第44話 エミリ救出作戦―11
霞む視界とふらつく足で、至る所から湧いてくる兵士たちを避けるように進む。いや、違う。脱出経路は完全に塞がれ、俺たちはひたすら上へ上へと追い込まれていた。
エミリもここがどこなのかはわかっていないらしく、俺を支えながら進む横顔が不安げだ。俺はといえば、視界がぼんやりと霞んでいてよく見えない。足を動かすのがやっとで走ることなんてもう出来なかった。ただエミリに支えられ、手を引かれるままだ。
兵士たちに追い詰められながら、行き当たりばったりに正面の扉を開ける。一歩扉の先に足を踏み入れると、途端に夜風が吹き付けてきた。
その冷たさに驚いて、俺は辺りを見回す。
「ここは……」
今俺たちがいるところからは、城下町の様子が一望できた。ロジクルさんが教えてくれた城の地図を思い出す。きっと、ここは最上階のテラスだ。脱出するつもりだったのに、階段を上っているうちにこんなところまで来てしまったらしい。
「そんな……っ」
エミリが悲痛に呟いて、テラスの奥へと歩み寄っていく。進んでも下へ下る階段は見当たらない。引き返そうにも扉の外には兵士がいる。袋小路だ。
そう思った瞬間、がくりと膝をついてしまった。諦めたわけじゃない。まだ俺は諦めたくない。それなのに体が重くていうことを聞いてくれなかった。
「陽翔」とエミリが俺に駆け寄ってきたとき、
「こんなところまでご苦労様ねぇ」
聞き覚えのない女の声が聞こえてきた。顔を上げると、兵士を二人横に従えた女が、テラスに入ってきたところだった。女は煌びやかなドレスに身を包んでいる。その姿を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
その女は、まるでこの世のものとは思えない美しさと妖しさを纏っていた。一目でわかった。目の前にいるこの女こそが、女王なのだと。
女王は俺たちを見て嗤う。
「一部始終は見させてもらったわ。そこのあなた、よく頑張ったわねぇ。好きな女の子のために命を張ってこんなところまで来たんでしょう。作戦はとってもお粗末なものだったけど、面白い子だと思ったから、殺さないでここへ連れてくるように命じたのよ」
まあ、そんなところだろう。尖塔に見張りがいなかった理由も、フラフラですぐに殺せそうな俺を殺さずにここまで追い詰めた理由も。俺たちは、女王のところまで誘導されていたのだ。
「だって素敵じゃない。人間界からこのエストレイン城まで追いかけてくるなんて、そうそう出来ることじゃないわ」
「……!」
俺が目を見開くと、女王は「驚いているの?」とまた嗤った。
「私がわからないとでも思った? 一目見たら、人間だってすぐにわかるわ。それに……その子が最近深い関わりをもった存在なんて、人間しかいないもの」
女王がエミリに視線を流した瞬間、エミリがびくりと体を震わせた。俺の腕を掴むエミリの力が、痛々しいくらいに強くなる。
「や、めて……」
「なぁに? よく聞こえなかったわ」
「やめて、ください。わっ、私、今すぐに塔に戻ります。もう二度と部屋の外に出たりしません。女王様の命令にも逆らいません。だから……だから、陽翔には何もしないで……!」
今にも泣きだしそうな声で、エミリが懇願する。エミリが、家族と一緒に捕らえられた時のことを思い出しているのは明らかだった。しかし女王は首を傾げる。
「何もしないで? 私が何もしなくとも、その男の子は死ぬじゃない。もう一時間も持たないって、見ればわかるでしょう?」
「っ!!」
「フフッ……。それに、お前は一つ大きな勘違いをしているわ。お前が人間界から戻ってきて私に報告をしたときから、お前の仕事はすべて終わっているの。お前があの狭苦しい部屋に戻ろうが、それは私にとって何の意味も持たない」
エミリはただ茫然と女王を見つめていた。こんな状況でも俺たちを見下ろす女王の姿は美しく、気を抜くと今にも飲み込まれてしまいそうな気がした。ゴンゴさんの訴えが退けられてしまったのも今なら頷ける気がする。魔物だとわかっていようが、皆この人の妖しい魅力に飲み込まれてしまうのだ。
女王が手を上げると、隣に控えていた兵士が弓を構えた。光が集まっていき、神々しい輝きを放ち始める。
ゴンゴさんから女王が魔物だという話を聞いた時は、俺は女王を救うつもりでいた。俺に宿っていた魔素を吸収する能力で、女王を正気に戻そうって。
