夏祭り

砂鳥はと子

夏祭り




今年も地元の夏祭りの季節がやって来た。私は朝顔柄の浴衣に着替えて、お祭りの行われている神社まで向う。

 道々には赤い提灯がぶら下がり、目的地まで続いている。

 行き交う人々も今日はいつもより浮かれているのだろう。楽しそうな笑顔を咲かせている。

 私は坂道を上がり、その上にある神社の鳥居の所までやって来た。

 そこには待ち合わせしていた、幼なじみの静歌しずかちゃんが先に来ていた。真っ黒な地色に、白百合柄の大人びた浴衣姿がとても眩しい。十代らしい瑞々しさと、透きとおるような肌は浴衣の百合よりも白く見えた。

「静歌ちゃん、遅くなってごめんね」

「私もさっき来たばかりだから。気にしないで、新菜にいな。さぁ、一緒に見て回ろう」

 手を差し出されて私は静歌ちゃんの手を取る。ひんやりとした手の感覚が心地よい。

 もう大学生だというのに、私たちはお祭りの時にこうして手を繋いで歩くことがあった。小学生の頃からずっと変わらない。

「新菜、まずは何からする?」

「何がいいかなぁ。あ、射的がいい。静歌ちゃん上手いから、また見たいな」

「いいよ。新菜が欲しいもの取ってあげる」

 昔から静歌ちゃんは射的が得意だった。どんなコツがあるのか、目玉商品も楽々と落として店主泣かせである。

 私たちは人々の合間を縫って、お目当ての射的の屋台の前までやって来た。

「おじさん、一回お願いします」

 静歌ちゃんは料金の小銭を渡すと、代わりに銃とコルクを受け取る。 

「新菜、何がほしい?」

「んー⋯、あのこぐまのぬいぐるみがいい」

 手のひらに乗るサイズの白いぬいぐるみを指した。

「子供っぽいなぁ、新菜は。いいよ、任せて」

 静歌ちゃんはまるでプロみたいな慣れた仕草で、銃の先にコルク玉を詰める。

 銃を構える姿は、巨大な獲物もけして逃さないような気迫に満ちていた。

 狙いを定めると一瞬でぬいぐるみは下に落ちる。

「お嬢ちゃんすげぇな。これを一発で落としちまうなんて」

 屋台のおじさんはえらく関心したように、ぬいぐるみをぽんと台に置く。

「おじさん、玉はまだありますから次も狙ったものを落としますよ」

「お嬢ちゃんなら全部持ってちまいそうだ。隣りの姉ちゃんもどうだい?」

 とおじさんは私にも銃を見せる。

「新菜もやってみたら? きっと何も落とせないと思うけど」

「やらないつもりだったけど、そう言われると引けないなぁ。おじさん、私にも一回分、お願い」

「はいよ」

 私も渡された銃にコルク玉を詰める。

「新菜、あのキャラメル落とせるか勝負してみない? 負けた方があとでりんご飴を奢る、というのはどう?」

「やってやろうじゃない」

 私はその勝負を受けて立つ。

「新菜からお先にどうぞ」

 静歌ちゃんは余裕綽々の態度。

 私は慎重に狙いを定め、一発目を打つ。

 しかし見当違いの方向に飛んでいって失敗。

 二発目、三発目、四発目と外し最後の一個になる。

「頑張って、新菜!」

 だがその声援も虚しく、五発目もかすりもせずに終了してしまった。

「やっぱりだめだった。もう静歌ちゃんの勝ちでいいよ」

「引き分けになるかもしれないんだから、まだ新菜の負けとは決まってないよ」

「いやいや、絶対私の負けだから」

 静歌ちゃんは再び銃を構える。さっきぬいぐるみを落としたから残るは四発。

 立て続けに三発が外れとなる。

 けどこれはわざとだ。

 以前、全部に命中させた静歌ちゃんは店主を怒らせたことがあり、あえて当てないようにする。

 最後の一つで見事にキャラメルをゲットした。

「ごめんね新菜。勝ってしまって」

 少し悲しそうに私を見上げる

「最初から負け戦って分かってたし。さぁて、りんご飴を買いに行きますか」

 私たちは連れ立って、りんご飴の屋台を目指した。

