第11話 夜明け
魔物の針が、俺の腹に深く突き刺さった。
「陽翔!」と悲痛なエレンの声が聞こえる。あー、ホントに申し訳ない。考えなしに突っ込んだ。これ死んだかもしれない。我ながらバカだなあ……。
せめて遺言だけでも、とかいろいろ考えていた俺は、やがて「ん?」とおかしなことに気づいた。
「え、あれ? 痛くない?」
全然痛くない。死を覚悟してたのに、喋るのも全く問題がない。こんなデカい針が刺さってて無事なことってあるか? 相手は魔物だぞ?
魔物もわけがわからない様子で俺を見ている。多分相手からしても前代未聞なんだろう。俺もわけがわからない。これ、遅効性なのか?
ひたすら頭に?マークを浮かべながら自分の腹を見た。魔物の針は確かに刺さって――いや、違う。俺に触れたところから、魔物の針が溶けている。禍々しい針がただの紫色の靄に変わっている。
深く考えている余裕はなかった。直感に任せて、魔物のもう一本の腕を掴んだ。そのまま俺の方へ思い切り引き寄せる。
「溶けろっ!!」
まるで沼に沈んでいくように、魔物の体がズブズブと俺の腹の中に飲み込まれた。慌てて暴れ出す魔物の胴にしがみつき、さらに飲み込んでいく。
魔物はしばらく抵抗していたけど、やがて諦めたのか、最後は静かに俺の腹の中に消えていった。
「ぷはっ!」
最後の足を体の中に取り込んだところで、俺はその場に座り込んだ。押し寄せる疲労と安堵とは反対に、辺りに立ち込めていた濃い魔素が、波のように引いていく。魔物がいなくなったからだろうか。紫に濁った視界が、少しずつクリアになっていく。
その様子を眺めていると、俺の手からぽろりと一匹の小さな虫が落ちた。ザリガニみたいな虫だ。そいつはすぐにそそくさと草陰に姿を消してしまった。
アイツが、魔素を取り込んで魔物になってたってことだろうか。あんな小さい虫が魔物になるなんて、恐ろしい話だ。
そんなことを考えていると、「陽翔」とエレンに呼ばれた。俺の隣まで這いずってきたエレンは、信じられないものを見るような目で俺を見ている。
「は、陽翔。今の……」
「見えてた?」
「僕の見間違いじゃなければ、魔物が君の体内に溶けていったんだけど」
「合ってる」
俺は軽く腹を叩いてみせた。エレンはしばらくじっと俺を見ていたけど、何を思ったか拳を振り上げ、俺の腹を殴りつけた。
「痛え!?」
「バカなんじゃないか、お前!? どうしてそんな危ないことするんだよ。魔物は魔素で構成された化け物だ。あんなの丸ごと取り込んだら体が持つはずがない。僕は、陽翔には無事で帰ってほしかったのに……」
「無事だよ。多分俺死なないって」
引きこもり研究者エレンのパンチは、全然痛くなかった。手加減してたのもあるんだろうけど、あれならメアのゲンコツの方が数倍痛い。何回か食らったことがあるからわかる。
落ち込んでいるエレンに、俺は声をかける。
「今までに魔物を取り込んだって前例はあるのか?」
「……いや、聞いたことはないけど。そもそもそれだけの魔素を取り込んだら即死しか……」
「だろ? でも、俺は死んでない。この世界の人たちより遥かに魔素分解能力が劣ってる俺が、こうしてピンピンしてるんだからさ。死なないって」
そう言っても、エレンの表情は晴れない。いや、何か考え事でもしてるのか?
立ち上がった俺は、ふと握りしめていた手を開いた。エレンに投げつけられたおばあちゃんのペンダントを見て、どうして俺がここまでエレンを追いかけてきたのかを思い出す。
「そうだ、おばあちゃん! 今おばあちゃんの容態が危ないんだ。だから俺はエレンを連れ戻しに来たんだよ」
「おばあちゃんの?」
エレンがはっと顔を上げる。俺は大きく頷くと、エレンの手を掴んで引き上げた。
「動けないんなら背負ってでも家まで連れて帰るから、今から……」
その時、掴んだエレンの手から紫色の靄が流れ込んできた。ビビった俺は「うわあ!?」とエレンの腕を離す。
「え、今のって魔素だよな!?」
「……体が動く」
エレンがすっくと立ち上がった。エレンの痣の色も前と同じくらいに戻っている。エレンはまだ信じられないと言った顔で、ぼんやりと俺を見る。
「陽翔。本当に何があったんだ? 一度体内に取り込んだ魔素は、二度と外からは取り除けないはずなのに……」
「俺に聞かれてもわかんないって。心当たりがあるとすれば、エミリが力を貸してくれたかもって感じだけど、それじゃエレン納得しないだろ」
「出来ないね。まさか…………いや、それよりもまず」
思考フェーズに入ろうとしていたエレンが、思いとどまったように頭を振る。それから、俺に向き直った。
「陽翔のおかげで助かったよ。君が来てくれなかったら、僕はここで死んでた。本当にありがとう」
少し気の抜けたような笑顔を浮かべるエレンに、いろいろ言いたいことは飲み込んで、俺も笑い返す。
「どーいたしまして。でもまだ問題は片付いてないぜ」
「うん。すぐに家に帰ろう。おばあちゃんを助けないと」
俺とエレンは頷き合うと、来た道を引き返し始めた。
俺たちの家に帰ってきた。ほんの数時間しか経っていないはずなのに、随分長いこと離れていたような気がしてくる。俺は一歩横に退いて、エレンに玄関のドアを開けるように促した。
エレンは少しきまり悪そうな様子で、ゆっくりとドアを開ける。
