幕間:タク
「こんちはー」
放送室のドアを開け、中に入る。機材の前に座って弁当を食べていた放送部の女子生徒二人が、こちらを向いて呆れたようにため息を吐いた。
「今日も? 懲りないね」
「まあな。原センに怒られたら俺のせいにしていいから」
流している音楽を切って、マイクの音声が流れるようにする。初めて触った時はどれを押せば何が起こるのか全くわからなかったが、二週間弱続けていれば大体覚えた。
咳ばらいをしてから、マイクに向かって呼びかけた。
「どうも、楽しいお弁当の時間に失礼します。もう覚えたかもしれないけど、2の2の小松拓哉だ」
マイクを強く握りしめる。人前で話すことが苦ではないタイプだが、それでもこの瞬間はいつも緊張する。
「しつこいと思ってる人もいるだろうが、今日も言うぜ。先月、九月三十日に行方不明になった一ノ瀬陽翔の手がかりを探しています。最後の目撃情報は、第二校舎の階段。屋上へ続く階段を上っていくところだったそうだ。顔は、学校中に貼り紙してるからわかるよな? どんなに小っちゃなことでもいい。もし何か思い出したら、2の2の小松拓哉、小松拓哉まで。お願いします」
ブツン、とマイクのスイッチをオフにした。大きく息を吐きだす。
「終わり?」
「ああ、終わり。邪魔してごめんな。明日も来るよ」
「小松くんの椅子も用意しておこうか?」
「それもいいな……冗談。じゃ」
どれだけ居座る気だよ、と言いたげな女子二人の視線を察知して、拓哉はすぐに放送室を出た。そしてすぐ、「小松」と呼ばれる。
「げっ」
「げ、とは何だ。お前はすぐ顔に出る」
放送室の入り口で待ち構えていたのは、担任の原だった。原は手に何か紙の束を抱えている。それを見て、拓哉はすぐに紙の束をひったくった。
「おい、小松」
「それはこっちのセリフだよ。コレ俺が貼った貼り紙じゃん。なんで先生が持ってんの? 剝がしたってことだよな?」
「……落ち着け」
原はきまり悪そうに、拓哉から目をそらしながら答える。
「お前の熱心さは、素晴らしいものだと思う。でもな。ちょっとやりすぎだ。勝手に貼り紙をしたり、放送を乗っ取ったり……。警察も動いてくれてるんだ。お前が無理する必要なんてない」
「じゃあ、先生はハル……陽翔やエミリのことはどうだっていいって言うのか? 自分のクラスの生徒が二人もいなくなって、焦りとか感じないのかよ!?」
そんなはずがないことは、拓哉自身もわかっていた。原は、拓哉が知っている教師の中でもなかなか面倒見がいい。内心では相当落ち込んでいるだろう。
だから、こんなのはただの八つ当たりだ。
原はじっと黙っている。拓哉はガシガシと頭を掻いた。
「……じゃ、俺教室戻るんで。腹減った」
拓哉はそう吐き捨てると、原に背を向け、教室へと歩き出した。
放課後になっても、2年2組の教室に、陽翔に関する情報を持ってくる生徒はいなかった。拓哉は一人教室に残り、開くはずのない教室のドアをぼんやりと見つめる。
当然だ。陽翔がいなくなってからもう二週間弱が経つ。警察の捜査も入っているのに、この期に及んで情報を隠し持っている生徒もいないだろう。
ため息を吐いて手元のノートに視線を落とした時、教室のドアが開く音が聞こえた。拓哉はハッと顔を上げ……ドアの向こうに立っていた人物に、がっくりと肩を落とす。
「お前かよ」
「何ですか、その反応。私だって暇なわけじゃないですよ」
ドアの傍でムッとしているのは、後輩の鹿野。日に焼けた肌が印象的な、活発そうな少女だ。
拓哉は隣の椅子を引きながら、こちらへ歩いてくる鹿野を見上げた。
「つっても、ほぼ毎日来てるじゃん。説得力ねえよ」
「最近は雨で部活もできないし。……それに、私だって責任を感じてるんです」
拓哉が引いた椅子に座った鹿野は、思いつめたように俯いた。
「一ノ瀬先輩が行方不明になったのは、私が意味わかんないことを言ったからかもしれないから……」
鹿野は、拓哉が放送室に乱入して昼の放送をジャックした初日に教室にやってきた。そして、エミリの死因について調べていた陽翔に「エミリが屋上から飛び降りるのを見た」と話したと言ってきたのだった。
それからほぼ毎日、鹿野は放課後にこの教室にやってきては、拓哉と一緒に情報提供者を待っている。
拓哉は椅子の背に体重を預けて、天井を見上げる。
「鹿野のせいじゃねーよ」
陽翔とエミリの仲の良さは、拓哉もよく知っていた。エミリと話しているときの陽翔は、どんな時よりも柔らかな雰囲気だった。何気ない会話をしているだけでも幸せそうな顔をしていて、何度リア充爆発しろと思ったことか。
そんな大切な存在を失って、どんな思いだったのだろう。事故に遭った時だって、あそこまで焦燥しきった顔を拓哉に見せることはなかった。
「俺も、あの時引き留めなきゃいけなかったんだ」
教科書を投げ捨てて走り出した陽翔を、拓哉は追いかけなかった。やっぱ走りのフォームがキレイだな、とかそんなくだらないことを考えていただけだ。まさかあの時は、こんな大事になるとは思っていなかった。
陽翔はその日から見つかっていない。警察も動いて、学校に捜査に来たり近所をうろついたりしている。陽翔の家の隣の空き家も捜索したが、見つからなかったそうだ。
あの日から、腹の底に鉛を入れられたかのような気分だ。視界の隅で、鹿野が動いた。
「そういえば、昨日図書室に勉強しに行ったんです」
「おー、偉い」
「そこで、ちょっと気になる資料を見つけて……」