 私は赤、静歌ちゃんは青のりんご飴を選び、神社の奥で一息つく。

 丸太を横たえて作られたベンチに腰をかけながら、お祭りの景色を眺める。

「もう何度目だろうね。このお祭りに来るの」

 私は思い返す。静歌ちゃんとここに来た日々のことを。毎夏繰り返す儀式のようでもあり、夢のような時間を。

「数えてないから分かんない。でもいいじゃない。何回目だって。何回だって」

 静歌ちゃんは、りんご飴に齧りつく。

 行き交う人々は楽しそうにしながら屋台を巡り、お囃子に耳を傾け、どこか幻想的で非日常的でもあった。

 それはふとした瞬間にパチンと弾け消えてしまいそうなくらいに、脆い。

 一年のうち、たったの一日だけしかないお祭りなのだから、そう感じるのもおかしくはない。

「もし明日地球がなくなったら、このお祭りも最後なんだよね」

 静歌ちゃんは空を見上げる。

「地球がなくなったらお祭りどころか、何もかもが最後になっちゃうでしょ」

「確かにね。大事な何かが欠けるくらいなら全部最後でいいやってならない、新菜。なんてね。冗談、冗談」

 存外に真剣な声音の静歌ちゃんに、思わず顔を見やってしまう。

 私もそれは実感として分かる。大事なものが欠けたまま生活するというのが、いかに悲しくて虚しいのか。

 私は思い出したくもない何かが胸に去来して、無理矢理閉じ込めた。

 りんご飴を二人揃って食べ終えたところで、静歌ちゃんが立ち上がる。

「次は何をする? 金魚すくいで勝負する?」

 にやりと自信を覗かせた静歌ちゃんに、私も立ち上がって頷く。

「私に勝てるの、静歌ちゃん?」

「今年こそは! ちゃんと勝てる方法も考えてるんだから」

 静歌ちゃんが不敵に笑う。

 私も楽しくなってくる。

「お手並み拝見といきましょうか」

 今度は私が静歌ちゃんの手を引いて先を行く。来る時に見かけた金魚すくいの屋台までやって来た。

 先客は入れ違いで去って行ったので、私たちだけとなる。

 射的の才能が皆無の私だけど、金魚すくいだけは得意だった。私の亡くなった祖父は金魚すくいの名人で、幼い頃に受けた手ほどきでそこそこの腕前である。

 何でも器用にこなす静歌ちゃんは、何故だが金魚すくいだけはめっぽう弱かった。

 私たちは硬貨と引き換えにポイと水の入った器を受け取り、赤や黒の揺らめく魚群と対峙する。

 お互いに顔を見合わせ、目で合図を送る。同時にポイを構えた。

 私は早速赤い金魚をすくい上げ、器に逃がす。それを見て静歌ちゃんも黒い金魚をすくおうとするが、するりと逃げ去る。

 私はニ匹目の赤い金魚をすくい上げた。

「やるなぁ」

 静歌ちゃんは悔しそうに頬をふくらます。

 また手前に現れた黒金魚を追う。どうしても黒いのを取りたいらしい。

「頑張って、静歌ちゃん」

「余裕だな、金魚すくい名人め」

「私は名人じゃないよ。強いて言うなら名人の孫ですけど」

「どっちも似たようなものだよ」

 黒い金魚が静歌ちゃんのポイの真下に来た瞬間、彼女は無駄のない動作ですぐ上げようとする。しかしポイはあっけなく破れてしまった。

「ミスったー!」

「金魚すくいは私の勝ちだね」

「まだまだ。おじさん、もう一回!」

「ニ回戦行く? 私はまだ『これで』行けるけど?」

「小癪なー!」

 私は出目金を狙ってポイを動かす。しかしさすがにすでにニ匹も取っていたせいで、私のポイも穴が開いた。

 静歌ちゃんはじっと水面を見つめている。まるで猫のように息をひそめて。鋭い横顔はそれだけで一枚の絵のようだった。

「絶対、取るんだから」

 かろうじて聞き取れた小さな呟き。 

 私たちの前に黒い小さな金魚がやって来る。朱色の中にぽつんと墨のようにうねるそれに向かって、静歌ちゃんのポイが動く。

 ほんの一瞬だけ水に入ったポイはすぐに引き上げられたが、穴が空いている。

