第2話 後編

 そんなある日母が倒れた、そしてそのまま母は帰らぬ人となった。

 父は泣いていた。

 僕はこういうときは涙が出るものなんだと考えていた、しかし僕は涙を流すことはなかった。ただ淡々と母の死を受け入れた。

 一度自分が死を経験したからだろうか、大切にしてくれた思いに感謝はあるが、心から悲しいとは思わなかった。

 それからすこし父の態度が変わった。僕を見る目に憤りと悲しみが宿るようになった。


 僕はそのころからだんだん疑問を持つようになっていった。

 僕は本当に僕なんだろうか、オリジナルの僕なんだろうかと。


 クローンはあくまで移植手術などに使う”部品”として培養は許可されていた。だからいかなる理由があってもクローンを人として育てることは禁止されていた。


 でも本当のオリジナルの僕は死んでしまって、今ここにいる僕は本当はクローンなんじゃないかとそんな疑問が浮かんでは消えた。


 僕は自分でもわかるぐらい事故の後では感情の起伏が少なくなっていた。先生は時間が解決するといっていたが。

 ある日僕は思い切って父に聞いてみた。


「父さん、僕は誰?」


 父は少し驚いたような表情をし、それから「お前は私の息子だ」と答えた。

 しかし僕はその答えを聞いて家を飛び出した。

 彼の目は答えとは裏腹にただ悲しみだけを湛えていたのだ。


 僕は知らない町でバイトを始めた。

 それから何人かの女性と付き合ったが、いつも長くは続かなかった。

 初めは感情を出さなくてクールで、謎めいた僕を褒めてくれた彼女たちも、皆口裏を合わせたように、僕がなにを考えてるかわからない、私の気持ちを理解してくれないなどといって、去っていった。

 しかし僕は悲しくはなかった、ただあの夏の日プールで感じた、暗い闇のような感覚があった。


 そんなある日僕は彼女に出会った。

 彼女の名前は幸枝、初めて会った僕を愛想のない男と毛嫌いしていた女の子だった。

 しかしどうしたわけか彼女と僕は付き合うようになった。

 僕はどうせいままでのようにまた彼女も僕の元を去っていくものだと思っていた。

 しかし彼女は予想に反し、半年という自己最長記録を作ってくれた。

 彼女の中ではそれは一種のボランティアだったのかもしれない。

 なぜなら彼女がまず僕にしたことは、自分の感情を表現する方法だった。

 そんなこといわれても感情の起伏が少ない僕がうまく感情など表現できるはずないと思っていた。

 だが、彼女と付き合うにつれ、僕がいままで感じてきたことが悲しいという気持ちだったり楽しいということだったりすることを初めて彼女から教わった。

 やはり先生がいっていたように感情を思い出すのに時間がかかっていただけだったのだろうか。

 僕がそんな風に考えだしたころ彼らが突然やってきた。


 いつものようにバイト先に行くと警察だという私服の男が二人僕を待っていた。

 彼らは僕にクローンの疑いがあると言った。

 僕はもちろん反発した。しかしどこかであきらめてもいた。

 僕が連れていかれた病院には父が先に待っていた。家を飛び出してから3年父の髪はほぼ白くなっていた。

 医者がカルテをもってきた。警察官を挟んで父親と言葉を交わす。そして再び警察官が僕のもとにくると深く頭をさげ去っていたった。


「本当に失礼しました」


 それは僕がクローンではなくオリジナルだと証明された瞬間だった。


 僕は父のもとに駆け寄った。それから医者に父と共にある場所に案内された。


「これが僕のクローン?」


 部屋の中にはいくつもの大きな水槽があった。

 その一つ一つにクローンが入っていた。

 そしてその一つに僕と同じ顔が入っているのを見つけた。


 父は一拍置いてから「あぁ」と答えた。

 それからひどく辛そうな顔をした。


 僕は水槽にそっと手を添えた。

 ジージーと機械音とポコポコと水泡が上がる音が伝わってきた。

 ぼんやりとした光の中に浮かぶクローンの体を見て僕は懐かしいと思った。

 

「これが僕の体」


 肺や内臓などはこっちの体に移植してしまったので、そこだけぽっかり穴が開いている。でもすらりとした手足と綺麗な顔は、ただ眠っているように血色の良い色をしている。

 そうこの体はまだ水槽の中で生きている。クローンは体のどこを切り刻んでも死ぬことはない。ただ脳が死んでしまったらさすがにクローンも腐って死んでしまうらしい。

 だからこの体には今オリジナルの脳が移植されているのだ。


 そう今の僕の体のオリジナルの脳が。


 オリジナルの彼はあの日の事故で脳死したのだ。


 内臓とともにオリジナルの記憶をコピーした脳を移植したのが今の僕だ。

 クローンを人間として育てるのは禁止されているが、人の脳をもし肝臓や足や腕と同じ移植可能な臓器の一つと考えれば、この手術に法的罪はない。


 僕は水槽の中を静かに見詰めた。


 脳死とはいえ植物人間のような状態なら彼はいつか目覚めることがあるのだろうか。

 その時彼はどう思うのだろうか。

 冷たい水槽の中で僕が死ぬまで臓器の一部として生かされ続ける。

 僕は世界を知らなかったが、オリジナルの彼は知っている。

 彼は目覚めたとたん自分の状況を理解したら発狂してしまうかもしれない。

 いやこの水槽の中では永遠に夢の中を漂っているだけなのか、僕が見ていたあの暗い夢。

 目が覚めても覚めなくても続く永遠の夢。

 いつか聞いてみたいと思ったが、それは叶うことはないだろう。

 僕は水槽の中で漂うオリジナルの脳の入った自分の体を見詰めながら、小さく笑った。

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