あなたがこどものころに起こったこと

つちやすばる

We Didn't Saying About When We were Child


 


 これはメモワールではない。記憶の断片をつかったコラージュではなく、今現在わたしの目から通した映像――映画のドキュメンタリーほどはっきりとしたものではないが、夢よりはにおいもするし、さむさや口のなかの血の味も感じられる、と言っておこうか。

 わたしはこどものころ、映画のなかの出来事も夜に見る夢の区別もなく日中の時間を過ごしていたが、あれはほんとうに駆り立てられるようにそうしていたと思うし、あの時ほど切実に映画的なものや夢を求めていた時はないと思う。これこそまさに自分の世界だと思ったし、実際そうだったのだろう。現実のわたしは、学校でも家のなかでも、気持ちが安らぐことはなかったし、唯一のたのしみといえば映画をみることや、外の世界での映画の物語の再現だった。家のそばの森や畑のなかに隠れては、わたしはロマンチックな妄想を膨らませていた。中世の騎士の世界もあったし、千夜一夜物語の盗賊と砂漠の世界もあった。おとぎ話出てくる類のものはすべて登場させた。家へかえってきて食事と入浴を済ませてすぐベットに入る時間が来ると、ぶ厚い何枚もの布団にくるまれながらそのつづきを編み出した。夢の中でも繰り返し物語のつづきを考え続けた。

 わたしだけが夢見がちなこども時代を過ごしたわけではないと思う。それぞれの資質の程度の違いこそあれど、だれもが現実のなかで夢を見続けたはずだ。ただ、それをすっかり忘れているだけなのだ。

 あなたはいつでも帰ってくることのできる、その部屋の明かりが見えていると思う。それが夢の世界だ。現実の中で――家に至るまで歩道でも良いし、食事を終えた後のだらりとした時間でもいい、あなたはいつでその部屋を意識しているし、ちらちらと目の端に映るその部屋のあかりも見えている。だけれども、そこへもどることがあなたにはできない。

 理由はさまざまだろうし、過去に影響されない自分というものを守っているのかもしれない。わたしは人の心のことなんか全然わからないから、すべては詮索で終わってしまうけれど――

 わたしは過去と共に生きている。老人のようだとも言えるかもしれない。繰り返しの音楽が好きだし、人の話している他愛のない言葉もすきだ。意味なんていらないと思っているし、この世のものすべてが無意味であったらいいとすら思っている。わたしには人生と名づけられ、さししめされているすべてに意味がありすぎて、その意味が重たい。できることならなしくてしまいたいし、ふだんは忘れるように努めているのだが、意味に意味された人々との付き合いもなくすわけにはいかない。難しい気持ちでわたしはひとりぽつんと立っている。

 わたしたちは去勢された家畜のような人生を歩んでいる。すべては管理のために清潔に安全に、ナンバリングされ、コースからコースへと、レースからレースへと、ぐるぐるぐると何者かの手によって、意味を与えられ、無意味を名づけられ、価値ある世界の進歩しかない道筋によって、運命が決められる。わたしはそれこそが現実ではないと考えているのだが、そうは思えないひとたちにとっては、それは危険な思想である。

 わたしはうつくしいものも好きだし、べつに裕福な生活というものを否定しているわけではない。わたしの言葉だって、意味ある世界に生きているひとたちにとっては、それなりにブルジョワ的でそれなりに価値あるものにちがいない。現実のなかのわたしは、それなりに有効活用すべき人材でもあるだろうし、世間の一部としてそれなりに意味ある存在として際立つことも期待できるだろう。

 わたしはそういったことがそれなりにできると思う。ただ他の人と違う点があるとするならば、そう振舞いながらも、いつ裏切ることができるだろうかと、時間を指折り数えながら待っている。それだけがわたしを救う。


あなたの子どもの頃、あなたの部屋の灯り

それはどこにあるのだろう?














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