22 あの男は思い込めなかったんだな

 夜、ダイアナは時々通っているフィットネスジムに顔を出した。


 基本的にトレーニングは一人で黙々とやるのが好きなのだが、たまには広い空間で本格的な器械を使ってみたいので会員登録している。会社の福利厚生で会費が割り引かれているのも魅力だ。


 さて今日はどんなメニューで行こうかとマットの上で体をほぐしながら考えていると、ジムの隅の方から少し大きめの怒声が聞こえた。

 何事かとダイアナを含め数名がそちらに目を向ける。


 若い男二人が壁際で向かい合っている。そのうちの一人が怒鳴ったようだ。


 彼はこちらに顔を向けて申し訳なさそうに笑って手を挙げた。こっちのことを気にしないでくれという意味も含めているのだろう。


 普段なら気にならないところだが、ダイアナは聞き耳を立てた。


 『試した』『効果がない』というような単語がかすかに聞こえた。


 民間療法のグッズを売りつける話が出回ってるって言ってたっけなとダイアナは思い出す。

 その類の話だろうか。


 ややあって、ダイアナがストレッチを終える頃に、怒鳴り声をあげた若者がマットの方にやってきた。


「トラブルかい?」

 ダイアナは男に声をかけてみた。


「あ、悪いなぁ、気ぃ散らせちゃって」

「いや、ちょっと驚いただけ」


 気にすんなと笑って言ってやると男もようやく笑みを浮かべた。


「俺ちょっと不眠ぎみになっちゃってさ。そんな話をしたらあいつが『これを飲めば改善するぞ』って薦めてきたサプリみたいなのがあって」


 彼が言うには、一週間のお試しサンプルをもらった時は確かに少し寝つきがよくなった。

 だが本格的に購入したサプリは全然効果がないように思える。


 もちろん、体調や精神状態によって効果の有無は変わるのだろう。

 しかし気になるのは、サンプルと購入したサプリが少し違うような気がする、という点だ。


「そのサプリは市販のものじゃないのか」

「あいつの友人がサプリの関係の仕事をしていて、普通は通販でしか買えないものを売ってくれるって話だったんだ」

「で、効かないから文句言ったんだな」

「そ。けど一度封を切ったものは返品できないってさ」


 購入時にそういう約束事があったならその通りだろう。

 だがそもそもそのサプリは薬機法に違反しているのではないかとダイアナは首をひねる。


 詳しい決まりなどについては知らないのでデイビッドにでも聞いてみることにした。




「あぁ、その手のトラブルはよくあるな」


 翌日、ダイアナが話を持ち掛けるとデイビッドはあっさりと応えた。


「おまえが聞いてきた話の問題点はそのサプリの会社が本当に存在しているのかどうかと、サプリのすり替えなどがなかったか、だな」


 サプリメントの会社が存在し、サンプルも本購入したものも実際に通信販売なりで売られている商品そのものならば、たまたまサプリと体質の相性が悪くて効かなかった、あるいは飲み続けることで効きが悪くなってしまったなどで話が終わる。


 だが架空の会社を騙っていたり、サンプルと購入させたものが違っていたりなどの介入があれば警察の捜査の対象となるだろう。


 男がいうようにサンプルと購入したサプリが違っているとするなら考えられるのはサンプルには入眠導入となるような成分が入っていて、購入したものにはない、といったところかとデイビッドは推測した。


「睡眠導入剤をサンプルとして渡して、よく効くから本購入って話になったら健康食品を買わせた、って感じか?」

「すり替えがあったとしたらそのパターンだと思われる」

「それってアウトだよな」

「アウトだな」

「よくある話なのか?」

「詐欺行為ではわりとな」


 消費してしまうものは証拠が上げにくいからだとデイビッドは言う。

 今回の件だと、サンプルはもうすでになくなっているので比較ができないのだ。


「警察に相談するにも物がないから無理ってか。あくどいな」

「プラシーボ効果も狙っているのだろう」


 サンプルで眠剤を混ぜておけば「これはよく効く」と実感し、眠剤を抜いても「これさえ飲めば眠れる」と思い込む心理を利用しているのだとデイビッドは説明した。


「たまに疑り深いヤツがサンプルを残していて物的証拠が挙がってきたものだけが事件になる、といったところか」


 ダイアナは「ふわぁ」と間の抜けた声を漏らした。自分には考えつかない犯罪だ。


「念のためにマイケルに報告しておくか。もしもうちょっと調べてくれとなったらサプリを買った男に話を聞いてもらうことになるが任せていいか?」

「了解。ジムに通ってあの男と顔なじみになっとくよ」


 本格的に捜査となったらジムの会費を必要経費にしてくれないかなぁとダイアナは軽く考えていた。

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