拓哉は天井から鹿野へと視線を移した。鹿野はリュックの中から、クリアファイルを取り出した。中には数枚のコピー用紙が入っている。
鹿野はコピー用紙を、拓哉の前に置いた。
「これなんですけど」
それは、記事のスクラップだった。新聞や雑誌の記事の切り抜き。コピーを通していてもわかるほど、古ぼけているようだ。拓哉はそれを手に取ってよく見てみる。
「昭和四十五年!? よくこんな前の見つけてきたな」
「多分、誰かの私物だと思います。番号とかも書いてないボロボロのスクラップブックだったので……」
鹿野の話す声がどこか遠くに聞こえるほど、拓哉はその記事の内容にのめりこんでいた。新聞の切り抜き、雑誌の切り抜き。どちらも大きな記事ではなかったが、見出しのキーワードや内容は共通していた。
『女子生徒、行方不明の謎!』
A県立境高等学校の女子生徒が、十二月八日の夕方から行方不明になっている。現在も警察による捜索が続いているが、めぼしい情報はない。最後の目撃情報によると、その女子生徒は屋上に立っていたそうである。しかし、校舎の付近で彼女や血痕が発見されたということはなく、事件の捜査は難航している。
「境高校って……俺らの学校じゃん」
拓哉は記事を一通り読み終えると、信じられないものを見たかのようにゴシゴシと目を擦った。しかし、文面は何も変わっていない。鹿野の方を見る。
「しかも、これ一ノ瀬先輩の事件と似てませんか? やっぱり何かあるんですよ。この学校の屋上には!」
「約五十年前にも、同じ場所で似たような事件が起こってたってことか。無関係とは思えねぇな」
オカルト系は信じないことにしているが、ここまで来ると神隠しを疑うより他はなくなってくる。
拓哉はしばらく腕を組んで考えていたが、やがて「鹿野」と隣の後輩を呼んだ。
「もっかい確認させてくれ。エミリが飛び降りた時、どんな様子だった?」
「何回も話してますけど……。途中で消えたように見えました。だから、てっきり私の見間違いだと思って素通りしちゃって……」
「わかった。サンキュー」
鹿野が答えるとすぐに、拓哉はノートのページを一枚破り取った。シャープペンシルを握り、ページに何やら書き始める。
「えーっと、先輩? 何かわかったんですか?」
「一つもわかんねぇよ。だから、確かめに行く。遅い時間までココに残ることになるけど、お前この後に予定ある?」
拓哉に尋ねられた鹿野は、少しだけ目をパチパチさせた。それから、腰に手を当てて拓哉の方へ身を乗り出す。
「ないですよ。何するつもりかわかりませんけど、私も一緒に行きますからね」
『一緒に行きますとは言いましたけど、まさか屋上に忍び込むとは思いませんでしたよー!』
スマホから聞こえてくるのは、鹿野の甲高い抗議の声だ。拓哉はスマホを少し耳から離すと、フェンスから地上を見下ろした。
部活動の生徒も帰り、辺りはすっかり暗くなっている。十数メートル下に、小さな鹿野の姿が見える。
拓哉が今いるのは屋上。立入禁止の札を乗り越えてどうにか忍び込んだ。
「エミリが飛び降りたのはこの辺りで合ってるな?」
『はあ……。大体そのあたりだと思います。一ノ瀬先輩にもその辺だって教えましたし』
「オッケー。じゃあ、下からちゃんと見ててくれよ」
拓哉はノートの切れ端――鹿野によって綺麗に封筒の形に折られている――を摘まむと、フェンスの外に落とした。一瞬たりとも見逃さないように身を乗り出して封筒を見つめる。
封筒は花弁のように不安定に落下していく。そして――何の前触れもなく、消えた。
「おい。今の、ちゃんと見てたか?」
『見てました。消えました、よね。私の見間違いとかじゃ……』
「ない。俺も消えたのを見た。ってことは、マジでハルとエミリはあそこに消えたのか」
ふう、と息を吐きだして、フェンスに肘をついた。鹿野がこちらを見上げているが、遠すぎて表情は窺えない。
「俺たちはエミリが死んだと思ってるけど、ハルだけは違って、すぐにエミリを探しに行ったってことだよな。まだイマイチ信じられねーけど……それなら大丈夫そうか。アイツはエミリのためなら何だって出来そうだし、二人で帰ってきてくれるだろ」
『……そんなこと、ありえるんですか』
「手紙が消えるの、鹿野だって見てたろ? 世界にはあり得ないことが腐るほどある。とにかく今の俺たちには、アイツらの無事を願うことしか出来ないってことよ」
まだ戸惑っている鹿野に向かって、拓哉は笑った。半分は自分に言い聞かせるための言葉だ。
ハルなら大丈夫。俺に出来ることは、もうやり切ったはずだ。
少しの沈黙の後、電話の向こうから『信じるしかないですよね』と返ってきた。話の流れを変えるように、『ところで』と声の調子な明るくなる。
『先輩、私お腹空いちゃったんですけど』
「あー、ポテトか何かおごってやるよ。ここまで付き合ってもらったし」
『ポテトだけじゃ足りないなあ。期間限定のハンバーガーと、デザ』
ブツン、と通話を切った。沈黙したスマホをポケットに滑り込ませながら、財布の中身を思い出す。後輩にハンバーガーとデザートまでおごってやれるほどの余裕はない。
屋上のドアを閉める前に、拓哉は振り返って呟いた。
「ちゃんと帰って来いよ、ハル」
投げ込んだ手紙が届くことを祈って、拓哉は屋上を後にした。
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