28thキネシス:低位パラダイムのルールを振りかざす無益さの実感

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「おい…………か、影文」


 週明けの月曜日。

 5限終わりの休み時間にトイレに行こうとした陰キャ男子だったが、その直前に背後から声をかけられた。

 ヘアワックスで洒落た髪型を作っている、制服の前も開けたチャラい男子生徒。

 元総理という大物政治家を祖父に持つ、浜奈菊千代はまなきくちよという大層な名前の少年である。

 どうやら影文理人かげふみりひとの後を付けて来ていたらしいが、これから小用を片付けなければならないというタイミングを選ぶなや。


 ふたりはそのままトイレ内へ入ると、個室などにも誰もいないのを確認してから、チャラ男の方がポケットから封筒を差し出す。

 理人は中身を知っていた。ある国際的な銀行から振り出された5億円(362万3千ドル)の無記名小切手だ。世界中どこでも現金化できる。

 それを受け取ると、陰キャはつまらなそうに封筒をかざして見せて、制服の内ポケットに仕舞い込む。


 言うまでもなく、先週末のガルベスタンの件の報酬だ。

 金なんかいるか、と思った理人だが、そうは言ってもアランとナターシャが動いてくれた分に関しては、相当元手がかかっている。

 受け取りたくない、と陰キャが勝手に判断してよいことではなかった。


「よぉ影文……それさぁ、なんなんだよ? なんか爺ちゃん……なんで爺ちゃんがお前なんかに、それをさぁ…………」


 チャラ男は挙動不審だ。今までのように見下した態度は一切無く、むしろ怯えすら滲ませる。


 浜奈菊千代はまなきくちよにとって、祖父というのは世間一般の家庭で見られるような優しい「おじいちゃん」ではない。

 少なくとも、浜奈一族にとっては絶対的な支配者だ。

 今まで散々祖父の威光を笠に着ていたチャラ男であるが、それは単に元総理の名前を勝手に使っていただけで、祖父本人は孫可愛さで守ってくれるようなことはないと知っていた。

 祖父が孫をかばうのも、自身の政治家としての看板に傷を付けない為に過ぎないのだ。


 そんな祖父が、菊千代きくちよに厳命したのである。

 その封筒を、影文理人に渡すこと。決して中身を見ないこと。口頭で伝言を伝えること。誰も見てない場所を選ぶこと、など。事細かに。


 チャラ男は、自分が祖父に何の期待もされていないのを知っている。家でも、居ない者同然の扱いだ。

 ところが、祖父ははじめて、菊千代きくちよひとりを呼び出し正面から指示を出した。

 政界の重鎮としての威厳を以って、孫に仕事を命じたのだ。父に対するように、他の政治家や部下にするように。


 あまりの静かな迫力に、チャラ男はチビッた。

 そして混乱した。

 何故、影文理人なのだ、と。


「それ、お爺さんがオレに聞いてもいいって?」


 それに何故、影文理人からも、同様の迫力を覚えるのか。


 静かに、値踏みするように、あまりよくない目付きで下からうかがうようにする陰キャ。

 本能的に触れてはならない部分だと感じたチャラ男は、プライドも見得もなく激しく首を横に振っていた。

 この辺の勘は、総理まで出した政治家一族の血筋なのかもしれない。


「それで……他に何か聞いてない? その、何か問題だったとか、予定通り終わらなかったとか」


「あ……ぅう……い、いや、そう、ああ、聞いて……言えって、言われてる。

 えーと、あの、あ、確か、『受け取って』、『問題ない』、だったかな? た、多分、そ、そんな感じ?? アハハ」


 しどろもどろのチャラ男のセリフに、理人は片眉を上げていた。

 孫が祖父から預かった伝言は『無事受け入れが終わった。問題ない』だったが、緊張や動揺で半ば頭から飛んでいたのである。

 いぶかしむ陰キャであるが、まぁ問題は無かったということかな、と問い質すなどはしなかった。

 実際、300人は国境を越えさせたのだから、その先を心配しなければならない義務もあるまい。


 理人の操縦する輸送機は、ガルベスタンとラディスタン国境の近くにある高地の平原に着陸していた。

 本来は中型航空機が着陸できるような場所でなかったのだが、そこは超能力マインドスキルである。

 そこで、やって来た日本政府の職員に飛行機ごと引き渡した。無論、元総理の手配だ。

 その後の300人の身の振り方も、元総理の預かるところとなっていたが、理人が孫に聞いたのはその結果だ。


「オレからも伝言を頼んでいい?

