第6話 何でも屋の信頼
誰かに呼び止められて、俺は驚いて足を止める。辺りを見回すと、後ろから「おーい」と男の人が駆け寄ってきていた。この村では珍しい、若い人だ。もちろん俺はこの人を知らない。
男の人は俺の前まで来ると、息も絶え絶えに「やあ」と手を上げた。
「こんにちは……?」
「はじめましてだよね。どうも、僕が依頼主です。ガッシュさんの家に行けっていう」
「ああ!」
俺はパチンと手を叩いた。なるほど、今まで現れなかった依頼主はこの人だったのか。
男の人は額の汗を拭って、ニカッと笑う。
「ちょっと時間いいかい? 代金も払わなきゃいけないし」
「もちろん」
俺はその男の人と連れ立って歩き出した。その人はヘルムという名前で、主に食材なんかの配達員をやっているらしい。
「ほら、最近は魔素のおかげで流通が止まったり、体が思うように動かせなくなった人が出たりしてるでしょう。そんな理由で食材が手に入らないって人のためのシステムなんだ。特殊な箱の中に一週間分の食材を詰めて、魔法で配達したり、人によっては直接届けに行ったりする。ガッシュさんもその利用者の一人なんだ」
ヘルムさんは、話している途中にお菓子をくれた。包装されたクッキーのようなお菓子だ。かじってみたらめちゃくちゃ固かった。
「しばらく配達に行っているうちに、このまま一人で過ごさせておくのはまずいんじゃないかと思ってね。一人でいたら魔物に食われても誰も気付いてくれないだろう? 何とかしたいと思ったんだけど、実は僕も忙しくて。本当はもっと早く何でも屋さんに会いに行くつもりだったんだけど、仕事が全ッ然終わらなかった。ごめん」
「いいですよ。俺もほとんど忘れてたし。お疲れ様です」
俺は小さく頭を下げた。ヘルムさんは、「君の方こそ」と笑う。
「で、そんな多忙な日々を送っていたところ、先週の配達で君を見かけた。村の人たちに聞いたら、何でも屋をやってるらしい。これは頼むしかないってことで、君に依頼をしたんだよ」
「……でも、いいんですか? 俺がやってきたのはただの掃除ですよ?」
今の話の流れだと、俺の掃除がガッシュさんにいい影響を及ぼしたとは思えないんだけど。
俺が聞くと、ヘルムさんは軽く笑い飛ばした。
「正直なところ、掃除でも何でも良かったんだよ。ガッシュさんの話し相手とかになってくれれば良かった。僕は一応従業員っていう立場があるし、玄関で追い払われちゃうから。でも、君は何でも屋でしょう」
「何でも屋を何だと思ってるんですか」
「何でも屋でしょ?」
「その通りですけど」
それにしたって、何でも屋を過大評価し過ぎている気がする。俺は神様じゃないから、出来ることと言えば畑の収穫の手伝いや掃除くらいなのに。
「陽翔くんは十分仕事を果たしてくれたよ。さっき家を見てきたけど、すごく綺麗になってた。君に頼んで正解だった。これ、お代ね」
ヘルムさんは満面の笑みを浮かべて、俺に小さな袋を握らせてきた。ずしっと手に重みが伝わる。
その重みを感じながら、俺はヘルムさんを見る。ヘルムさんは早々に来た道を戻ろうとしていた。ちらりとこちらを振り返って、軽く手を上げる。
「それじゃ。ガッシュさんのこと、これからもそれとなくよろしく」
「――依頼ありがとうございました。お仕事頑張ってください」
辺りはもう日が沈みかけていた。夕日に照らされるヘルムさんの背中は、くたびれているのに格好いい。俺はヘルムさんの姿が見えなくなったころ、ようやく家に向かって歩き出した。
俺が居間のドアを開けると、エレンとメアが何やらバタバタしていた。俺に気づいたメアが「ちょうどよかった!」と声を上げた。
「なになに、どうした」
「さっきおばあちゃんから『お腹空いた』ってコールが届いたの。でも、今アタシたち手が離せなくて。アンタが代わりに行ってきてくれない?」
全然いいよ、と頷きつつも、俺はちらっとエレンの方を窺った。
案の定エレンが「メア――」と口を挟もうとしたところで、メアがビッとエレンに指を突きつけた。
「お兄はコイツに対して気を遣いすぎなのよ! 人間は魔素に弱いからって言うけど、コイツまだピンピンしてるじゃない!」
