第9話 魔素と兄妹と約束と

 その痣を見た途端に、いろんなことに合点がいった。


 最近、覚えのない痣が体のあちこちに出来ていたこと。倦怠感が酷かったこと。十八時間も眠っていた、異常な睡眠時間のこと。


 全部全部、魔素のせいだったのか。


「……っ!!」


 メアが駆け寄ってくる足音が聞こえる。すぐに、目が覆い隠された。生ぬるい体温の、震える手だ。


「だから、言ったじゃない。こんなところ離れなさいって。アンタには、再会したい人も家族もいるんでしょ? じゃあこんなところで命を使い果たしちゃダメじゃない……」


 メアが泣き出しそうな声で、俺に囁く。メアの手に遮られた視界に、いろんな人の顔が浮かぶ。

 

 エレン。メア。おばあちゃん。母さん。父さん。タク。そして、エミリ。その他にも、たくさん。


 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 死んだら、そこで終わりなんだろ。下手したら人間界にも帰れず、この世界でエミリにも会えないまま死ぬのかもしれない。やっぱエレンが言ってたように、人間って魔素の侵食が速いみたいだ。まだ二週間弱しかここにいないのに、もう症状が進行してる。もう、まともに体も動かせなくなっていくのかもしれないと思うと怖くてたまらない。

 勝手にここまで来て言うのもなんだけど、やっぱり最期は家族に会いたいって、そう思ってしまう。


 心が恐怖に揺らぐ。今すぐ逃げ出してしまいたい気持ちに駆られる。


「お願い。これ以上無駄に命を削るようなこと、しないで……!」


 メアが懇願するように叫んだ、そのとき。


 おばあちゃんの指が、俺の手を握り返した。


 ハッと息を呑む。俺の勘違いかもしれない。でも、その微かな指の力が、おばあちゃんと過ごした記憶を呼び起こす。



『あの子たちのこと、よろしくね』



 俺は、目元を覆い隠すメアの手を、そっと下ろした。それから振り返り、メアと真っすぐに向かい合う。


「ありがとう。心配してくれて。俺、メアに嫌われてるんじゃないかって思ってたからちょっと嬉しいかも」

「……じゃあ」

「気持ちだけ受け取って、やっぱり俺はエレンを捜しに行くよ」


 メアの目が、ぎゅっと細まった。俺を睨みつけているのか、それとも何か感情を押し殺しているのか、俺には判断が付かない。

 俺は手を強く握る。


「ここで逃げて、エミリと再会して、人間界に帰れたとして。それは幸せなんかじゃない。ハッピーエンドなんかじゃない。ここでメアたちを見捨てたら、俺は絶対に後悔する」


 右も左もわからない俺を支えてくれた人たちを見捨てて、幸せに生きていけるわけがないんだ。そもそも、そんなことをしてエミリに会わせる顔がない。


「だから、エレンを探しに行くよ。今のメアの足じゃ森を歩くのは厳しいだろうし、おばあちゃんもメアが傍にいてくれた方が嬉しいだろ」


 俺がそう言うと、メアは口を引き結んだ。それから俯いて、「バカじゃないの」と吐き捨てる。


「うぬぼれないでよ。魔素で弱った魔法も使えない人間に、何が出来るっていうのよ!?」

「何が出来るとかじゃなくて、やるしかないんだよ。今の俺に出来ることをやるしかない。一応走りには自信があるから、ひとっ走りエレンとペンダント拾ってくるよ。……そんな顔するなって。これでも全国大会まで行ったことあるんだからさ」

「わけわかんない……」


 俺の楽観的な返事に、メアが俯いたまま頭を振った。長い沈黙が続く。やがて、


「アンタって、頑固ね」


 震える声で、メアは呟いた。


「全っ然言うこと聞いてくれないんだもん。アンタにはやらなきゃいけないことが他にあるから、これ以上巻き込まないって決めてたのに。お兄とおばあちゃんのことは、アタシ一人で何とかしようって思ってたのに。

 諭しても突き放しても考えを変えないなんて、ホントに頑固。バカ。そんなこと言われたら、頼りたくなっちゃうじゃない……」


 メアの瞳から、涙が一粒零れ落ちる。メアは涙で潤んだ瞳で俺を見上げた。


「ねぇ、陽翔。たすけて……」


 ずっと涙を堪えていたメアが、初めて涙を流した。俺は指先でそっとその涙を拭う。


「うん。任せろ」

「……ちょっと、やめてよ。恥ずかしいでしょ」


 すぐに手を振り払われた。メアは手の甲で涙をしっかりと拭ってから、青い方のピアスを外す。それを優しく握りしめると、何か呪文のようなものを唱えた。


 その瞬間、メアの手の中から青色の光が放たれた。いや、光っているのは手の中のピアスだ。ピアスはある方向に向かって、真っすぐな青色の光を放っている。


 メアは深呼吸をすると、俺にそのピアスを差し出してきた。


「はい、これ。この光が指し示している場所に、お兄がいるはずだから」

「便利なの持ってるんだな。まさに魔法アイテムって感じ」


 俺は青色に光るピアスを受け取った。生憎、校則をきちんと守る模範的高校生の俺は、ピアスの穴をあけていない。これから先も空けるつもりはないけど、落とさないか少し心配だ。


 俺がピアスを見つめていると、メアが躊躇いがちに話し始めた。


「お兄は、その場所からずっと動いてない。魔素がすごく濃かったから、もしかしたら魔物がいるかも……。少しでも魔素が充満していたら無理しないですぐに帰ってきてね。……魔物の話はした?」

「いや、初耳。ここってそんなのもいるの?」


 魔物って、ゲームや漫画でよく出てくる化け物みたいなやつだろうか。

 メアは頷いて、説明してくれる。


「生き物が魔素を過剰に吸収し過ぎると、ほとんどの場合は死ぬんだけど、たまに狂暴化して別の生き物みたいになるらしいの。それを魔物って呼んでる。魔物についてはわからないことだらけだってお兄は言ってたけど、狂暴化してるんだから危ないのは間違いないと思う。魔物に出くわしたらすぐに逃げろって言われてるから……」


 それでも行くの? とメアが聞いてきた。行くに決まってるだろ、と答える。


 恐ろしい話だけど、そんな話を聞かされたら余計にエレンを放置しておくわけにもいかない。エレンが動いていないって情報も無視できないし、一刻も早く見つけて連れ戻さないと。


 ピアスを握りしめて、玄関へ向かう。玄関のドアを開けると、ピアスの光は真っすぐに夜の村へ飛び出した。闇を貫く青色の光。

 あの先は、魔素が充満する未知の世界。そこにエレンがいる。


 俺は不安を飲み込むと、メアに笑いかけた。


「じゃ、いってきます」


 そして、闇の中に飛び込んだ。

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