 しかし器の中には黒い流線が悠々と動き回っていた。

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

 思わず顔を見合わせる。

「と、取れた」

「やったね静歌ちゃん」

 私は彼女の細く小柄な体に抱きついた。

「どう新菜? 私だってできるんだから」

「そうだね。来年は負けちゃうかもね」

 浴衣越しに伝わる、まるで体温をなくしたかのような静歌ちゃんの体に触れながら、私は来年もまた一緒に過ごせることを願う。

 静歌ちゃんの体は小柄だ。

 小柄で細くて白くて、今にも壊れそうで、私は会うたびに不安に掻き立てられる。

「新菜〜、いつまで抱きついてるの」

「ごめん。嬉しくて」

 私は静歌ちゃんから離れた。

「おめでとう」

 屋台のおじさんから取った金魚を受け取る。私が取った小さな赤い金魚と静歌ちゃんが取った黒い金魚。 

 私たちは金魚をお供に、あちこちの屋台を冷やかして歩いた。

 美味しいものを食べたり、他愛もない話で笑ったり、お祭りを楽しんだ。

「新菜、灯籠見に行かない?」

「そう言えばまだ見てなかったね。行こうか」

 私は再び静歌ちゃんに手を引かれて、境内の奥へと向かう。

 この神社の奥には大きな池がある。人工池ではなく、天然の池だ。

 日中ならば水底を見渡せるほどに碧く透明な水面を湛えている。

 今は小さな灯籠がいくつも浮いている。

 穏やかな光を放つ灯籠の数々は幻想的で、どこか異世界への入口のようでもあった。

 見ているだけで引き込まれる幽玄な風情に、思わず感嘆がもれる。

 それでも祭りに訪れる人々は屋台の方が楽しいのか、池の周りは閑散としていた。

「すごいきれいだね、静歌ちゃん」

「うん」

 私たちはしばらく手を繋いだまま、無言で明かりが灯る池を眺めていた。

「来年も見に来ようね。再来年も。その次の年もずっと」

 私は誓いのように言葉を口にする。

 それに対して静歌ちゃんは寂しそうな瞳で私を見上げていた。

「新菜ちゃんはさ、明日で二十歳でしょ」

「そうだよ。静歌ちゃんより先に大人になっちゃうね」 

「早いよね。月日が経つのは。私も大人になりたいなぁ」

 しみじみと静歌ちゃんは言う。

「なれるよ。なれるでしょ。来年は二人大人になって、ここに来ようよ」

 胸のうちに形にはし難い不安が漂ってくる。

 それを裏付けるように静歌ちゃんは首を横に振った。

「新菜ちゃん、私を見たらそれは無理って分かるでしょ。今日で最後なの。私がここに来られるのは」

 私は突然冷水を浴びせられたかのように、体が硬直する。

「何で? 毎年毎年来てるのに何で今日で最後なんて言うの?」

「仕方がないよ。そういうものなの。私が新菜に会えるのは大人になるまで。新菜が大人になるまでだから⋯⋯」

 静歌ちゃんはうつむく。

「この子は私だと思って」

 私は黒い金魚が泳ぐ袋を手渡される。

「待って、急に会えないなんてそんなの嫌だ。だって何で? 何でなの? 今日で最後なら私たちもう⋯⋯」

 私は冷たい静歌ちゃんの手を握りしめる。

 生きた人の手ではない、その冷たい手を。

「今まで私たちが会えてたのが普通ではなかったんだよ、新菜。これは特別だった。でもそんなの永久に続くわけじゃないって、新菜だって分かっていたでしょ?」

「でも⋯⋯、でも!!!」

 ゆっくりと顔を上げた静歌ちゃんの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

 それを見て私も我慢できなくなる。

「何で死んでしまったの、静歌ちゃん。私を置いてどうして先に死んでしまったの!! 私は静歌ちゃんのことが大好きなのに。失うなんて無理だよ。また失うなんて。何で⋯⋯。何で!!!」

 

 