「ただいま、メア」
大きい声でもなかったけど、ちゃんとメアに届いたようだ。すぐにバタバタと足音がして、廊下の向こうからメアが飛び出してきた。
「……っ!!」
メアは、俺とエレンを見て目を大きく見開いた。その瞳がみるみるうちに潤んでいく。すぐに駆け寄ってきて、エレンに抱き着いた。
「バカ。バカっ。なんで急にいなくなるのよバカ兄……っ!!」
「ごめん。陽翔から話は聞いたよ。危ないって聞いてたのに、勝手に探しに行ってごめん」
「そうじゃないっ。アタシが、アタシが悪かったのにぃ……」
メアはひたすらに泣きじゃくる。エレンは困ったように俺を見てから、そっとメアの頭を撫でた。
「お前は悪くないよ。ペンダントはちゃんと拾ってきた。今一番大切なのは、おばあちゃんのことだ。一緒に行こう」
「うん……」
メアも落ち着いたらしい。エレンに言われた通り、ゆっくりとエレンから離れた。俺たちは三人連れ立って、おばあちゃんの部屋へ向かう。
「おばあちゃん」
部屋に入った途端、エレンの顔が曇った。おばあちゃんの容態は良くなるどころか、むしろ悪化していた。苦しそうに咳き込んでいる。
「ごめん。アタシに出来ることはしたんだけど、熱も下がらないの」
「メアのせいじゃない。魔素がかなり蓄積してる。いつかは訪れる時だったんだ」
エレンはおばあちゃんの額に手を当てながら、絞り出すように答えた。感情を押し殺すようなその声とは反対に、メアが悲痛な声で呟く。
「じゃあ、このペンダント、渡せないってこと……?」
「……わからない。もしかしたら目を覚ますかもしれないし」
でも、今のおばあちゃんが目を覚ますとは俺には思えなかった。エレンもメアも、その言葉が気休めだということはわかっているだろう。
だから、俺は前に進み出た。おばあちゃんの隣に膝をついて、その手を握る。
「おばあちゃん、今助けるから」
本当に突然手にした、魔素に対する謎の力。まだ俺もよくわかってないけど、さっきのエレンの様子だと、今の俺は人の魔素を吸収できるらしい。この能力を使えば、おばあちゃんも……!
おばあちゃんの手から、魔素が流れ込んでくる。俺がおばあちゃんの手を握り直し、魔素の吸収に力を入れようとしたそのとき、
「待って」
肩を掴まれ、ぐいっとおばあちゃんから引きはがされた。尻もちをついた俺は、引き剝がした犯人のエレンを見上げる。
「急にどうしたんだよ?」
「……助けてもらった立場で言うのもどうかと思うんだけど、その力は使ってほしくないんだ」
エレンは俯きがちに、でもハッキリと答えた。エレンの言っていることがわからず、俺は「は?」と聞き返す。
「なんでそんな……。この力を使えば、おばあちゃんを助けられるかもしれないだろ」
「僕だっておばあちゃんには助かってほしい。でも、帰ってくるまでに考えてたんだ。その力には未知数な部分が多すぎる。使ったら、陽翔にも……おばあちゃんにも、何か悪いことが起こるかもしれない。何か起きた時、陽翔に重荷を背負わせたくないんだ。だから……」
「………………」
俺はしばらく何も言えずに、ただエレンを見上げていた。状況がわかっていないメアが、俺とエレンの間でアワアワしている。
確かに、俺の考えが甘かった。この力に副作用のようなものがあるとして、もしそれがおばあちゃんに出てしまった時、俺は責任を取れない。エレンだって藁にも縋りたい思いだろう。でも、俺の立場も考えてこうやって止めてくれた。
それなら、俺は。
一つ深呼吸をする。それから、「わかった」と立ち上がった。
「気遣わせてごめん。エレンの言う通りだよ。ありがとな」
「見て!」
突然、今まで黙っていたメアが大声を上げた。
「おばあちゃんの呼吸が、落ち着いてきてる……!」
メアの言う通り、さっきまでの苦しそうな呼吸が収まって、普通の静かな寝息が聞こえてくるようになっていた。おばあちゃんの表情も、穏やかなものになっている。
おばあちゃんの額に手を当てたエレンが、少しほっとしたような顔をする。
「陽翔が少し魔素を吸収してくれたおかげだろうね。結局助けられちゃったな」
「……さっきから気になってたんだけど、二人で何の話してるのよ。吸収とか力とか、わけわかんないことばっか。そもそも二人無事に帰ってきてくれたこと自体が驚きなんだけど……」
不満げに話していたメアは、そこで一旦口をつぐんだ。そして、嬉しそうに笑う。
「ま、今はそんなことはどうでもいっか。陽翔、お兄、ありがと」
「……メアに笑顔でお礼言われるのってすっげー新鮮……」
「僕も久しぶりだから驚いてるよ」
「何よ、ケンカ売ってるの?」
メアはいつものようにむっと口をとがらせる。「違うって」と笑いながら、俺はメアにペンダントとピアスを渡した。
受け取ったメアは、そっとおばあちゃんの首にペンダントをかけた。綺麗に磨き上げられた、銀色のロケットペンダント。おばあちゃんの宝物。
やがて、ペンダントが光を反射してキラリと光った。俺はその光を追うように顔を上げる。
窓の外から、朝日が差し込んできていた。新しくて清潔な日の光だ。
俺はその眩しさに目を細めながら呟いた。
「夜が、明けたな」
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