第十六話 鳥居跡……事務所の不思議
「なんだ?」
終わらせようという気持ちになっていた鳥居跡は、事務所を閉める準備をしていたのを、たたらを踏んで立ち止まった。
「大体話はしたと思うんだが、まだ気になることがあるのか?」
「今回の件に関係あるんですけど、ずーっと気になっていることがあるんですよね」
「何だ?」
柊は口元を指で触れる。
「どうして翔子さんは、ここを選んだんでしょう」
「は?」
「だってお世辞にも評判がいいとは言えないじゃないですか。それなのに大事なブローチを探すために、ここに依頼するなんておかしいですよね」
雇い主に言うにしては完全に失礼な言葉だが、鳥居跡は特に気にした様子が無い。
「あー! それに、翔子さんが捕まったってことは、料金が支払われないですよね! どうするんですか? 私のアルバイト代! 特別手当!」
よよよと泣き崩れた柊は肩を落とした。
掃除以外の仕事でいい経験になったとも言えるが、労力に見合った対価が支払われないとなると話は違ってくる。
タダ働き。学業が本分ではあるが、どうしてもお金というのは必要である。
鳥居跡の仕事ぶりを見るために働いているとはいえ、特別手当というのはそれだけ彼女にとっては魅力的だった。
それが全て無し。
落ち込むのも仕方が無い。
「心配しなくても大丈夫だ」
「大丈夫なんかじゃないです! 支払ってくれるとしても事務所がつぶれるなら意味が無いですよ。経営が上手くいっていないなら、そうだとはっきり言ってください。……少しだけなら我慢します」
お金と事務所。
天秤にかけて傾くのは、事務所の方だった。
そのため事務所の経営に響くのなら、タダ働きも辞さない覚悟を持っていた。
「そんなに信用出来ないか。俺のことが」
「師匠のことは信じたいですけど、今までの状況を考えると信じきれません」
「まあこっちも言っていなかったから、勘違いしても仕方ないか」
「勘違い?」
鳥居跡はその事実を、実に簡単に告げる。
「ここは前払い制だ」
「前払い?」
「だから、すでに料金は支払われている。もちろん美作の分もな」
「そ、そうだったんですか。それならそうと早く言ってくださいよ。本気で心配したんですからね」
「悪い悪い」
謝り方に誠意のようなものは感じられなかったが、お金の面の心配がいらなくなったので、彼女は指摘しなかった。
「本当に良かった。でもそうなると、ますます不思議なことがあります。よく、翔子さんは素直に払いましたね。私だったら、疑って払うのを渋っちゃいそうです」
「当たり前だろ。払わなきゃ逮捕される」
「そうですよね。……え? 逮捕?」
前払いを拒否した場合、逮捕されることなんてありえるのだろうか。
さすがに逮捕というワードが強すぎて、柊は驚いて目を見開く。
「どうして逮捕されるんですか? 逆に訴えられたりしません? 詐欺だとか」
今回のように微妙な結末ではあるが依頼を達成出来たのなら、相手も納得するかもしれない。
しかし達成出来なかったり、そもそも前払いを拒否したら逮捕というとんでもないことを納得する人は少ないだろう。
ただでさえ鳥居跡の見た目はうさんくさいのだ。
詐欺だと訴えられる可能性は大いにあった。
「そこら辺も大丈夫だ。国が公認なんだ。何があろうと、こっちの方が強い」
「くに? 国? ……国公認!?」
先程から軽く衝撃の事実を告げられるせいで、彼女はずっと驚きっぱなしだ。
「それはわいろを渡しているとか、そういった感じですか?」
「……本当に俺のことを何だと思っているんだ」
「あ、あはははは」
ごまかすように柊は笑ったが、その笑い声はむなしく響いた。
「でも国公認って凄いですね。他の探偵事務所にも、そういうところがあるんですか?」
「かもな。で、国公認ってことは金銭面の心配をしなくてもいいって分かるだろう」
「もしかして。……予算があるんですか……?」
信じられないと言ったばかりに、彼女は口を押さえる。
予算が割り振られるということは、それだけ探偵事務所に価値があると思われているわけだ。
彼女が今まで見ていた中で、そんな価値があるとは到底考えられなかった。
「ある。給料を問題なく支払えるぐらいにはな」
一ヶ月近く仕事をしていなくても、下手をすればそれ以上仕事をしていなかったのにもかかわらず、別に支障が無いレベルというのはどれぐらいの金額なのだろうか。
その金額を聞きたいが恐ろしくもあり、結局聞くことが出来なかった。
「そういえば依頼料って、どのぐらいなんですか?」
「聞きたいか?」
「……止めておきます」
そうなると依頼料は一体いくらなのか。
相場というものは分からないが軽い気持ちで聞いたら、少し恐ろしい雰囲気を出されてしまったので、それ以上聞く気にならなかった。
「凄いですね。国公認って。だから翔子さんもここに来たんですね。納得しました。そりゃあ国から紹介されれば、かなりうさん臭くても受け入れるしかありませんものね」
「何か遠慮が無くなったよな。一応、雇われている身だろ」
「分かっています。今日は、何か色々とあって安心したので、口が緩んでいるみたいです」
今まで思っていたようなことが我慢できずに口に出してしまうが、彼女自身には止められない。
それぐらい、事務所の内情を知った衝撃が大きかったのだ。
「だから大丈夫だろうと言っていたのに、全く信じないんだからな」
「だって、師匠はいつも事務所で寝てばかりだったんですから、私が心配するのも当たり前じゃないですか。でも国公認って、どういった基準でなれるんですか? なりたいと申請して、そう簡単になれるものでもないですよね」
そろそろ彼女のアルバイトの時間が終わる。
今日は依頼人が来る気配はなく、話をするだけで仕事終了になってしまう。
それはいつものことなので、柊は特に気にした様子はなく、片づけを始めていた。
だからその質問も、そこまで答えを期待していない軽い世間話のつもりだった。
「ここは特殊なところだからな」
しかし鳥居跡の答えは、気になるような含みが持っていた。
「特殊? どういった意味ですか?」
「さっき田中翔子が何でここに来たのか不思議がっていただろ」
「そうですけど。それは、国から紹介されたんじゃ」
「田中翔子がそんな風に言っていたか?」
思い出せば、田中翔子が紹介されて来たとは一度も言っていなかった。
「それじゃあどうして」
「引き寄せられるんだよ。自然とな」
「引き寄せられるって、何にですか?」
「そういう力にだよ。だからここには、そういう依頼しか来ない」
鳥居跡は机の別の引き出しを開けて、そして何かを取り出した。
そして手の平におさまるぐらいのサイズのそれを、柊の方に軽く投げた。
慌てて受け取った彼女は、それを見る。
「鳥居跡、幽霊探偵事務所? え。幽霊って」
「言葉通り、ここに来る依頼は幽霊がらみのものしか来ない。だから幽霊探偵事務所。表に出すと面倒だから、わざと……にしている」
事務所の名前の……の意味が分かったが、かといってすぐに受け入れられるものではなかった。
「幽霊探偵事務所……それじゃあ、もしこれから先依頼が来たら、またあんな怖い目に遭うかもしれないんですか?」
「今回のは楽だった方だろ。そこまで敵意は無かったし、物理攻撃もされなかったからな」
「は、ははは」
乾いた笑いをこぼした彼女は、名刺を眺めながら、これから先ここでアルバイトを続けてもいいものかと本気で悩んだ。
師匠、それは幽霊ですか? 瀬川 @segawa08
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