 あれは六年前。

 まだ私たちが中学一年生になったばかりの頃。

 あの日も二人でお祭りに行こうと約束していた。

 少し遅れた私は、息を切らしながら神社の鳥居の前に着く。

 そこには黒地に白百合の映えた浴衣姿の静歌ちゃんが待っていて、私は笑顔で手を振った。

 私たちは家が隣り同士の幼なじみで、近所の夏祭りには物心がつく前から通っていた。

 だけど数年前から静歌ちゃんは病気で入退院を繰り返していて、あの時も入院中だった。

 その日は久しぶりに外出許可が出て、静歌ちゃんは元気そうに現れた。

 私は心配だったけど、静歌ちゃんの強気の笑顔に気持ちを持ち直して、二人で屋台を巡った。

 最後に灯籠を見て、また来年もお祭りに行こうねと約束して別れた。

 それから一月もしないうちに静歌ちゃんの容態は悪化して、あっという間に帰らぬ人となってしまった。

 私も急すぎて何がなんだか分からないうちに葬儀に参加して、棺桶に横たえられた青白く痩せ細った静歌ちゃんを涙もなく見つめていた。

 彼女が死んだという実感が沸かないまま、火葬場まで行った。

 骨になった姿を見ても頭の中は呆然としていて、どこか夢を見ているような現実感のなさに包まれていた。

 それから私は何にも心を動かされることもなく、ただ静歌ちゃんがいない日常を生きるままに生きていた。

 死なないから生きているという、それだけ。

 日付はいつの間にか夏に変わっていて、そろそろお祭りだったなとぼんやりしていた。

 そんな時に携帯にメールが届いた。

 一緒にまたお祭りに行こうと誘われた。

 静歌ちゃんからだった。

 普通なら来るはずかないメール。

 来ても静歌ちゃんのわけない。

 誰かのいたずらか間違いだと思っていながら、私は浴衣を来て神社へ向かった。

 鳥居の前にはあの最後に会った日のままの浴衣姿の静歌ちゃんがいた。

『この日だけは新菜に会いに来るからね』

 変わらずに触れることができる。

 確かに去年、見送ったはずの大好きな幼なじみに。

 どうして亡くなったはずの静歌ちゃんがいるのか、どうして今日だけは会えるのか。

 私は考えなかった。

 考えても答えなんて出そうになかったし、何より静歌ちゃんに会えるなら理由なんて必要なかった。

 まるで七夕の彦星と織姫みたいに一年に一度しか会えなくても、また一緒に過ごせるなら何でも良かった。

 こうして私たちは年に一度の逢瀬を重ねてきた。

 これからもそれは続くのだと思っていた。

 

 

「ねぇ、新菜」

 静歌ちゃんが優しく私の手を握りしめる。

「私はね、どうしてか分からないけど、こうやって毎年、新菜に会えて良かったって思ってるよ。何もお別れも言えずに逝っちゃったからね、私。できるなら私も新菜と一緒に大人になりたかったよ。私だって新菜が大好きなんだよ。もっと二人で遊びたかった。話したかった。色んなところに出かけて、色んなものを見て、二人でずっと分かちあいたかったよ。でも人生というのは平等にみんなが同じ道を歩むわけじゃないから」

「だからって静歌ちゃんが私よりずっと先に逝ってしまうなんて、そんなの⋯⋯。そんなのってないよ⋯⋯」

「理不尽かもしれないね。でもそういうものなんだよ、新菜」

「⋯⋯どうしたら、どうしたらまた来年も会えるの?」

「来年は、ないよ。言ったでしょ。新菜はこの先も歩いて行かなくちゃいけない。死んだ私の分まで、もっと遠くへ。私はもう行けないから」

 静歌ちゃんの言ってることは分かる。だけど分かりたくなくて、否定したくて、でもそんなことできなくて。

 このお祭りの日は特別だから。

 今日だけが特別だから、もうこれ以上は望んだらいけないんだって分かっている。

 私の月日は否応なく進んでいるし、静歌ちゃんはあの頃のままで止まっている。

 同じ時間を生きていくことはできない。

 私もできるならこのまま止まってしまいたい。

 でもそれだけは思ってはいけない。

「来年もまた静歌ちゃんに会えるような気がするよ。だって去年だって一昨年だって会えたんだから」

「うん。こうして話せなくてもきっとね、私は新菜に会いに来るよ。私たちは近くて遠いところにいるの。それがたまたま今日というお祭りの日だけは同じ場所になっただけ。この先、私たちの時間が重ならなくても、きっとそこに私はいるから。新菜ちゃんが忘れない限り」

「私は静歌ちゃんのこと、忘れない。忘れられるわけがない」

「ありがとう、新菜。私のこと覚えていてね。でもね、もし忘れたとしてもそれは新菜ちゃんが自分の人生をちゃんと生きている証だからね。そのことも忘れないでいてね」

 私は刻々とお祭りが終わりに近づいているのを感じている。

 池の反対側には同じ法被を纏った人たちが、灯籠をかき集めていた。

 明かりはだんだんと少なくなっていく。

 いつもここで別れて、また来年も会おうねと約束した。そして次の年も、また次の年も繰り返された約束。

「静歌ちゃん、来年も私は鳥居のところで待つよ。行くから」

「うん。楽しみにしてる」

 静歌ちゃんは静歌ちゃんらしい、明るい笑顔を残して消えた。         

   

 

 

 

 

 二十歳になって初めての夏祭り。

 私は浴衣を着て、賑わう人波をかき分けて、いつもの待ち合わせ時間に少し遅れて到着する。

 鳥居の下には白い百合が咲いていた。

 まるで手招きするように、風に揺れている。

「また会えた。会えたよね」

 私の小さな呟きはお囃子に流され、宵闇に消えていった。    

   

        

              

   

    

  

         

            

    

    


 

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夏祭り 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

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