 『あんた達のケツを拭くのは二度とゴメンだ』。それと、『次やったらブッ殺す』。

 手間賃はお爺さんに好きなだけ請求してよ」


「え!? お、え!? おいちょっと待ってそんなの無理――――!!!!」


 不機嫌さに磨きをかける陰キャは、それだけ言ってトイレを出て行った。小用を処理する前に予鈴が鳴ったぞオラァ!

 残されて進退窮まるのは、チャラ男の孫である。あの祖父にそんな伝言できるワケねーだろ。


 ところが、菊千代きくちよには出来ないとも言えない理由があったのだ。


 祖父の元総理、浜奈一族の長は、高校生活中は孫に理人との連絡係をやらせるつもりらしい。

 理人は本当に元総理に伝言が行くとも思わず憤懣を口に出したのだが、チャラ男は命じられた役割にのっとり、それも祖父に伝えなければならないワケだ。


 頭を抱えてトイレにしゃがみ込む孫。

 そんな孫の懊悩など知ったことではなく、元総理、浜奈甚太郎はまなじんたろうは影文理人とのつてを維持する為に、策謀を廻らせるのである。


               ◇


 理人は知らなかったが、政治家にとってアンダーテイカー個人と関係を持てるというのは、隠されたステータスだった。

 超能力マインドスキルの有無にかかわらず、地下社会アンダーコミュニティの人脈を持ち『オフィス・ユニオン』という巨大機構を利用でき、そしてアンダーワールドという領域から桁外れの富を持ち出すアンダーテイカーという人種は、時に世界を左右し得る存在である。


 そんな相手との繋がりを匂わせるだけで政治の世界では油断ならない相手とされ、実際に協力を得られるとなれば大勢が擦り寄ってくる、アンダーテイカーとはそれほどの価値を持っていた。

 事実、理人は国際政治の舞台で、法と暴力に雁字搦めでどうにもならなかった難事を解決してみせている。

 5億などやすいモノだ。

 そう思うと、月10万で買収しようとしていたのが、ガラにもなく笑えてしまう甚太郎であったが。


 実のところ元総理は、孫と同じ学校に通う陰気な男子がアンダーテイカーであるとは半信半疑だったし、本当にクーデター下の国で300人もの人間を救出できるとは思っていなかった。

