人間の定義
トト
第1話 前編
鳴り止むことのない機械音
ポコポコと上がる水泡
ぼんやりとした光
「──! ──!」
まどろむ意識を切り裂くように頭に響く音が、突如として意味のある言葉として届いた時、僕の意識を光の指すほうへと引っ張り上げた。
「高志!」
名を呼ばれ僕は目覚めた。ぼやけた視界の先に白い天井が見えた。
「たか、し……」
すすり泣く声のする方に目を向けると、ガラス戸越しに父と母の姿が見えた。どうやら声は部屋に備え付けられたスピーカーから聞こえているようだった。
僕と目が合うと母は声を上げて泣き出した、父はずいぶん憔悴した表情で静かに目を閉じた。泣くのをこらえているようだった。
無意識に両親に伸ばそうとした腕に激痛は走る。腕を見ようとしたが首が何かに固定されてるようで動かない。どうやら腕も首もギブスでしっかりと固定されているらしい。
「か、あさん……」
僕はようやく出た声で母親を呼んだ。そして自分のしわがれた声にびくっと体を震わす。
喉がヒリヒリとする、そして口の中がカラカラなのに気が付いた。
しばらくすると僕が意識が戻ったことを聞いたのだろう、数人の白衣を着た男女が部屋の中に入って来ると次々と質問をしてきた。
「あなたのお名前は?」
「
「歳は?」
「……17」
医者と僕のやり取りを後ろの白衣の青年がビデオで撮影している。
「すみません……、飲み物を」
しゃべるたびに喉がヒリつく。
すると一人の女性が赤ちゃんが使っているような飲み口のついたマグカップで少しだけ僕の口に水分を含ませてくれた。
僕はようやくフウと一息つく。それをみて眼鏡をかけた白衣の男がまた質問を再開する。
「お父さんの名前は、お母さんの名前は、学校は──」
しばらくそんな自分に関する質問が続き、最後に
「今自分の置かれている状況はわかるかな?」
「高校の帰り道で車に引かれました。僕の自転車どうなりました?」
高校入学の時に買ってもらったばかりのお気に入りの自転車だった。
医者はしばらくじっと僕を見た後。
「記憶の方は大丈夫のようだね」
そういって僕に向けて小さく笑みを浮かべた。
ぞろぞろと出ていく医者と入れ替わるように両親が病室に入って来る。
「よかった高志、本当に……」
母はそういって泣きながら笑顔を僕に見せた。
──あれから五日。
「なんだお前、腕は移植しなかったのか」
中学校からの友達の健司が見舞いに来て僕を見るなりまずそういった。
科学は目覚ましい発展を遂げていて、人は生まれてきてすぐクローンを作り、心臓をはじめ肝臓、内臓、腕、足などあらゆる箇所はクローンの移植手術により替えが利くようになっていた。
「折れたぐらい、移植するまでもないって」
「俺なんかすぐ移植したぞ。リハビリもなくて楽だし腕一本なら一時間ぐらいの手術で終わるのに」
「僕もできたらそうしたかったさ」
高志の父は今の時代には珍しく自然治癒派の一人だった。『自然に治るものは科学に頼らず自然に治せ』がもっとうの人だ。
本当はお金がないだけかもしれないが。なんせ結構大きな事故だったらしく、腕以外の損傷は自然治癒では難しい箇所ばかりだったらしい。特に内臓系はほとんどクローンのものと差し替えていると聞いている。そりゃあ莫大なお金がかかったに違いない。
聞いた話だと僕の体の30%はもうもとのオリジナルのものではないのだ、それもあって余計に父は入れ替えずに治せるところは極力そのままにしておきたかったのかもしれない。
「肺や胃、内臓系は移植してから退院まで時間がかかるらしいから、授業のノートよろしく」と高志は健司に頼んだ。
「うわ、結構スプラッタな状態だったんだな」
それを聞いて健司が眉間に皺を寄せてウワーという顔をする。
それからさらに一週間後、僕は久々に高校の門をくぐった。
「高志」
うれしそうに駆け寄ってきたのは事故の前に分かれた元恋人の紀子だった。
「よかった、事故のこときいたとき私本当に心配したのよ」
そういって涙ぐむ彼女を僕はどこか冷めた目で見詰めた。
嫌いで分かれたわけではない、だから余計に思ってしまう。
本当に涙ぐむぐらい心配だというなら一度ぐらいお見舞いに来たらよかったじゃないか。と
僕が何も言葉を返さないのがわかって、紀子も気まずそうにじゃあと去っていく。
それを見てちょっと大人げなかったかなと考える。
その時ふと退院するときに先生が言っていた言葉を思い出した。
『事故のせいで記憶が混乱することがあるかもしれない。そのせいで感情がうまくコントロールできないときがあるかもしれない、でも生活していくうちにだんだんそれもなくなってくるだろうから焦らずいきなさい』
きっとそのせいだ。僕は自分にそう言いわけをした。
その日は午後からプールの授業があった。
事故にあってから初めて入るプールだった。
友達とふざけながらシャワーを浴びプールの淵に並んだとき、僕はなんともいえない不思議な感覚に襲われた。
それをなんて言葉にしていいか、ただ胸が締め付けられるような、そう僕が知っている言葉で一番近い言葉はきっと孤独。
しかしその時なぜ自分がそんな気持ちになったのかわからなかった。
ただ苦しくて自分の足元が崩れていくようなそんな感覚に襲われ、そのまま僕は意識を失った。
気がついたときには学校の保健室に寝かされていた。
その後は特に変わったこともなく、僕たちは無事に一つ上の学年へと上がった。
「高志最近悩みとかあるか?」
初めにそう切り出したのは健司だった。
「いや別に」
僕は笑いながらそういったが、健司はそんな僕をみてすごく複雑そうな表情をした。
僕はなぜ彼がそんな表情をするのか理解できなかった。
僕の記憶の中で彼がそんな顔を見せたことがなかったからだ。
「なぜそんな顔をするんだ」
おもわず僕はそう口にしていた。
「いや、ないならいいんだ」
新しい学年では健司とはクラスが違ったので、それ以来健司とはあまり話すことはなくなった。
ある時紀子から泣きながら電話が掛かってきた。
内容は健司と僕が喧嘩しているからだという。
でも僕には喧嘩した覚えなどない。
自然と話さなくなっただけである。
しかし彼女は、自分が健司と付き合いだしたからだろうと言って泣いた。
それは初耳だった。しかし別にそんなもの理由にすらならない僕と付き合っている時に健司にも手を出したならわかるのだが、僕たちが分かれた後の話だし、健司と疎遠になったのも紀子のせいじゃないのに。
僕たちはもうとっとく別れているのだからその後二人が付き合っても今の僕にはなんにも関係ないことだ。ただそれを言葉にするのも面倒なので、僕は黙って紀子の話をただ聞いていた。
鬱陶しいなと思いながら相槌を打つ。
聞きながら、僕は怒ればいいのか、悲しめばいいのか、祝えばいいのか、まったくわからなかった。
僕はまだうまく感情がコントロールできないだけなのだろうか?
それとも、もとからこんなに冷たい人間だったのだろうか?
でもどこかでこんな風に電話をかけてくる紀子がおかしいと思う自分もいた。
事故の前の自分の気持ちがよく思い出せない、事故の前だったら、僕はこの電話にどう答えていたのだろうか。
そう考えると胸が少しだけ苦しかった。
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