37 バッグもらってはいさようなら、とはいかないな

 七月の末から八月ごろ、ニューヨークは一番暑い時期を迎える。特にマンハッタンはヒートアイランド現象でさらに暑い。

 夏うまれなのに暑さに弱いダイアナは、この時期だけは少しおとなしい。


 本当は仕事が終わったら寄り道せずに帰宅したいところだが、急に喫茶店通いをやめると怪しまれるかもしれないので、そこそこの頻度を保ってダニエルの店に顔をだしていた。


「ローザはこっちにも指輪やネックレスを買わないかって声をかけてきたぞ。そっちも偽物じゃないか? 乗った方がいいのか?」

「どうだろうな。あまり偽物ばかりをばらまいていたらさすがにバレるだろうから宝飾品は本物の可能性の方が高いと俺は思うが」


 デイビッドの答えになるほどとうなずいた。


「張り込んでくれてるワークスうちの諜報員の報告だとリチャードは先日、一人でローザに会ってたそうだ。カタログを見て購入するのを決めたみたいだ」


 リチャードはローザのおすすめを買うことにしたそうだ。おそらくそういったものを買うのに慣れてないから女性の意見をそのまま取り入れた方が無難だと思ったのだろう。


 すべてローザの手の上で転がされているのは気に入らないが、今回はそれでいいのだ。

 バッグが偽物ならチェルレッティファミリーに一撃を加えられる。

 ダイアナはとても久しぶりに自分の誕生日が待ちどおしく思えた。


 それにしても、二か月近く喫茶店に通っているがオーナーのダニエルを見たことがない。

 それほどまでに捜査に警戒しているのだろうか。


「なぁローザ、ここのマスターってオーナーじゃないんだってな」


 喫茶店に顔を出した時に尋ねてみた。


 マスターとは雇われバリスタのことだ。常連客ががマスターと呼んでいるのでダイアナも倣った。


「そうなのよ。友人なんだけどね。人前に出たくないんだって。用事があっても店が終わってからしか来ないのよ」

「なんで?」

「自分が店にいると客が怖がる、ですって」

「そんな怖いヤツなのか?」

「そうねぇ、見た目がちょっと、……かなり無骨かな。無口だし接客には向いてないわね」


 極めし者だという話だし、筋骨隆々な感じなのかもしれない。


「接客に向いてないのに喫茶店開いたのか。面白いな」

「ほんと、意外だわ」


 ローザはふふふと笑った。


 いや、あんたの「わたし悪いことなんてなーんにもしてません」ってその顔の方が意外だろうとダイアナは心の中だけでつっこんだ。




『次の日曜、会えるかな』

『ランチタイムなら空いてる』

『それでいいよ。最初に夕食食べた店でランチしよう』


 次の日曜日。十一日がダイアナの誕生日だ。いよいよローザから手に入れたバッグをダイアナにプレゼントしてくれるのだ。


 「詐欺被害者への救済」で仕事をしながらデイビッドに報告すると、彼の方でも準備を進めていると返ってきた。


「誕生日なのに悪いが、早ければ夕方にでも喫茶店に行ってローザを追い詰めてもらうことになるな」

「別に誕生日とか関係ないさ。特別に祝ってくれる相手もいない」


 両親は健在だがダイアナから疎遠にしている。諜報員になる時に、それまでの生活を捨てる覚悟で両親や友人との交流を断った。喧嘩別れしたわけではないが気軽に会うことはもうないだろうとダイアナは考えている。


「リチャードは本当は一日、少なくとも半日ぐらいはデートしたいと思ってただろうに」


 デイビッドの指摘にダイアナは苦笑を漏らした。


 リチャードはいいヤツだとダイアナも思う。

 だが彼をプライベートのパートナーにするかと考えると、それは違うなと思う何かがある。

 何が違うのかまでは判らないのだが。




 日曜日の昼、ダイアナはリチャードと待ち合わせてフレンチレストランにやってきた。

 夜と違って外の明るさが店内の雰囲気も陽気にしている。


 席についてリチャードは「これでいいよね」とダイアナに確認を取ってから一番高価なランチメニューを注文した。


 彼はいつもよりさらににこにこしていて、実はバッグだけいただければそれでいいと考えていたダイアナはますます申し訳ない気分になる。

 料理は美味しいのに、あまり味わえないのは罪悪感からだろうか。


 会話は日常的なものを中心に楽しく弾んだ。

 リチャードとの相性は悪くはないのだろう。

 だがやはり、彼と男女の付き合いをするかと考えるとピンとこない。


 そんなことを考えながら、デザートのケーキをフォークで切り分けた時、控え目にリボンがかけられた紙袋をリチャードが出してきた。


「誕生日おめでとう」

「うわ、本当に用意してくれたのか。なんか悪いな。……いや、この場合はありがとうだな」


 彼がプレゼントをくれるのも中身までもを知っているがダイアナは驚いてみせた。

 リチャードはダイアナの反応を楽しそうに見つめている。


「開けていいか?」

「もちろん」


 包装を解くとバッグが姿を見せた。

 生地もしっかりしているしロゴの形も整っている。ぱっと見ただけではこれが偽物ですと言われると驚くぐらいだ。

 元々ダイアナがブランドに詳しくないからなのかもしれないが。


「有名ブランドじゃないか。いいのか? こんなお高いのもらって」

「そりゃ、君のために用意したんだからもらってくれないと悲しいよ」


 こんなところはさすがパブロの友人だなとダイアナはくすりと笑った。


「それじゃありがたく使わせてもらうよ」


 ダイアナはバッグを紙袋の中にそっと戻して足元に置いた。


「今日は、あとひとつ、君に言いたいことがあってさ」


 リチャードが笑顔のままなのでダイアナはさほど警戒せずに続きを待った。


「よかったら、付き合ってほしいんだ」


 は?


 思わず甲高い声が漏れそうになるのを抑えた自分をダイアナは心の中で絶賛した。

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