第11話
ウェルツィアの逃亡から一年、隣国ドゥリスタにある国境沿いの町マニュエラでエステラは過ごしている。
逃亡からひと月、ふた月の間は唐突にレオンハルトが現れるのでは、と柄にもなくびくびくしながら過ごしていた。だがそれも随分と見当はずれの場所で英雄が魔物討伐をしたという話を聞いて、落ち着くことができた。扉を開けたらハイ英雄なんて、あんなホラー体験はもうしたくない。
どういうわけか魔物討伐を主に行う第四騎士団に移動したらしいレオンハルトは、ちょくちょくその名前が噂になっていた。だからこそエステラは安全と思えるルートで国外脱出が出来たとも言えるのだが。
魔眼の封印で周囲が変わってエステラへの興味が失せたのか、それとも地方を回る第四騎士団の任務がてら探しているのか。レオンハルトの考えなど読めはしないが、そのおかげで心穏やかに、ここ半年は逃げる事だけでなく元々の旅の目的の為にも動けるようになっていた。
そんなわけでエステラは今日もほどほどに狩りをして路銀を稼いだり、荷物の整理をして過ごしていた。
「よう、エステラ。こっちこっち」
晩御飯を食べに向かった宿近くの酒場。マニュエラで知り合った商人の片割れ、イーロが手をあげながら声をかけてくる。真っ赤な顔で持ち上げたジョッキから酒がこぼれている辺り、随分と出来上がっている。
「ご機嫌だね、イーロ。ヨエルはどうしたの?」
誘われるまま同じテーブルにつきながら問えば、ぱちんと音がしそうなほど上機嫌にウインクが返ってきた。マニュエラに来た日に出会ってから長い付き合いではないが、エステラの前でこんなに機嫌がいいのは初めてだ。まぁ、最初が随分と腐っていたというのもあるだろうが。
つられるようにエステラも楽しくなってくる。
「ヨエルはご挨拶。オレは仕入れだったんだけど、ちょっと早く終わってさ」
「ご挨拶?」
店員が運んできたエールを受け取りながら、首を傾げればノリノリでジョッキを打ち合わせられる。
「おうよ、やっと国境越えられそうだからな!」
はいカンパーイ、と再度打ち鳴らされるジョッキ。なるほどそれはテンションも上がるわけだ。
出会った時から国境沿いの山間に双頭竜アンフィスバエナが現れたと、マニュエラから動けなくなっていたイーロとヨエル。最初は盛大にぐちぐちと管を巻いていたのだ。エステラは山を迂回して国境越えをしたのだが、そのせいで絡まれたのも今や笑い話。とはいえほとんど道などない森を踏破した事を教えれば、引きつりながら諦めてくれたのだが。
「てことは、アンフィスバエナどっかいったの?」
縄張り争いにでも負けたのか、どこからかやってきた竜だ。また気まぐれに移動でも開始したのかと思ってエステラが問えば、にんまりとした笑みが返ってくる。
「違うんだなぁ、これが」
「え、まさか」
ぞわ、とエステラの背筋を嫌な感覚が走っていく。酒を飲み始めたというのに、鳥肌が立ちそうだ。
そんなエステラの気持ちとは裏腹に、イーロの笑みは深まっていく。
「スタルトス王国の騎士団が討伐に動いたんだってよ」
イーロは何もしていないはずなのに胸を張って自慢げにしているが、それどころではない。英雄の噂はできるだけ集めていたし、つい最近聞いた最後の話はほとんど国の反対側にいたはずだ。確かにアンフィスバエナは強敵だが、そんなに無理して英雄を引っ張り出して来るほどではないと思ったのだが。
いやまだ別の部隊という可能性もあるはずだ。
「それもかの英雄様が来るって言うんだ。これはもうすぐにでも国境を越えられるようになるぜ」
内心慄きながらの甘い見通しは、これでようやくすっきりしたと言わんばかりのイーロの声で打ち砕かれる。
「英雄……来るのか……きちゃうのか……」
「お? そういや、エステラは英雄の噂集めてたよな。良かったじゃねぇか、討伐完了の時には一応こっちにも報告来るはずだしよ。見れるかもしれないぜ」
そうではない。逃げたいから居場所を確認していたのだ。そう言えるはずもなく。
思わず引きつった笑いを返しながらこれからどうするかを考えるエステラは、もはや楽しく夕食をという気分ではなくなっていた。待ちに待った国境越えが見えてきたことで、イーロにそんな内心を気付かれることはなかったが。
宿に戻っても、もやもやとした気分は晴れなかった。
レオンハルトが魔物討伐をしていると話が回る様になってから、こんなに近くに来ると聞いたのは初めてだ。どうやら強さよりわかりやすく話題になる魔物に対して動いているらしいと気付いてからは、そういったものをできるだけ避けて来た。
