発端

奨武祭

 ──暑い武道場の空気を怒号が切り裂いた。


「キサマッ、それが武人のやることかっ!」


「卑怯者!」


 口々にがなり立てる野次馬達を無視して、宗舟そうしゅうは目の前で倒れている男を見下ろしていた。

 

 たった今、彼はこの男と戦い、勝利した。

 しかし彼の勝利を讃える者は、広い武道場を埋め尽くす人の海の中、ただの一人もいなかった。

 周囲の人間は敗者に駆け寄り、


「センセイ、センセイ」


 と、横たわった者の身を案じている。


 宗舟はその様子をつまらなそうに見つめていた。汗ひとつかいていない。

 ふと、彼の肩を叩く者がある。

 振り返れば、そこには紺の袴と白い胴着に身を包んだ男が立っている。倒れている男と同じ衣装だ。

 背は宗舟ほどは高くない。身長180センチの宗舟より拳ひとつ低い位置に目線がある。が、それでも175センチはありそうだった。

 女受けしそうな、端正な顔に微笑を浮かべていた。


「今の試合、美しい勝利とは言えませんね」


 落ち着いた声だった。

 批難するのではなく、ただ事実を述べている、そういった感じである。


「そうかい」


 宗舟の声も落ち着いていた。


「ええ」


「俺のやり方は汚いか?」


「とんでもない。尋常な勝負でした。ただ、あなたの勝ち方では意味がない」


「意味がない?」


「ええ。あれではまるで愚連隊の喧嘩です。武術の試合と呼ぶにはあまりに洗練されていない」


「喧嘩と試合は別物と言いたいか。しかしな、俺にとってはどちらも勝負。勝つか負けるか、それだけのこと」


「そうですか」


 男は何か考えるように数秒沈黙した。


「・・・・・・私の意見としては、喧嘩は殺し合いの手前、実戦です。必ず勝たなくてはなりません。ですが試合はあくまで試し合い、お互いの修練の為にあるものと思っています。この奨武祭しょうぶさいも各人の技量を高める為に行われるもの。何をしても勝てばいいというものではないはずです。それをあのようなつまらない技で」


「そのつまらない技に遅れをとるような、ちんけな技術を磨くのが武術の本懐か?」


「勘違いしないで頂きたい。あなたが勝ったのは単に相手が弱かっただけのこと」


「そこまで言うなら、是非あんたとも手合わせ願いたいもんだ」


「私と?」


 男は驚いたような声で言うと、高く笑った。


「なにがそんなに可笑しい」


「いえ、すみません。ただ──」


 男は涙を指で拭きながら続けた。


「あまりに無謀すぎるので」


 男は笑いを必死に堪えながら言った。


「なに・・・・・・?」


「怒りましたか? しかしこれは事実です。あなたでは私に勝てない」


 男が言い終えた瞬間、宗舟の右脚が地面を蹴って跳ね上がっていた──。


 明治三十八年八月四日、京都での出来事である。

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