「それは……」
エレンが鍋をかき混ぜていた手を止め、口ごもる。俺は笑って声をかけた。
「そんなこと気にしてたのかよ? 居候の身だし、出来ることならなんでもする。ってか、させてほしいくらいだよ」
「それくらい言ってくれないとね。じゃ、これ運んで」
メアは満足げに頷くと、俺の手にドンとお盆を乗せた。小さなスープの器と、お茶が一杯。
「気をつけてね!」
「わかってるわかってる」
メアのしつこい注意を背中に受けながら、俺は居間の外に出た。廊下の突き当りがおばあちゃんの部屋だ。この一週間で、二回ほど部屋を訪れたから流石に覚えた。
肘でどうにかドアを押し開ける。
「失礼しまーす、陽翔です。夕食届けに来たよ」
「ああ、陽翔くん。よく来てくれたねぇ」
おばあちゃんは、ベッドに寝たままニコニコと俺を見た。
「わざわざごめんね。重かったでしょう?」
「全然大したことじゃないっすよ。これ、どこに置けばいいかな」
「そうだった。ここに置いてくれると嬉しいね」
おばあちゃんはそう言って、ミニテーブルの上に乗っていた物をどけた。ハンカチと、それに包まった銀色の小物だ。俺はミニテーブルにお盆を乗せ、尋ねる。
「おばあちゃん、それなに?」
おばあちゃんは、とても大切そうにその銀色の小物を握りしめている。おばあちゃんは俺の質問を聞いて、ちょいちょいと手招きしてきた。
俺はおばあちゃんのすぐ傍にしゃがみ込む。
「これはね、ペンダントなのよ。ペンダントって言っても、チェーンはとっくの昔に切れちゃったんだけどね」
おばあちゃんは震える指で、銀色の小物の表面を撫でた。すると小物の蓋がパカリと勝手に開き、光が明滅する。すぐに小さな写真のようなものが、宙に映し出された。ハイテクなロケットペンダントだ。
「大昔に主人がプレゼントしてくれたの。当時はかなり高いものだったんだけど、私のためにって。嬉しくって」
「え、じゃあこの写真の二人が、おばあちゃんとおじいちゃん?」
映し出されているのは、二人の若い男女だ。画質がめちゃくちゃ荒いけど、多分美男美女と言ってもオーバーじゃないくらいだろう。二人ともいい笑顔で、見ているこっちも幸せになる。
「そういうことになるねぇ」
「美男美女夫婦だね」
「そんなに褒めても、こんな老いぼれからは何も出ないよ」
そう笑って、おばあちゃんはペンダントを閉じた。錆びていてうまく閉じない。大切にしている様子が、一つ一つの動作から伝わってくる。
「ねえ、陽翔くん。あの子たちのことだけどねぇ」
「うん?」
おばあちゃんが、突然そう話し始めた。あの子たちというのは、当然メアとエレンのことだろう。
「エレンは、一つのことに夢中になると周りが見えなくなるでしょう」
「そうかな」
「メアは、物言いがきついわよね」
「それはそうかも」
「でもね、二人ともとてもいい子なのよ」
「うん。わかってるよ」
俺は深く頷いた。
確かに、エレンは一度スイッチが入ったら止まらない。この間もエレンの質問に答えていたら、夜が明けていたことがあった。
もちろんメアの口の悪さはフォロー出来ないし、俺は一日で何回メアに怒られているかわからない。心にダメージを負うこともしばしばある。
でも、この一週間で二人のいいところもたくさん見つけた。素性の知れない俺を温かく迎え入れてくれた、優しい人たちだ。
おばあちゃんは俺の手を握った。強い力だった。
「あの子たちと仲良くなってくれて、ありがとうねぇ。あの子たちのこと、よろしくね」
「うん。任せてください」
俺もまた、力強くおばあちゃんの手を握り返した。
部屋を出て、俺はふと窓へ視線をやった。この村に来て大体一週間。その間に、意外と俺はいろんな人に信用されていたらしい。自分では全然そんなこと気づかなかったけど……。
窓の向こうには、民家から零れる光がぽつぽつと灯っている。
「何でも屋として、もう一仕事頑張ってみるかな」
俺はそう小さく呟いて、二人の待っている居間へと戻った。
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