 ところが、その予想は大ハズレとなる。

 圧倒的支持率で総理大臣として2期8年を勤め上げ、今なお与党と政権に絶大な影響力を持つ政界の重鎮でさえ、アンダーテイカーのつてなど持ってはいなかったのだ。


 この伝を、逃す気はなかった。取れる手段は全て取る。

 よって、不出来で愚かで短慮で政治家としての将来は欠片も期待できない一族の末っ子を、どうにか教育する必要も出てきたのだが。


                ◇


 どうしてこんなことに、と。全授業を終えたチャラ男は帰ろうとしていた。特に部活にも入っていない。

 今までは放置されていたが、最近はすぐに帰宅するよう祖父の秘書からも言われているのだ。

 登校時のみ使っていたクルマだが、下校時にも校門前に迎えが来るようになった。

 小耳に挟んだところによると、高校卒業後には海外留学も考慮されているとか。

 普通に政治家コース。

 チャラ男の孫は面倒クサくなりそうな将来を悲観した。


「や! 浜名君、お疲れさま。今帰り?」


 そんなところに現れる、爽やか好青年の笑みを貼り付けたエセ優等生である。


「浜名君、影文君と話し合い・・・・でもしたの? そんな話を聞いたんだけど。言ってくれれば僕も立ち会えたのに」


 これを意訳すると、勝手なことをするな、自分にも話を通せ、ということになる。

 チャラ男は、今はこの見せかけ優等生に会いたい気分ではなかった。


 以前は、この学校に通う上で、花札星也はなふだせいやとの付き合いには充実感と安心感があった。

 学校における最強のグループへの所属。ルールに従うのではなく、ルールより上の立場にいる特権的階級意識。

 それに、弱く情けなく惨めで哀れな雑魚を足蹴にする爽快感と、仲間と共にそれを行う連帯感。


 チャラ男は元総理の孫という立場であるが、自分が『出来損ない』と言われている通りの、特に知力腕力に優れるワケでもない存在だというのを理解している。

 だが決してそれを認めることはないし、それを覆い隠せる上位グループに腰を下ろしているのは、居心地が良かったのだ。


 だが、今はそれほどメリットを感じないし、思い返すと息苦しささえ覚えている。

 今は、この外面だけはいい男子の顔色を窺っている余裕は無かった。


「ねぇねぇ浜名君、影文君と何の話をしたの?」

 

 口調こそ無邪気だが、優等生のセリフには有無を言わせない強引さが垣間見える。

 以前から感じていた事ではあるが、菊千代は気にしていなかった。あるいは、気にしないようにしていたのか。

 相手を尊重するような事を言いながら、基本的に相手の不服従を許さない優等生だった。

 それが、今は目に付く。


「あー……ちょっと俺んちと影文で話があったらしいんだわ。知らねーけど。

 なんか手紙渡しただけだからさ」


「あっは! もしかして浜名君の家に影文君訴えられた、とか? そうだよねー流石に政治家のお家を敵に回すのはマズイよねー。

 …………それで? 手紙には何て書いてあったの? 影文君はもう浜名君……の家には逆らわないって??」


「いやだから知らねーんだって。じい……爺さんには中身見るなってメチャクチャ厳しく注意されててさぁ」


「でも、浜名君の家が実際影文君をどうするか知っておかないと、僕らも影文君とどう接して・・・いいか分からないよね?

 手紙を見ちゃダメなら、影文君に直接聴けばいいんじゃないかな?」

 

 それとなく、しかし、しつこく。影文理人と浜名家に何があったかを聞き出そうとするエセ優等生。

 手紙の内容を聴くという話も、つまりチャラ男に「やれ」という意味である。


 出来るワケがないのだ。

 たかが・・・学校のカーストトップのご機嫌取り。

 そんなもの、いざ政治家一族の自分の家族に睨まれたら、どうでもいいことなのである。


「んあ゛ー……わり、花札君。俺さぁ、もう影文には絡むなってハッキリ命令されてんだよなー。

 だからさ、俺もう影文イジるのには付き合えねーわ。

 ごめんな! また遊んで!!」


 面倒そうに頭をガリガリかくチャラ男は、そう言って早口でまくし立てると、両手を合わせ愛想笑いで急ぎその場から立ち去って行った。

 これは、ハッキリと花札星也より家を取った、というのを態度で示したことにもなる。

 家に居場所がなく、学校という小さな世界で特権的地位にしがみ付くしかなかったチャラ男が、間違なく花札星也の優先順位を下げた。


 それを敏感に感じ取るエセ優等生は、壊れて使い物にならなくなった便利な道具に失望するように、昇降口から校門へと走るチャラ男の背中を見下ろしていた。


 また、影文理人だ。

 あの狂った異物が、当たり前の、当然の、極めて常識的なルールで回る世界を壊す。

 存在してはならない社会の害悪。

 何故逆らう。何故反抗する。黙って従えばいいじゃないか。

 少数の人間が粛々と不利益を飲み込み、大多数が幸せになる。それが人間という集団が手を取り合って生きていく上での基本的なメソッドだ。

 それが真理、それが正解、それが正しい、それがルール。

 にもかかわらず、それを踏み躙って陰キャのマイノリティーは平然と生きている。


 そんな存在、許してはいけない。




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