でも今の俺にはそんな力はない。今の俺だと、女王のところへ辿り着く前に死ぬだろう。かといって何もしなければ、光の矢にエミリ共々射殺されて終わり。そんなのどっちも願い下げだ。
俺は歯を食いしばると、全身の力を振り絞って立ち上がった。両手を広げてエミリの前に立ちはだかる。
「ふざけんなよ……。俺は、エミリと一緒に帰るんだよ……!」
「その体で? あなたが一番よくわかっているでしょう? 自分の体は限界だってこと。私はすぐにあなたを楽にしてあげようと思っているのに、どうしてわかってくれないのかしら」
「限界じゃない! 俺は、まだ――」
無理やり叫んだとき、腹の辺りに激痛が走った。それ以上言葉を紡げなくなって咳き込んだ。地面に赤色の点がまばらに散った。口元を拭った腕も、痣が広がって黒く染まっている。
「ああ、あなたを見ていると、彼のことを思い出してしまうわ。彼もあなたにそっくりで、何度断っても諦めてくれなかったのよ。身分が違うからって私が身を引いても、彼は私を追いかけてきてくれた。あの時は嬉しかったわ……」
女王の声が遠くから聞こえる。もうどこが痛いのかもわからず、朦朧とする意識を必死で繋ぎ止める。エミリはそんな俺をずっと隣で支えてくれている。
「でも、彼はもう……」
そんなギリギリの状態だったのに、女王の顔が狂気的な笑みに歪んだのはハッキリと分かった。その目がエミリを捉える。
「そうね。彼とそこの男の子が似ているように、私とお前も似ているのよ。今の気持ちはどうかしら。愛する人を魔素で失う悲しみは? 望まぬ奇跡で自分だけ生きながらえてしまう苦しみは!? 嫌だ嫌だ嫌だ辛い辛い辛い辛い!! この気持ちがお前にはわからぬか混血!!!」
豹変した女王は頭を掻きむしり、吠えるように叫んだ。俺は隣で震えるエミリの手を力いっぱい握った。大丈夫。俺はいなくならない。だからそんな顔……。
その時、どこからか誰かの歌声が風に乗って運ばれてきた。
『星の輝きが曇るとき 光をもたらすものは愛
すべて正しきに導く者と すべて受け入れる広き者
世界を超えしその愛は 希望の元に巡り逢わん
どうか我らをお守りください 我らの世界に光あれ』
俺の空耳かと思った。だって、近くにいる人の声もハッキリと聞こえない状態で、どこの誰が歌っているかもわからない小さな歌声が聞こえるはずがないと思ったから。
でも違った。エミリもどこからか届けられた歌に耳を澄ましていた。
俺の脳裏に、ロジクルさんの言葉がよみがえる。
『陽翔とエミリこそが、今のこの世界を救う。そのように思えてならないのだよ』
もしそれが本当なのだとしたら。俺たちが永い間歌い継がれてきた存在なら。
俺たちは、ここで死ぬような運命じゃない。何か奇跡を起こせるはずだ。
俺はエミリを見る。エミリも俺を見ていた。正面では女王と弓を構えた兵士が二人。背後には城下町。絶体絶命だ。でも、だからこそ、きっと俺たちは迷わなかった。
「エミリ」と名前を呼ぶ。彼女の澄んだ瞳をまっすぐに見つめて、
「俺を信じてくれるか?」
何の躊躇いもなく、エミリは微笑む。今だけは全身の苦痛も忘れて、俺は立ち上がった。エミリと強く手を繋ぐ。
「なんだ? 奴らを殺せ!!」
女王の声に背を向けた。すぐ隣に君がいる。何も怖いことなんてない。
俺とエミリは互いに顔を見合わせると、迷わずに夜の城下町へと飛び降りた。
俺たちの体は、どんどん城下町へ吸い込まれていく。俺は落下しながら、エミリを追いかけて飛び降りたあの時を思い出していた。
でも、今はあの時とは全然違う。俺は隣にいるエミリに「大丈夫?」と声をかけた。
「怖くないか?」
「うん。一人で飛び降りた時は怖かったけど、今は陽翔がいるから。なんにも怖くないよ」
ほんの数センチの距離の先で、エミリは微笑む。風にはためく白い髪も、俺を映す青色の瞳も、彼女のすべてが綺麗だった。
不意に、あの夕暮れの通学路が脳裏をよぎった。アイスのソーダの匂いと、エミリの切なげな微笑みを思い出す。
エミリが勇気を出して伝えてくれた言葉に応えられるのは、今この瞬間しかない気がした。
「返事、遅くなってごめんな」
真っ逆さまの二人の世界で、俺はエミリの頬にそっと手を伸ばす。
「俺も好きだよ」
そしてそっと、彼女にキスをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます