第45話 俺と君とこの世界と

 その瞬間、辺りが真っ白な光に包まれた。反射的に目を瞑ってしまう。


 瞼越しでも感じられるほどの眩しさだ。一体何が起きたんだと思っていると、次にやってきたのは体験したことのない浮遊感だった。見えない手で優しく上へ引っ張り上げられたような、不思議な感覚。


 ゆっくりと瞼を持ち上げた俺は、目の前に広がる光景に息を呑んだ。


「すごい……」


 隣でエミリが呟く。

 俺とエミリは、光に包まれて宙に浮かんでいた。ついさっきまでは地面が間近に迫ってきていたのに、今俺たちが浮かんでいるのは城のテラスよりも高い位置だ。城下町だけじゃない。もっと向こうの世界まで見渡せるような気がする。


 俺が壮大な景色に見とれていると、エミリが「陽翔!」と声を上げた。


「魔素が抜けていってる……?」


 エミリの声に自分の腕を見ると、俺の腕から痣が消えていた。さっきまでこの体を蝕んでいた苦痛も、綺麗さっぱり消えてなくなっている。

 この謎の白い光のせいかと思ったけど、すぐに違うと気づく。俺は繋いだ手にぎゅっと力を込めた。


「エミリ。これ、エミリの力だよ。エミリが俺の魔素を分解してくれたんだ」

「えっ? でも、私の力は他の人に対しては使えないはずじゃ……」

「奇跡が起きてるんだよ!」


 無意識のうちに声が大きくなっていた。エミリがぱちくりと目を丸くする。


「俺たちが死ななかったのも、エミリの力が俺を助けてくれたのも、全部奇跡だ」

「これ、陽翔が魔道具を使ったんじゃないんだ」

「こんな大掛かりなこと俺が出来るわけないじゃん。エミリ、ロジクルさんに教えてもらった歌、覚えてるよな」

「うん」


 エミリはまだ状況を飲み込めていない様子で頷く。俺は視界いっぱいに広がるこの世界へ視線を移した。


「ロジクルさんが言うには、あの歌が示してるのは俺たちらしい。俺も半信半疑だったけど、今こうして俺たちが生きてるってことは多分そういうことなんだろう」

「……ってことは、つまり」

「俺たちでパパッとこの世界を救っちゃおうぜってこと」


 俺はにっと笑って見せた。エミリははにかんで「まだあんまり信じられないけど」と首を傾げる。


「私のこの力が誰かの役に立つのなら、こんなに嬉しいことなんてないよ」


 俺とエミリは互いに頷き合うと、空いている方の手を高く天へ突き上げた。




 その瞬間、世界に光が駆け抜けた。穢れのない澄みきった光が、魔素に侵された世界を照らす。

 今にも枯れそうな草木も、体を蝕まれて苦しんでいる大勢の人にも、光は等しく優しく降り注いだ。


 その神々しいまでの景色は、数年間にわたる苦しい時代が終わるときが来たのだと人々に伝えるには十分すぎるほど美しかった。




 パワーアップした俺の力で世界中の魔素を吸収し、エミリの力でその魔素をすべて無に帰す。よく出来たシステムだ。これが、ずっと昔から歌い継がれてきた力。こうして実際に空に浮かんでいても、俺にその力があるなんて全然実感が湧かないけど。


