第3話 甘くならない出征前日

寝てしまっていたヤムさんは目を覚ましたとき、目の前にいるはずのリーさんの姿がなかった。


慌てたヤムさんを後ろで見ていたリーさんは面白がり、その背中に飛びついた。


「ヤムさん、おはよう」


リーさんに飛びつかれたヤムさんは、そのままリーさんを押し倒した。


リーさんはびっくりしていたが、そのままヤムさんにされるがままにキスを受け止めた。


いつもはほんの数秒重ねるキス。


だが、ヤムさんがあまりに長くするものだから、リーさんは堪らず、笑い始めてしまった。


そんなリーさんに構わず、再びヤムさんはキスをした。


笑っていることもあって、息が出来なくなったリーさんがヤムさんを叩く。


「ごめん」


ヤムさんにようやく解放されたリーさんは、「もぅ」と軽く怒って、ヤムさんに起こすように促した。


リーさんは起こしてもらうつもりだったのだが、ヤムさんによってお姫様抱っこされ、そのままベッドへ連れられた。


「ちょっ・・・ヤムさん!!」


止まらないヤムさんに、困惑するリーさん。


力では男のヤムさんに敵うはずがない。

抵抗しても、その抵抗すら受け流されてしまう。


あっという間にヤムさんの為されるがまま。



ヤムさんが我を見失ったようになったのは、これが初めてだった。


いつもは絶対にリーさんの様子を見てるし、リーさんの抵抗を無視したりなんかしない。



リーさんは、ヤムさんの様子の違和感に気が付いて、そんなヤムさんをそのまま受け入れた。


ヤムさんの不安や恐怖がヤムさんをそうさせているのだろう、とリーさんは感じた。


無理矢理なキスをしてくるヤムさんを、リーさんは出せるだけの力で抱きしめた。


いつもと違うヤムさんに翻弄されて、リーさんは抱きしめる力が抜けそうになる。


それでもリーさんはヤムさんとの口付けを離れないように強く抱きし続けた。


リーさんの意識は何度か途切れそうになる意識の中でも、ヤムさんとの口付けを離さないことだけに集中していた。


ヤムさんが落ち着いたのは、陽が真上に登る頃だった。


ヤムさんの力が抜けて、リーさんの横に転がった。

リーさんは息を整えながらも、横に転がったヤムさんの身体に寄り添った。


リーさんは起き上がれそうになかった。

我を失ったヤムさんの相手をしたのが、初めてだったからだ。


ヤムさんの声がした。


「ごめん」


いつものように優しく髪を撫でながら、ヤムさんが言った。


「リーさん、愛してる」


リーさんは涙が止まらなかった。


覚悟を決めてから、ヤムさんの前では泣かないと決めていた涙が溢れ出した。


「リーさん、愛してる」


ヤムさんは何度も何度も言ってくれた。


「起き上がれる?」


寝転がったままのヤムさんに聞かれて、リーさんは首を横に振った。


ヤムさんはリーさんを抱き寄せられて、そばにあったシーツに包んだ。そして、自分の膝の上に座らせた。


ヤムさんはリーさんの手をシーツから出して、されるがままのリーさんの手に昨日用意した小さなプレゼント箱を載せた。


リーさんは驚いて、ヤムさんの顔と箱を見比べた。


ヤムさんはリーさんの手のひらの上の箱のリボンを解いて、中身を取り出した。


そして、中の指輪をリーさんの指にはめた。


リーさんはその指輪と指輪のはまった指輪、言葉にならない喜びと驚きの表情で見つめていた。


「リーさん、俺の妻になってください」


それはヤムさんからリーさんへの二度目のプロポーズだった。


リーさんは泣きながら、笑顔でヤムさんの方を見て、「はい」とひとつ返事をした。



このまま時間が止まればいいのに。



ヤムさんにとっても、リーさんにとっても、そう思えるくらい幸せな時間だった。


その後、深いキスをした。



ヤムさんはリーさんのお気に入りのワンピースを用意し、それに着替えさせた。


ヤムさんはリーさんが好きと言っていたトップスとボトムスに着替えた。


そのまま、デートに出ようかと思ったのだが、リーさんがまともに歩けそうになかったので、家で過ごすことにした。


夕方になり、ノックする音がして、リーさんの親友ユンさんが来た。


「遊びに来た〜〜〜」


彼女の軽いノリは、とても明日リーさんが出征すると知っているとは思えない。


「リーさん、聞いてよ」


ヤムさんはユンさんに追い払われて、家の外に出た。

ヤムさんの家は、4階建てのアパートの3階で外に出ると、西側から街が少し見えるのだ。


あちこちで煙が上がっていた。

どこか焦げ臭いような匂いも漂っている。


階段を降りて、外の様子を確認しに行こうとしてたが、階段には軍服姿のツーガイが立っていた。


「まだ行ってはダメだ」


「何だよ、それ」


「お前がリーさんを守れなくなる」


ツーガイはそれだけしか言わなかった。

大人しくそのまま何も分からない状況のまま、外を見るしか出来なかった。


見ていたら、スマホが震えた。


着信は母だった。


『ヤムさん、大丈夫なの??!』


「え?あぁ、大丈夫」


電話を始めたのをツーガイに怪訝そうに見られて、ヤムさんは戸惑った。


『ほんと?なら、よかったわ。リーさんは??』


「元気だよ」


『そう、よかった。突然、出征のニュースなんて見たからびっくりしたのよ』


【出征】の言葉にドキッとして、思わずツーガイを見たら、もっと怪訝そうな表情を濃くされたヤムさんは、適当に誤魔化して電話を切った。


「言わなかったんだな」


ツーガイの言葉がヤムさんに重くのしかかった。


「言わなくて正解だったぞ」


ツーガイはただそれだけを言った。


夜になり、ヤムさんは家に戻った。


寝てしまったリーさんの隣で、まるで赤子を見守る母のようにユンさんが座っていた。


「ごめん。リーさん寝ちゃった」


小さな声でユンさんが言った。

そんなユンさんに開けた缶ビールをユンさんは渡した。


「ありがとう」


受け取ったユンさんは、ゆっくりだが、それを飲み干した。


「何話してたの?」


ヤムさんがユンさんに聞いた。


「ん?指輪のこと。いいでしょ?って自慢してたよ」


ユンさんは優しくリーさんも見ながら、ヤムさんに伝えた。


「そっか。よかった」


「やるじゃん、ヤムさん」


ユンさんはリーさんの同い年にも関わらず、リーさんのことをずっと見守っていた。


2人が同い年とはユンさんのリーさんを見る目からは、到底見えない。


そんなユンさんからある時、ヤムさんは言われたのだ。


「リーさんを頼む」と。


それはリーさんがヤムさんに告白した日だった。


「ヤムさん、もういいよ。リーさんのこと」


まるで肩の荷を下ろしていいのだと言うように、ユンさんがヤムさんに言った。


ヤムさんは、何も言えなかった。


ユンさんは帰れるギリギリの時間まで、リーさんの寝顔を見て、「ちゃんと寝なよ、ヤムさん」との言葉を残して帰っていった。



ヤムさんはリーさんの大好きなものを部屋中から集めた。


大好きなワンピース。

大好きなな小物。

大好きなタオル。

大好きな香水。

大好きな石鹸。

大好きな・・・



集めて初めて知ったのだ、ヤムさんの私物以外、全てリーさんの大好きなモノだったことを。



ヤムさんはまだ泣かないと決めて、それらの中でリーさんが持って行けそうなものを出征用のリュックサックに忍ばせた。


その日は、リーさんを抱きしめながら眠った。




***





翌朝、それはやってきた。

まだ眠っていたヤムさんとリーさんの元へ激しくノックする音がした。



「おいっ!開けろ!!」


ツーガイの声だ。


リーさんを寝かせたまま、ヤムさんはベッドから出た。


「何だよ」


「時間だ。リーさんを連れて行く」



ツーガイは「すまん」と小声で詫びると、リーさんを起こして、簡易的な軍服を渡した。


「5分だ」


ツーガイはそう言うと、外に出た。


リーさんはさっさと着替えを済ませると、ヤムさんに近付いてキスをした。


「ヤムさん。わたしは大丈夫だよ」


ヤムさんはリーさんを抱きしめた。


リーさんが絶対に好まない服。

リーさんなら絶対に選ばない荷物達。


そんなリーさんを見て、ヤムさんは窓の外へ一緒に飛び降りてしまいたかった。



「時間だ」


ノックもなく、ツーガイが扉を開けた。


「準備は良いか」


ツーガイがリーさんに問う。


「はい」


「では、ヤムさんに敬礼!!」


ツーガイがリーさんにそう命じた。


リーさんはびっくりしていたが、ヤムさんに敬礼した。


恐怖で涙を溢れ出すリーさんに、ヤムさんも敬礼で返すしかなかった。


ツーガイに連れられて、リーさんは出征していった。

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彼女が出征する日 岸井かなえ @kanae_ks

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