第10話
シルヴァンが話をするためにと案内したのは、王城敷地内にある騎士団寮自室だった。
「一応、王都のはずれに家もあるんだけど。ほら第四って遠征ばっかりだから、寮の部屋残してもらってるんだよね」
特にレオンハルトから話題を振る事はなかったのだが、シルヴァンは軽い調子で特に内容のない話を続けていた。よく口のまわる男だな、と思うと同時にエステラとも他の人間とも違う会話の流れに不可解な思いが募っていく。
騎士団にはレオンハルトに雑談を投げかけてくる者はいない。会話の内容と言えば事務的なものか、嫉妬まみれの皮肉か、武勇を讃えるか。大体そんなものだった。
「レオンハルトは将校のままなんだっけ。参謀良いよ~、この奥に寝室あるんだ」
通されたのは小さめだがソファーとローテーブルのあるリビングだった。確かにシルヴァンの言う通り、その奥には扉が見える。きっとその先が寝室なのだろう。
「適当に掛けてて。紅茶でも飲む?」
「必要ない。本題は」
躊躇いなく二人掛けソファーへと腰を下ろしたレオンハルトが性急に切り出せば、苦笑いが返ってくる。
「規則以外に執着しないって英雄様が凄い変わりようだ」
そんな当然の事を言われても、レオンハルトにはよくわからなかった。自分も含め、等しく汚らしい世界で何に執着しろと言うのか。
小首を傾げるレオンハルトに、更にシルヴァンは笑みを深めた。これは話が長くなりそうだ、と勝手に紅茶を淹れて戻ってくる。薄気味悪い花の香りを溶かすように紅茶が香るのだけは好ましいなと思う。
「さて、本題な。そうだなぁ」
手持無沙汰を埋めるように、シルヴァンは紅茶のカップを揺らす。うっすらと立つ湯気の向こうで、深い森の色をした目が細められた。
「レオンハルト、お前、ウェルツィアでやられたって言う凄腕魔術師を本当に逃がしたの?」
問いかけるようでいて、その実確信したような問い。レオンハルトとしては面倒だったから誤解を放置しただけで、特に隠す理由はない。
とはいえ、今現在逃げられているので逃がした事にはなる。
「逃げられたな」
だから素直に答えたというのに、シルヴァンは眉を寄せて疑いの目を厳しくする。
「嘘だろ? 君を倒すような魔法使いと魔眼を封印する魔法使い、そんな凄腕二人に短期間で出会った?」
「魔法使いには一人しか会っていない。それもさっきの会議中に逃げられた」
「そうだろ、一人だろ? あれ?」
「それより魔眼とは?」
「え、魔眼だよ。妖精がつきっぱなしだし、封印かな? してもらったんでしょ?」
「そもそも俺は魔眼だったのか?」
「そっから!?」
唖然としたように見つめられても、どうしようもない。まず第一にレオンハルトには魔法の素養がないのだ。敵意を持って放たれた魔法は間合いに入れば違和感を感じるが、そうでなければ余程感覚の尖った状態でなければ気付けない。自分についている妖精が使う魔法だって何なのか発動するまでわからないのだ。
それ以前に話が噛み合っていない気がする。
「ああ、そうだ。面倒だったから一つ誤解をそのままにしていた」
「誤解?」
「ウェルツィアで俺を倒した魔法使いと、その後保護した人間は同じ人だ」
ぱちりぱちりと、二度シルヴァンがまばたきをする。
「同じ人」
「そうだ」
「てことはお前、自分に勝った奴を保護したの?」
「そうだ」
「え、なんで? 何のために?」
「惚れたから、一緒にいる為に」
レオンハルトが素直に答えれば、鳩が豆鉄砲ならぬエルフが豆鉄砲を食らっていた。
「惚れ……?」
呆けた顔ではくはくと見つめてくるシルヴァンに、レオンハルトが頷きを返すとゆっくりと首を傾げられる。
「滅茶苦茶逃げられてない?」
「現在進行形で逃げられている」
「思いっきり片思いじゃん……」
「そうだな。だがあの人は、あの人の為にやる事なら良いと言っていた」
「それなら、いい、のか? 重くない? いや本人たちが良いならいいのか?」
ごにょごにょと独り言を言いながらシルヴァンは考え続けるが、レオンハルトにはどうでもよかった。
愛なんて吐き気を催す感情をエステラから向けられたくはないのだから片思いであるべきだし、レオンハルトが逃げ出すことを許容出来ないのと同じようにエステラが守られることを許容しない事もそれはそれで構わないのだ。嫌われようともレオンハルトがする事は変わらないのだから。
そう思えばやはりこんな所で時間を食っている訳にはいかない。
「魔法使いはあの人にしか会っていないが、結局何の話がしたかったんだ。大した話でないならもう行く」
そうだ。こうしている間にもエステラはどこかへ逃げてしまう。そして時間が経てば追いかける難易度もどんどんと上がっていく。
もういいだろうとレオンハルトが腰を浮かせると、わたわたと手を振って諫められる。
「や、待て。その魔法使いを勧誘しようと思ったんだが」