「もうそろそろ終わりかな」


 しばらく経って俺が腕を下ろすと、隣でエミリが「まだだよ」と静かに呟いた。その視線は、俺たちの下――テラスに向けられている。


「まだ、助けないといけない人がいる」


 光を纏ったエミリが、ゆっくりとテラスへ降りていく。その姿はさながら天使だ。いや、俺のノロケとかじゃなく。ちょっと見とれていた俺は、慌ててエミリの後を追った。


 エミリは、テラスでしゃがみ込んでいた。その傍らには、苦悶の声を上げてのたうち回っている女王がいる。


 俺が隣に降りると、エミリが女王の額に手を当てて俺を見上げた。


「陽翔、この人が最後。早く助けなきゃ」


 そのあまりにも真っすぐな眼差しを受け、俺は一瞬動きを止めてしまった。俺も女王を助けなくちゃいけないとは思っていた。それなのに。


 エミリは俺の考えを読み取ったのか、ふっと息を吐きだして笑う。


「たしかに、この人は私達に酷いことをしたよ。でもこの人も魔素で苦しんでた。悪いのは全部魔素で、この人も被害者なの。私は絶対にこの人を助けたいよ」


 お願い、と言ったエミリの声に揺らぎはない。

 そうだ。エミリがそんなことを気にするはずがないじゃないか。躊躇ってしまった自分が恥ずかしい。


「わかった。ごめん」


 俺は女王に向けて手を伸ばした。女王の体から紫色の霧、魔素が噴き出してくる。その夥しい量にエミリは少しも動じなかった。

 エミリが抱きしめるように腕を広げると、魔素は瞬く間に光の粒へと姿を変えた。光の粒はくるくると空へ昇っていく。


「う……っ」


 女王が呻いて、うっすらと目を開けた。エミリが「大丈夫ですか!?」とその顔を覗き込む。


「あ……」


 女王はエミリを見て目を見開くと、やがて微かに微笑んだ。


「ごめ……なさい。ありがとう……」


 そのまま、ぐったりと目を閉じた。慌てて駆け寄ってきた兵士に、エミリが「大丈夫ですよ」と声をかける。


「気を失っただけです。静かに眠っていれば、きっと目を覚ますはずです」

「あ、ああ」


 二人の兵士は互いに頷き合うと、俺たちに頭を下げた。


「ありがとう。本当に、ありがとうございます……!」


 そして、すぐに女王を抱えてテラスを出て行く。


 ついさっきまで殺されかかっていた人たちにお礼を言われるのは何だか不思議な感覚で、俺とエミリはボケっとしたまま顔を見合わせた。それからほぼ同時に笑い始める。


 俺は笑いながら、エミリに手を差し伸べた。いつの間にか、俺たちを包んでいた光は消えている。もう奇跡の時間はおしまいだ。


「行こう、エミリ。俺たちを待ってる人たちに、早く無事な顔見せないとな」

「ふふっ、うん!」


 エミリの白い手が、俺の手をしっかりと掴んだ。





「陽翔!」


 城を出た途端、メアの声が俺を出迎えた。すぐにメアが飛びついてくる。


「よかった、陽翔もエミリも生きて帰ってきて、本当によかったぁ……っ」


 絞り出すような微かな声で、メアが呟く。メアの体から痣は綺麗さっぱりなくなっていて、その姿は少し見慣れない。


 俺はメアの頭に手を乗せると、軽くなでた。


「心配かけてごめんな。おかげさまで無事に帰ってこられたよ。ありがとう」

「うん……」


 頷いてから、メアがゆっくりと俺から離れる。……やたらと服が濡れてるんだけど、まさか鼻水とか拭いてないよな?


 俺は顔を上げた。俺たちの目の前には、エレンとロジクルさん、そして初めて会うのにどこか見覚えのある顔の人が三人いた。


 そのうちの一人の女の人が、「エミリ」と優しく微笑んで呼びかける。その声を聞いたエミリの顔が――今までずっと気丈に微笑んでいたその顔が、くしゃりと歪んだ。


「……っ、お母さぁん!!」


 エミリが走り出す。その人に抱き着いた。ぼろぼろと涙を零しながら泣きじゃくるエミリに、お父さんとおばあさんらしき人が歩み寄る。


 ロジクルさんだけは俺の方へ歩いてきて、「ありがとう」と声をかけてきた。


「やはり私の考えは正しかったようだね。陽翔とエミリがこの世界を魔素から救ってくれた。おかげで私は魔素のない世界で家族と再会することが出来たよ」

「違うよ、ロジクルさん」


 俺は首を振る。


「俺とエミリだけじゃ成し遂げられなかった。ロジクルさんたちが力を貸してくれたから、この勝利があるんだよ」


 心の底からそう思う。ロジクルさんは俺の言葉に目を細めて、本当に幸せそうに頷く。


「ああ。そうだね」

「ほら、俺のことなんていいから、早く家族のところに行ってあげなよ。みんなロジクルさんのこと待ってるって」

「はは、わかったよ。それじゃ、本当にありがとう」


 ロジクルさんは、笑いながら俺に背を向ける。家族の元へ歩いていくロジクルさんを見て、俺とメアもエレンのところへと向かった。


 エレンは額に赤い血の跡を残したまま、「お疲れ」と手を上げた。その両手には血が滲んだ布が巻かれている。見るからに痛々しい。


「すごいね。君たちは世界を救った英雄だよ」

「いや、そんなことより怪我は大丈夫なのかよ!? ボロッボロじゃん」

「それを言ったら陽翔の方こそ。肩とか真っ赤に染まってるけど、絶対大丈夫じゃないだろ」

「今回の計画で一番怪我したの、陽翔かお兄ね」


 メアが腕組をして言う。擦り傷や痣は少し見えるけど、俺たちに比べたら全然傷は少ない。ここに来て才能の差を見せつけられるというか……。


 だから、とエレンが眼鏡をはずして笑った。


「ごめんとか絶対に言うなよ。僕たちが求めてるのは、もっと別の言葉なんだからさ」

「……おう」


 俺は頷くと、メアとエレンの肩に腕を回した。全力で叫ぶ。


「ありがとう! 二人とも俺の最っっ高の仲間だ!! 痛ってえ!!!」


 急に負傷した肩を動かしたせいで、痛みがぶり返してきた。俺は痛みに絶叫してその場に倒れこむ。


「あーあ、締まらないんだから」

「陽翔らしい気もするけどね。僕も気が緩んだからか、体のあちこちが痛くなってきたなぁ」


 メアもエレンも俺の隣に腰を下ろす。俺は痛みと恥ずかしさに呻きながらも体を起こす。そのうちにエミリもやってきて、「ここいいかな」と俺の隣に座った。


「ん、家族とはもう話さなくていいのか?」

「うん。これからはたくさん話す時間があるだろうし、そこのお二人にもお礼が言いたいから。本当にありがとうございました」


 エミリはエレンとメアに向かって頭を下げる。二人が「どういたしまして」と笑った時、視界がぱっとカラフルに染まった。すぐに聞こえてきた破裂音に、俺たちは揃って顔を上げる。


 見上げた夜空には、特大の花火が浮かんでいた。てっきり使い果たしたと思ってたのに、リーダーたち、どうやらフィナーレのために取っておいたらしい。なかなか粋な真似をしてくれる。


 「綺麗だな」と俺は誰にともなく呟いた。今は、傷の痛みも疲労もすべてが心地よい。達成感に包まれながら、俺は辺りを見回す。


 エミリ。メア。エレン。ロジクルさんに、エミリの家族。計画を手伝ってくれたリーダーやパクレさん、ガッシュさん、ゴンゴさんにその他にもたくさん。いつの間にか、俺の周りにはこんなにもたくさんの人がいた。


 夜の城下町を華やかに照らす花火を見上げながら、俺は長い冒険が終わったことを知った。


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