アンフィスバエナの話を聞いて、まだとどまっていたのはそれが理由でもある。かの双頭竜は竜種とはいえ、レオンハルトの英雄譚には添え物になってしまう程度。国境越えは念のためとできなくなったが、来た時と同じようにあっさりと居なくなる可能性だってある。何か被害があったわけでもなく、もう少しどう動くのか待っても良かったはずだ。
「嫌な予感がする……」
考えれば考えるほどいつの間にか追い詰められているように思えて、つい口に出せばぶるりと震えが襲ってくる。もそもそと宿の薄い毛布にくるまっても、エステラの腕から鳥肌が消えない。
一年前のレオンハルトから考えれば、愚直に、直接的に追ってくるものだとエステラは判断していた。だがこれが偶然ではなく、考えあっての行動なのだとしたら。何か考え方の変わる事が起きたのだろうか。魔眼を封印した事でそんな何かが起きたのだとしたら、それはエステラの望むところではあった。
「だけどなぁ……」
追うにしても追われるにしても、相手の情報がなければ上手くいかない。エステラを追うために策を弄するようになったのだとしたら、情報が足りない分早く動いた方が良い気がしていた。
それでもエステラの中にあるレオンハルトと重ならない行動に、もうエステラの事など忘れて周りの人間と上手くやっている可能性が捨てきれない。今回近くに来るのは完全に偶然で、ただ騎士団としてそつなく動いているだけなのではないか。
そうだとすれば、エステラは警戒をするのではなく祝福するべきだ。そうだと良いな、とも思う。たったふた月程の関わり合いだったが、その中で見たレオンハルトを取り巻く状況は一年たっても忘れられない程に同情を誘うものだったのだから。
ごちゃごちゃとこんがらがる考えに蓋をするように、エステラは頭まで毛布を被る。こういう時は寝るに限るのだ。すっきりすれば多少なりとも考えがまとまるはず。だから無理やり目を閉じて、頭を空っぽにした。
翌日、エステラはアンフィスバエナがいる山間の向かい、小高い丘に上っていた。背後にはエステラが国境越えをするために抜けてきた深い深い森がある。こちら側を騎士団が行軍することはない。単体で強力な生き物はいないが、群れで襲ってきたり小型で対応の面倒なものが多く生息するため、余計な損耗を強いられるからだ。
だから安心して木立に隠れるように、向かいの山間を観察することができる。木々の薄くなったところでは、マニュエラの町へ挨拶に来ていただろう先遣隊が陣を敷いているのが見えた。中型竜であるアンフィスバエナは見えないが、今まで集めた情報から考えれば陣より標高の高い所にいるはずである。
遠見の魔法では、レオンハルトが既に居るのかどうか確認できなかった。あれだけ妖精がくっついている男だ。見落とすはずはないと思うのだが、天幕の中だったり深い木立に隠れてしまえばわからない。
かと言って魔法部隊もいる所に探知魔法を放つのはよろしくない。あの硬質な魔力は間違えようがないと思うが、他の騎士たちにあらぬ誤解を与えるのは嫌だった。しばらく粘ってみたが、やはり見つからない。
「遠目に確認したかったんだけどな」
仕方ない、と視界確保の為に上っていた大きな岩から降りる。一晩寝てすっきりした頭で出した結論は、遠目からレオンハルトの様子を確認する事だった。封印にほころびがなさそうなら、もうそれで終わりにしよう。そう決めたのだ。
だが決心もむなしく、それから数日観察してもレオンハルトは現れなかった。天幕の様子はもういつ討伐に動き出してもおかしくないように見えるのに、どういう訳かレオンハルトの姿がない。イーロから以外も討伐の情報を集めたが、隣国の英雄が来ると皆どことなく浮ついていたというのに。
「ほんとに討伐に隣国の英雄来るの?」
だから明日討伐開始、というその日。いつもの酒場で見つけたイーロとヨエルに、エステラは挨拶もそこそこに問いかけていた。
「乾杯より先に英雄様とは。エステラもほんとに好きだなぁ」
「違うってば」
「いやいや、恥ずかしがらなくて良いって」
「やめなよ、イーロ。エステラも。とりあえず、乾杯しよう」
にやつくイーロに口元が引きつるが、ヨエルのとりなしにエステラは一つ息をついて席につく。確かに性急だったと反省して、ジョッキを打ち鳴らした。
「それで英雄様だっけ?」
苦笑いと共にヨエルが改めて水を向けてくる。そう、それだ。何か知っているのかと視線に込めてエステラが頷けば、キッシュにフォークを刺したイーロが思い出すように視線を彷徨わせた。