エステラと共に居る為に騎士団を辞めようとしているのに、エステラが騎士団に入ってしまっては何の意味もない。それ以前にエステラを騎士団に渡すつもりなど毛頭ない。
ちり、と肌を焼くような殺気をシルヴァンに向ければ苦笑いが返ってくる。
「無理だよねぇ。わかってるから威嚇するなって」
ぱたぱたと振られる手に、レオンハルトは静かに殺気を収める。
「いやしかし、本当にお前が騎士団を抜けるならお前と近距離で打ち合えて、あんまり数のいない封印魔法使いは惜しいんだよなぁ」
「そう言えばその魔眼を封印というのは何のことだ」
「ほんとに気付いてなかったの? 妖精がお前の目を魔眼にしてたの」
何度妖精が自分の目を魔眼にしていたと言われても、やはり自覚はない。
だが成程、納得する事もある。確かに初めて会った人間は目を合わせると、ほんの少し硬直する事があった。ただ、目を合わせずとも二度見三度見されたりと妙な反応も日常茶飯事だったので、レオンハルトが気にしたことはほとんどなかったのだが。
自分が魔眼だった事を飲み込むレオンハルトとは対照的に、顎に手を当て考え込んでいたシルヴァンが顔をあげる。
「まぁ、お前が魔眼に気付いてなかったのは良いとしてもだ。魔眼に抵抗するのと封印するのは全然違うんだよ」
「影響されないのだから変わらないのでは?」
「いいや、違う。レオンハルトみたいに魅了だの威圧だのをまき散らしてるようなのは特に」
レオンハルトはその手の魔法にかかったことがない。精神操作系の魔法の使い手が少ないのか、妖精が弾いていたのか知らないがかけられた記憶はない。それに自分に向けられた魔法は基本的に避けるか、物理的に破壊するかのどちらかだ。だから余計に抵抗と封印の違い等わからなかった。
そんなレオンハルトに、シルヴァンは指を立て口を開く。
「お前だって周りが妙に話を聞かないとか、やたら突っかかってくるとか。それは感じてただろ?」
妙にとか、やたらとか、そういうレベルではなく全てと言っても過言ではなかったが、細かい事は良いだろうとレオンハルトは頷く。
現状レオンハルトにとってやたらと妙なのはエステラやシルヴァンだ。
「不特定多数の人間が精神操作されている中で、自分だけそれに抵抗する。そうするとどうなるか」
ずい、と身を乗り出してくるシルヴァンにレオンハルトは片眉をうっすらと上げる。どうなるも何も、レオンハルトの世界にそんなもの存在しなかったのだから想像もつかない。
「抵抗出来ない人間は心酔、憎んだまま。抵抗した人間はお前を普通に見る事になる。どう考えても面倒な事になるだろ」
「面倒?」
「そ。素晴らしき英雄様に不敬であるとか、そういう」
ただの人殺しに不敬も何もないだろう。いつだってレオンハルトはそう思うのだが、実際そんなやり取りを目の前でされた事もある。
「お前の魔眼は厄介だったんだよ。魔法自体は元々の思考を増幅する程度だが、お前にはその綺麗な顔と並外れた強さがある。だから、その」
歯切れの悪くなるシルヴァンに、そういう事かと納得する。
「だから無関心か」
シルヴァンの言葉を継いで告げれば居心地が悪そうに顔を背けられる。保身の為に近寄らない、それを恥じているのか後悔しているのか。
そんな反応をする必要はないのに。レオンハルトにとっては普段通りで、人間はそういうものだと思っている。だからシルヴァンに対して幻滅するような事もない。
確かにエステラのように他とは違う話をするとは思ったが、それだけだ。エステラ以外に期待もなければ望みもない。
「あまり意味はなくても、最初は周りに抵抗や解除魔法かけたりしてたんだ。けどそれすらお前の信奉者には不服だったらしくて……いや、言い訳だな」
「そうか、それはどうでも良い。封印だとどうなる」
「どうでも……」
シルヴァンはガリガリと頭を掻き毟ると大きくため息をつく。
「いや、うん。封印ってことはさ、お前はもう妙な魔法を巻き散らかさない訳だ」
「そうだろうな」
「で、精神魔法って言うのはさ弱いのを延々かける方が厄介なんだよ。プラスのものをマイナスに変えるような事をすれば、人によっては激しい違和感で解除魔法を使わずに抵抗できる事だってある」
確かにそんな話をレオンハルトも聞いたことがあった。今までの行動とあまりに乖離した思いは自己矛盾を起こし、精神の強さによってはそれがそのまま魔法に対する抵抗になる事もあると。
それだけでなく下手をすると精神が酷く傷つく事もある為、使い勝手が良い魔法ではないという事も学んだことがある。魔法は決して万能ではないのだと。
「けど弱い精神魔法って言うのは違和感がほとんどないんだよ」
例えば、と言いながらシルヴァンが紅茶の入っていたカップを持ち上げる。
「この紅茶、香りや味をどう思った?」
「香りは好ましいと思った」
素直にレオンハルトが答えれば、シルヴァンは深く頷き立ち上がってお代わりを注いでくる。やはり不快ではない紅茶の香りがあたりに広がった。
