第35話 エミリ救出作戦―②
ドォン、と重い音が辺りに響く。俺は「始まった」と顔を上げた。
窓がないから外の様子は窺えないけど、間違いなくリーダーたちが作戦を開始したのだろう。ありがたい。
じっと耳を澄ましていると、複数の足音と共に会話も微かに聞こえてきた。
「あれは何なんだ? まさか爆弾じゃないよな!?」
「わかんねぇから駆り出されるんだろうが! さっさとしないと減給だぞ」
「アイツら、最近大人しかったのは今日の準備のためだったのか……?」
足音と会話が遠ざかっていく。聞いた感じ、結構な人数が外へ出て行ったようだ。今のところいい調子だろう。
やがて、ドアが開いてメアが入ってきた。
「お兄も十人くらい引き付けてる。今のうちに行けるところまで行くわよ」
「オッケー。ロジクルさん、案内お願い」
『了解した』
俺は立ち上がると、箱の外に出た。ずっと身を屈めていたせいか背中が痛い。伸びをしていると、メアが何か言いたげな目で俺を見ていた。
「ずっと思ってたんだけど、その恰好動きづらくない?」
「あー、これ」
俺は制服のシャツを指先で摘まんだ。今の俺は、しばらくぶりに制服を着て、剣の鞘を背負って紐で固定している。我ながらトンチキな格好だ。
「シャツだけだからそこまで動きづらくはないよ。この剣も欠かせない大事な魔道具だし、何よりエミリを迎えにいくなら制服着て行かないとな」
きっぱりと言うと、メアは「そう」と俺に背を向けた。数歩歩いてから、またくるりとこちらを振り返る。
「陽翔はアタシがちゃんと守るから、アンタは自分の役目のことだけ考えなさいよね」
年下の女の子からの「守るから」なんて言葉が、あまりにも頼もしすぎて、俺は思わず笑ってしまう。
「ありがと。メアがいれば百人力だよ」
メアは満足そうににっと笑うと、俺に背を向けて歩き出した。
初めて見る城の内装は想像以上に煌びやかで、掃除にどれだけの手間がかかっているのだろうかと考えずにはいられないほどだ。でも今はそんなことを考えている余裕はないから、ペンダントから聞こえる声に意識を向ける。
『物置は二階の西の方だったね。そこからまっすぐに東へ向かって、突き当りの階段を上って』
俺とメアはすぐに廊下を走り出した。絨毯のおかげで足音を気にする必要がない。それに、研究室が集まっているこの階は、外に出ている人がいなかった。
難なく東の階段を登り切った俺とメアは、ペンダントに呼びかける。
「ロジクルさん、上り切っ――」
そこまで言った時、向こうから兵士らしい人物が二人歩いてくるのが見えた。まだお互いに視認出来るかどうかといった距離だ。メアが即座に辺りを見回し、「こっち!」と俺の腕を引いた。瞬発力なんかも強化されているらしい。
俺はメアに手を引かれるがままに走り、近くにあった彫刻の陰に体を滑り込ませた。俺たちは彫刻の後ろにピッタリと貼りつき、息を殺して兵士たちが通り過ぎるのを待つ。
「町の方に駆り出されなくて良かったな。向こう絶対面倒なことになってるって」
「だよな。あー、早く仕事上がって酒飲みてー」
無気力な二人は、タラタラと俺たちの前を歩いていく。俺たちに気づく様子はまったくない。多分、俺たちのせいであの人たちが早く上がれることはないだろう。ごめんなさい。
二人が完全に通り過ぎたのを確認して、俺とメアは大きく息を吐きだした。
『その様子だと、見つかるのも時間の問題だね。次の階段はこの階の中央にあるよ』
「わかった」
ロジクルさんの記憶によると、四階の渡り廊下から尖塔に渡れるんじゃないかということだった。ひとまず目指すのはそこだ。
走るたびにふかふかの絨毯に足が沈んで、気を付けないと転びそうになる。そうしてしばらく走ったところで、俺は「げ」と足を止めた。
ちょうど階段の前と思しき場所に、兵士たちが集まっていた。十人弱だろうか。とにかく、無策に突っ込める場所じゃないことは確かだ。
俺とメアはまた観葉植物の陰に身を隠すと、顔を見合わせた。
「メア、何とかしてアイツらの気を引けないか」
「んー……出来ないことはないけど、ほんの一瞬だけよ。行けそう?」
メアが俺を上目遣いで見る。俺は大きく頷いた。
「行くしかないだろ」
「はあ。まあそうよね。向こうの廊下、見える?」
メアは小さくため息を吐くと、反対側の廊下を指さした。城の西側に続く廊下だ。
「あそこにかかってる大きい絵と花瓶を落とす。音に気を取られた瞬間が勝負よ。二人で一気に走り抜けるの」
「オッケー。助かる」
「任せときなさい」
メアは頼もしい笑みを浮かべると、絵画と花瓶の方へ手を伸ばした。小さな声で詠唱を始める。十秒ほどの詠唱の後、パチンと指を鳴らした。
直後、不自然な動きで絵画と花瓶が落ちた。金属製の額縁が床にぶつかって、思っていたよりも大きな音が鳴る。絵画より少し奥にあった花瓶も、ばらばらに割れてしまった。
「なんだ!?」
階段の前に集まっていた兵士たちが、突然の異変に駆け寄って行く。侵入者が向こうにいると思ったのだろう。残念、逆だ。
俺とメアはその隙を逃さず、ダンと床を蹴った。さっきまで兵士たちが集まっていたところを見ると、その奥に螺旋階段が伸びている。
俺が早速階段に足をかけた時、
「違う! 向こうだ!!」
叫び声が聞こえた。メアが「バレた!」と俺を見上げる。
「バレるのは覚悟の上だ! 早く上り切るぞ!!」
「うんっ」
俺とメアは、階段を二段飛ばしで飛ぶように駆け上がる。さっきまで上っていた階段とは少し違った造りで、手すりや壁がない上に段の幅が狭くなっているから、落ちる可能性も十分だ。
半分くらいまで上ったところで、突然俺の目の前を何かが横切った。
「うわっ!?」
俺は思わず足を止め、そこでようやくその正体に気づく。
矢だ。
あと一歩でも前に進んでいたら、間違いなくあの矢は俺の頭に突き刺さっていただろう。考えるだけでもぞっとする。
矢は魔法で出来たものなのか、奥の壁にぶつかる前に、宙に溶けるようにして消える。思わず下を見ると、床から兵士たちが数人弓を構えて俺たちを狙っていた。
慌ててまた階段を駆け登る。背後からメアが声をかけてきた。
「陽翔、大丈夫!?」
「大丈夫……だけど、今更足が震えてきたっ」
死を間近に体験したせいで、走る膝がガクガク笑っている。メアに「しゃんとしなさい!」と発破をかけられた。
光の雨のように向かってくる矢を、俺たちはすんでのところで躱し続ける。螺旋階段なのが上手く働いてくれているようだ。向こうも上手く俺たちを狙えないらしい。
目指す四階が見えてきて、俺はメアに向かって叫んだ。
「もうすぐだ、メア! あと少しで――」
「――陽翔!」
メアが俺を呼んだ直後、俺の脇腹を矢が掠った。ギリギリ刺さらなかったという奇跡的なレベルで、矢が掠めて行った部分は制服が破れ、肌まで切り裂かれていた。血が染み出して、制服を赤黒く染める。
「い……ッ!」
想像以上の痛みに、俺は思わず脇腹を押さえた。ペースダウンしたのが自分でもわかる。このままじゃ格好の的だとわかっていても、痛みが邪魔をして、体が言うことを聞いてくれない。
「陽翔!」
メアの声にゆっくりと振り返る。メアは俺より数段下にいた。大きく見開かれた目と珍しく下がった眉で、俺のことを心配してくれていることはよくわかった。
しかし、兵士たちがこの絶好のチャンスを逃すはずがない。メアをめがけて矢が飛んできて、メアの足元に突き刺さった。慌ててそれを避けようとしたメアが、段に足を取られてバランスを崩す。
体が傾いた先には、体を支えられるような手すりも壁もなく、ただ落下するのみだ。かなりの高さがある上に、下には兵士たちが待ち構えている。落ちたらただでは済まない。
一瞬、痛みを忘れた。
「メア!!」
俺は必死にメアに向かって手を伸ばした。メアもまた、俺に向かって手を伸ばしてくる。
指先が少し触れて、また離れる。もっと、と手を伸ばすと、今度はメアの手がしっかりと俺の手を掴んだ。力いっぱいに掴んだ手を引っ張り上げる。
メアが何とか俺の隣に飛び移った。手を引いて走る。四階はもう目前だ。
俺とメアは手を繋いだまま、四階に足を踏み入れた。
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