蹴るというのは気が引けた。


 夕方のティータイムにやってきたカフェは盛況だった。

 元々さほど広くない店内は、あのバリスタの淹れるコーヒーの香りに満ちていて、席を埋める人達は皆笑顔だ。


 店を見回すダイアナに、先に席についていたリチャードが声をかける。


「よぉ、待たせたか?」

「そんなに待ってないよ」


 席について軽く挨拶をかわす。すぐにウェイトレスが注文を取りに来た。

 メニューには「ケーキセットがおすすめ」と書かれてあるのでダイアナは迷わず注文した。


「ダイアナって結構甘いもの好き?」

「そうだな。よく食べるよ」


 そんなやり取りをしつつ、ダイアナはリチャードの様子がいつもと少し違うことに気づいた。

 なんとなく元気がないのをごまかして笑顔を浮かべているように見える。作り笑いというやつだ。


「体調良くないのか? それとも心配事か?」


 こういう時、ダイアナはとてもストレートに尋ねる。デイビッドからはもっと間接的な聞き方があるだろうと言われるが、今は仕事中ではない。


「心配事、とは違うんだけど」


 リチャードは少しだけ前に乗り出して声を潜めた。


「僕の友人が、たちの悪いドラッグに引っかかったらしくて」

「パブロか?」


 リチャードの友人といえば彼しか知らないので思わず尋ねてしまった。


「あはは、違うよ」


 笑ってかぶりを振るリチャードの顔はしかし「彼が引っかかってもおかしくはない」と納得しているように見えた。


「で? たちの悪いドラッグって?」

「ダイアナは極めし者って知ってる?」


 問いに問いで返されて納得した。偽極めし者フェイク・オーバードを作り出す麻薬、FOを使ったのだろう。

 知っている、という意味と、この先の話を予想できたという意味でダイアナはうなずいた。


「それで、その極めし者の力を手に入れられる薬っていうのがあるらしいんだ」


 ウェイトレスがコーヒーとケーキを運んできたのでリチャードは一旦姿勢を正した。


 ダイアナはまずコーヒーを一口飲み、ショートケーキを食べる。その後でまたコーヒーを飲むと、ケーキを食べる前とは違った味わいが楽しめて、まさに二度おいしい。

 元々コーヒーを楽しみに来たようなものだ。ダイアナは一瞬リチャードの話を忘れて幸せな気分を味わった。


 自分をじっと見つめるリチャードの視線に気づいて、ダイアナは「あ」と小さく声を漏らした。


「悪い。話の最中だったな」

「いいよ。美味しそうな顔って見てるこっちも幸せな気分になれる」


 笑顔で言われて、ダイアナも笑みを返した。


「えっと、極めし者になれる薬だって?」


 声を潜めるとリチャードも静かにうなずく。


「闘気っていうのを一時的に操れるようになる薬だって聞いたよ」

「本来ない力を使えるようになるなんて、体に無理を強いる薬なんかろくなことにならないだろう」


 FOを使用した人のうち、重篤な副反応に陥った人がいるという具体的な話をダイアナも聞いたことがある。


「そうなんだ。薬が切れた後に倒れて体が全く動かなくなってしまったんだって。今も入院してるよ」


 無理やり闘気を使えるようにする麻薬であるFOは、筋肉の運動量の限界をも突破させてしまうという。正確には、限界が来たと自覚するのを阻害するのだ。

 自分は強くなった、まだまだ疲れていない、動ける、そんなふうに錯覚した使用者が肉体の限界を超えて活動してしまい、薬が切れると動けなくなる。


「確か病名もついてたな」


 なんという病名だったかまでは思い出せずにダイアナはつぶやいた。

 すかさずリチャードがスマホで検索する。


「なんていったかな。――あ、あった。横紋筋融解症おうもんきんゆうかいしょう、だって」


 リチャードがスマホを見せてくれたのでダイアナは内容をざっと読んだ。

 様々な要因で、体を動かす役割である骨格筋の筋細胞が壊死する病気だ。下手をすると腎不全を併発し死亡する。

 その、様々な要因の中に過度の運動が含まれている。


「うわぁ。オレらもトレーニングのやりすぎには気を付けないといけないな」

「そうだね」

「友人は治りそうなのか?」

「うん。でももうちょっと入院が必要だって」

「そりゃよかったな」

「でも後が大変だよね」


 アメリカでは保険に入っていないと医療費がバカ高い。数日の入院で途端に借金地獄に陥ることも少なくない。

 リチャードの口ぶりだと、友人は保険に入っていないか、大した保障もないプランなのかもしれない。

 命あってのものだね、というが、友人はとんでもない授業料を支払うことになるのだろう。


 彼の話題はそこで途切れ、あとはとりとめのない話をしながら、ダイアナはケーキとコーヒーを堪能することができた。

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