「いやでも、オレも待ちに待った国境越えだからちゃんと国境警備隊に確認したんだぜ」
「それは僕も保証するよ」
「うぅん、別にイーロを疑ってるわけじゃないんだけどさぁ」
歯切れの悪いエステラに、イーロとヨエルが顔を見合わせる。
「そもそも、国境沿いに派手な軍備を敷くのは警戒されるだろうって理由でのの英雄派遣って聞いたよ」
「だな。スタルトスはほんの二年前まで戦争してた国だしよ、ガセじゃないと思うぜ?」
「え、あ、そっか」
なるほど、そういう来訪理由は全く想像していなかった。ならば本当に偶然近場に現れたという事なのだろう。そう思えばエステラの気分は一気に軽くなった。
軍事的、政治的な動きには疎いエステラだが、それを前提に考えれば今日までレオンハルトを見なかったことも納得できる気がした。一人で軍を壊滅させる事ができるとは言わないが、ある程度の布陣を突破して大将首を取れるだろう英雄を長時間国境に置くのは危うい事なのだ。きっと討伐に必要な最低限の時間だけレオンハルトはあそこに居る。
「なんだ。ごめんごめん、そう言う事かぁ」
唐突に気の抜けたエステラに、イーロがきょとんとしたまなざしを向ける。
「なんだよ、理由が知りたかったのか? 先に言えよな」
「ほんとそうだよねぇ、ごめん! なんか焦ってた」
「はぁ? どんだけ英雄好きなんだよ」
久しぶりに清々しい気分のエステラは、呆れたようにフォークを向けてくるイーロも気にならない。ふにゃふにゃと笑っていれば、ヨエルが眉を下げて笑う。
「好きかどうかはさておき、なんか解決したなら良かったよ」
「へへ、ありがとヨエル」
「でも危ないから明日見に行ったりしちゃ駄目だよ」
からかい半分、心配半分なヨエルにエステラはにっこりと笑って見せる。当然いつもの場所から盗み見るつもりだが、絶対にレオンハルトに気付かれないようにするつもりだ。つまりヨエルの心配するような事にはならない。それに。
「大丈夫。明日には次の町に行くから」
そう、討伐の様子を少し見たらそのまま町を出るのだ。レオンハルトの事は遠目に確認しようと決めているが、あまりにも近すぎる距離はどうにも逃げなければと思ってしまう。よく考えてみたが多分、実際に追っているのかどうかはもう関係ないのだ。本人に確認するわけにもいかない以上、足取りを追えない程遠ざかるのは精神安定の為だ。
だからもうすでに荷造りも済ませた。一番よく話していたイーロとヨエルには今伝えた。後はレオンハルトを一目確認できれば、もう心残りもやり残しもない。
「そうなのか? ギリギリに言うなぁ」
「あはは、でも言ってくれてよかったよ」
「ちょっと迷ってて。でも言えてよかった」
「まぁ、旅路に祈って乾杯できるしな。おねえさーん! エール三つ追加!」
「あ、肉も追加しようよ。僕唐揚げ食べたい」
イーロとヨエルは少し驚いたものの、笑って元気でやれよと言ってくれた。町や国を巡る商人として、それなりに人との出会いと別れは繰り返しているのだろう。気持ちのいい潔さだった。
翌日、確かにレオンハルトは討伐隊に居た。遠見の魔法ではっきりとした視界の中、相変わらずきらきらと妖精を纏い彫刻のように綺麗な顔をアンフィスバエナがいるであろう方向に向けている。
レオンハルトは何も変わっていないような無表情だったが、傍らにはどこか気安い態度のエルフが立っていた。何か打ち合わせでもしているのか、いくつか言葉を交わすと軽く肩を叩いて天幕に引っ込んでいくエルフ。
そこに漂う近しい雰囲気にエステラはほっと胸をなでおろした。友人のような人が周りにいて良かったと思う。レオンハルトの表情が変わらないからわかりづらいが、恐らく一方的な会話ではなさそうな空気が嬉しい。そうやって少しずつ穏やかな世界を作っていってほしい。
そんな事を考えていれば、討伐が始まった。追い立てられたアンフィスバエナに主力として対抗するのは、やはりレオンハルトで。麗しい見た目と裏腹に、獣のような戦い方は見ごたえがあった。
だがエステラは最後まで見ることなく、丘の上から立ち去る事にする。あの調子なら大きな損害もなく討伐は終わるだろう。もう確認したいことは確認した。今からなら、夜にはなるだろうがマニュエラの先にある宿場町に辿り着けるはずだ。
最後にもう一度レオンハルトがいるはずの方向へ視線を向けると、エステラは歩きだした。
この英雄、監禁魔につき 彼方 @k_anata
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