「さて二杯目の紅茶だが。嫌いな香りになったか?」
「いや。特には」
「だろうな。なら想像してごらん? もし一杯目よりほんの少しいい香りだと思ったとして、どう思う?」
シルヴァンの言葉に導かれるように、レオンハルトは紅茶を見ながら考えてみる。そう珍しい紅茶ではないのだろう、真新しいものではないが好みではある香り。これがもう少し、好みだったとして。
「特には。夕食後にもう一度飲もうと思う位か」
「だよな。それが弱い精神魔法の厄介なところなんだ。例えばそれが毎日続いて、紅茶を飲むのが習慣になったとしても違和感がない」
そう言いながら、紅茶を飲むシルヴァン。落ち着き始めていた香りがまたふんわりと広がっていく。
「そこまで行くと解除魔法をかけた所で大した効果はない。元々持っていた思いはそのままに、時間をつぎ込んだ分それは手放し辛くなる事が多い」
ほんのわずかな音と共に、ティーカップがソーサーに戻される。
「そうなると一番効果的な対処法は、掛けられていた精神魔法から引き離してもう一度ゆっくりと関係を見直す事だ」
「俺の場合は魔眼の封印という事か」
「そういう事。しかも騎士団、ていうか軍に残るなら多分最良の対処だよ」
レオンハルトの眉間にはっきりと皺が寄る。騎士団を辞めたいとエステラには伝えたはずなのに、騎士団に残るなら最良の対処とはどういうことだ。
「妖精の魔法はそのままに魔眼を封印することで、魔法を解除して新しく変な魔眼になる事を防いでる。妖精はつきっぱなしだからお前の戦力も、格も落ちない」
今すぐエステラのところに行って、彼女にさえきちんと見てもらえれば良いのだと訴えたい。他の誰が魔眼で惑わされようとどうでも良いと伝えたい。騎士団などエステラの傍にいる事に比べれば、何の価値もないのだとわかって欲しかった。
衝動のままにレオンハルトが立ち上がろうとしたところで、シルヴァンの言葉がそれを押しとどめた。
「そもそも妖精付きから妖精を剥がすのはなかなか難しいからな。その魔法使いにとってできるギリギリの事だったのかもしれないけど」
「妖精を剥がすのは難しいのか?」
エステラはそう苦労もなく妖精をどこかに追いやっていた。だから魔法使いによっては難しい事ではないのかとレオンハルトは思ったのだが。肩を竦めるシルヴァンを見るに、簡単な事ではないらしい。
「妖精を剥がすために自分の事を損なうのは本末転倒だろ。それ以外ってなると竜の力とか瘴気とか……ちょっと入手は難しいな」
「竜の力、は竜人にもあるのか?」
「あるぞ。竜人がやたら強いのはその力があるからだしな」
妖精を追いやるときに瘴気を感じたことはない。つまりエステラは竜人の血が混じった亜人だったのか、とそこでようやくレオンハルトは気付く。看護しているときに頭に小さな角がある事には気付いていたが、小さすぎてどの亜人種の角か判別がつかなかったのだ。
そんな事を考えていれば、シルヴァンが何かに気づいたように声をあげる。
「もしかして、例の魔法使いって竜人なのか?」
「知らない。外見に特徴はなかった。だが妖精は嫌いだと追い払っていた」
「どっかで混じってるのか……原始魔法ばっかり使ってるぽいのは他に混じった種族の影響かな、うわ、レオンハルトの天敵かな」
ぶつぶつと思考に沈んでいくシルヴァン。それを見ながらこれからの事を考えていれば、何がしかの結論を得たのかシルヴァンが真っすぐ見つめてくる。
「うっかり聞き流しちゃったけど、その魔法使い会議中に逃げたんだっけ? なんで知ってるの?」
「探知魔法を改造したものをかけてもらっていた。それが切れた」
「わぁ……ほんとにその魔法使い欲し、いや嘘冗談だって。凄腕だなって思っただけ」
ふざけた言葉にレオンハルトが殺気を向ければ、苦笑いと共に手を振って誤魔化される。それから悪戯っぽい笑みを浮かべると、シルヴァンは不思議な事を言い出した。
「騎士団を辞める下準備と、その魔法使いを探す手伝いを俺がしてやるって言ったら乗るか?」
「どうしてシルヴァンがそんな事をする?」
「俺だって大国の騎士団参謀で魔術部隊長ってプライドはあるの。諦めて放置した事を野良魔法使いにどうにかしてもらって、そのままってわけにいかないでしょ」
胡散臭い。そう思いつつも実際問題として、今からウェルツィアへ急いで戻っても十日はかかる。それだけの時間レオンハルトを気にせず全力でエステラが逃げたら、追うのが相当困難な事は想像に難くない。
だが魔法使いによっては人探しの得意な者もいる。シルヴァンがそういうタイプだと聞いたことはないが、レオンハルトの持っていない手段で効率よく探せるかもしれない。とりあえずは話を聞こうと深くソファへ座りなおした。
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