第8話 真夜中の警鐘

 その翌日、俺たちは三人でガッシュさんの家を訪ねた。見てもらったところ直せそうとのことだったので、修理をお願いした。


 修理と言っても、機能はあまり衰えていないから外の錆を取ったり、チェーンを新しくつけたりするだけだ。ガッシュさんはチェーンもかなりの量を持っていたから、俺たちはあれでもないこれでもないと悩みながらチェーンを選んだ。


「今は仕事をしているわけでもないし、明日には終わるだろう。昼過ぎにまた取りに来てほしい」


 ガッシュさんがそう言うと、隣のエレンの表情が少し曇った。


「明日か……。おばあちゃん、起きるかな」


 おばあちゃんは、昨日の昼からずっと目を覚ましていない。エレンによると、魔素を吸収し過ぎた人は体が動かなくなり、眠る時間が増えるそうだ。最近のおばあちゃんは、一度眠ると三日は目を覚まさない。


 俺は元気づけるようにエレンの背中を軽く叩いた。


「明日起きなくても、まだ明後日がある。焦る必要なんてないって」

「そうよ。なーに弱気になってるんだか」

「……うん、そうだね。ちょっと弱気になってた」


 エレンは喝を入れるように、自分の頬を叩いた。作業台の前に座ったガッシュさんが、頼もしい笑みを浮かべる。


「心配するな。お前たちのばあさんのペンダントは、俺がちゃんと直しておいてやる。ピカピカにな」

「ありがとうございます! じゃ、ガッシュさん。また明日取りに来ますね!」


 俺はそう言って、ガッシュさんの家を後にした。のに……。





 さらにその翌日、俺は全身の筋肉痛と倦怠感で、家のベッドに転がっていた。


 多分、昨日手伝った木材の運搬が重労働だったのだろう。屍になっていたと言った方が正しいかもしれないくらい、動くことが出来なかった。いつの間にか全身にいくつか痣が出来ていたし、思っていたよりハードだったようだ。


 俺がそんな調子だったので、ペンダントは狩りに出かけるついでのメアが取りに行ってくれることになった。昨日ガッシュさんにあんなに威勢よく言ったのに、情けない。


 時計を見ると、まだ朝の九時だ。今日は何も出来る気がしない。頭がボーっとして、俺は目を閉じる。


 今でも夜になると、母さんや父さんのことを考える。何も言わずにここにきてしまったから、心配してるんじゃないかなって。

 なのに、今瞼の裏に浮かんできたのはエミリの顔だけだ。なんて親不孝な息子なんだろう。自分でもその自覚はある。


「エミリ……」


 瞼の裏。実際にはいないとわかっているエミリに向かって、俺は手を伸ばす。




 俺を沼のような眠りから引きずり出したのは、けたたましいベルの音だった。俺はゆっくりと目を開く。部屋の中は真っ暗だった。開けっ放しの窓から、夜の冷たい風が吹き込んできている。咄嗟に枕元の時計を掴んだ。


「夜の三時!?」


 文字盤が示す時刻に、俺は大声を上げる。ちょっと待て。俺が最後に時計を見たときは午前九時だった。あれからすぐに寝たし、それから今まで一度も目を覚ましていないから……。


 俺、十八時間も寝てたのか?


 自分の底なしの睡眠欲にドン引きするが、そんなことにいちいちリアクションをしている余裕はない。まだベルは騒がしく鳴っている。その音を聞いていると、何とも言えない不安に駆られた。


 重い体を引きずって、部屋の外に出る。まだ上手く働かない頭で、どうすればいいのかを考える。


「おい、エレン、メア。どうした? 何かあったのか?」


 そう呼びかけながら、エレンとメアの部屋のドアを開ける。どちらの部屋ももぬけの殻だ。ぞくっと背中に悪寒が走る。


 こんな真夜中に、二人はどこへ行ったんだ? 家の電気も点けないで……。


 異常な状況に、眠気が覚めた。俺は頭を必死に動かして考える。


 いや、ベルが鳴ってる。このベルは、俺の記憶違いじゃなければ、おばあちゃんの様子を確認するときに使われるベルだったはずだ。例えばおばあちゃんが目を覚ました時なんかにはベルが鳴る。

 

 だから、おばあちゃんに何かが起こっている可能性が高い。それなら今俺が向かうべき場所は、おばあちゃんのところだ。


 そう結論を出して、俺はすぐにおばあちゃんの部屋に向かった。いつもだったらすぐに辿り着くはずのおばあちゃんの部屋が、やけに遠く感じる。


 俺はドアに向かって手を伸ばし、力いっぱい押し開けた。


「おばあちゃん!」


 そう叫んで部屋に入った直後、俺はその場に立ち尽くした。

 

 おばあちゃんの体に広がる痣は、前にも増して黒色に染まっていた。苦しそうにひゅうひゅうと空気を吸う音が、喉から漏れ聞こえている。


 そして、ベッドのすぐ横ではメアが座り込んでいた。メアは俺を見ると、その顔を恐怖の形に歪めた。


「おばあちゃん」


 このまま棒立ちしていても仕方がない。俺は少しふらつきながら、メアの隣に膝をついた。おばあちゃんの手を握って呼びかける。


「おばあちゃん、聞こえる? おい、おばあちゃん!」


 耳元で呼びかけ、軽く頬を叩いてみるも、反応はない。俺はぐっと歯を食いしばると、メアを見た。


「メア、今一体何が起こってるんだ!? この鳴りやまないベルは、おばあちゃんはどうしたんだ。エレンはどこにいる!?」

「……っ」


 思わず捲し立ててから、しまったと後悔する。メアが、今にも泣きだしそうな顔をしていたからだ。当然だ。メアだって今、俺以上に不安なはずだ。俺が余計に追い打ちをかけてどうするんだよ。


「ごめん、気が急いた。責めたわけじゃないんだ。メアが知ってること、順を追って話してほしい」

「うん……」


 俺がそう言い直すと、メアはゆっくりと頷いた。まだ何か迷っている様子で、口を開く。


「このベルは、おばあちゃんの体に異変が起きてるって知らせてる。アタシはこのベルの音で目が覚めて、慌てて水とかを持ってきた」

「やっぱりか。おばあちゃんの体調のことは、エレンが一番詳しいよな。エレンは今何してるんだ?」

「……アタシが起きた時には、お兄はもういなかった」


 メアが、苦しそうに答えた。ぎゅっと強く手を握った。


「今日、ペンダント取りに行ったでしょ。あの、狩りに行く前に取りに行ったの。今日は天気が良かったから、いつものルートの少し先まで行こうって思って、思ったんだけど、行ったん、だけど」

「落ち着いて。ゆっくり話してくれればいい」


 俺はメアにそっと声をかけた。メアの話し方は、しゃくりあげて泣くようだった。


「少し先へ行ったところで、急に魔素が濃くなってたの。苦しくなって、すぐに急いで逃げ帰ってきて……そのときに、カバンに入れてたおばあちゃんのペンダントが落ちちゃったみたいで……。それをお兄に話したら、『心配するな。無事に帰ってきてくれただけで充分だよ』って言って。で、起きたらいなくなってて……」


 間違いない。エレンは今、ロケットペンダントを拾いに行っている。きっと妹に責任を感じさせないために、夜にこっそり出掛けたんだろう。あいつはそういうところがある。


「昼の時点で魔素が濃くなってたのに、何時間も経った今、あそこがどうなってるかわかんない。きっと、ペンダントを落とした場所なんて、とっくに……」


 でも、今回はタイミングが最悪だ。


 今エレンが向かっているところは、魔素が濃くなっている危険地帯だ。足を踏み入れたら、ペンダントどころかエレンの命まで危ない。それに、おばあちゃんの体のことだってわからずじまいになってしまう。


 おばあちゃんの手が熱い。俺はメアに「おばあちゃんの額を冷やそう」と指示を出した。メアは頷いて、すぐに持ってきたタオルを水で濡らし始める。


 気が付くと、全身にびっしょりと汗をかいていた。

 

 どうすればいい? 魔素で苦しんでいる人に、一体何をしてあげられる? 特効薬があるわけでもない。俺が住んでいた世界の病気とはわけが違う。俺は、この世界のことを何も知らない……。


 今俺の目の前には、いくつもの問題が積み重なっている。一つはおばあちゃん。二つ目はエレンとロケットペンダント。三つめは、隣で今にも泣きだしそうなメア。


 どうする。どうする。どうする。俺一人でどうにか出来るのか。


 ぽたり、と汗が顎を伝って落ちた。その少し後で、メアが立ち上がる。


「メア?」


 俺が視線を上げると、メアが俺を見下ろしていた。その強張った表情からは、痛々しささえ感じる。


「アタシ、お兄を捜しに行ってくる。アンタはもうこの村を出て行って」


 そう言って、メアがドアに向かって歩き始める。見るからに、右足を引きずっている。逃げてきた時に痛めたのだろうか。


 俺は、おばあちゃんの手を握っていない、空いている方の腕を伸ばして、メアの腕を掴んだ。


「こんな状況の中で、出て行けるわけがないだろ。俺がエレンを捜しに行く。そんな足でどこに行くつもりなんだよ」

「うるさい。アタシが行くの。アンタには関係ないでしょ」

「……関係ないわけないだろ」


 メアの腕を掴む力を強めた。真っすぐにメアの目を見て、訴える。


「俺は、勝手だけど、メアたちのこと家族だと思ってる。だからこのまま放っておくなんて出来ない。俺がエレンを探しに行くから、メアはここで……」

「嫌!」


 メアが叫んだ。その悲鳴のような叫びに、俺は言葉を失う。メアは潤んだ目で、かぶりを振る。


「嫌よ。アンタには行かせられない。アタシが行かないと。アタシが……」


 確かに、メアは頑固なところがある。それは今まで同じ家で暮らしてきて理解していたつもりだ。でも、今のメアは頑固とは少し違うような気がした。何か、俺の知らない大きなものに囚われているような……。


「…………ぁ」


 その時、どうやって表現すればいいんだろうか。論理的な思考で導き出したわけじゃない、でも、何らかのひらめきというか、そういうものがあって、俺はふと部屋の鏡に視線を向けた。


 鏡は静かに俺を映している。鏡の中の俺の頬には、大きな黒い痣があった。


 ――いや、痣じゃない。


 それは、体を蝕む魔素の痕跡だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る