第十五話 答え合わせ②
鳥居跡は紅茶を、柊は事務所に常備されているお茶を淹れ直し、またそれぞれの場所に座った。
「それで、話の続きなんですけど」
一口飲んでリラックスした雰囲気が広がったが、アルバイトの時間も限られているので、ちらりと時計を見た柊は話に戻った。
「あの日のあれって、一体何だったんですか?」
♢♢♢
あの日、翔子が振り下ろしたナイフを、鳥居跡も柊も止めることが出来なかった。
伸ばした手が届かなかったのは、あまりにも突然だったため反応が遅れたせいだ。
しかしそのナイフが、雛に刺さるということもなかった。
「っ!?」
柊の悲鳴が響く中、まるでバリアでもはられたかのように、ナイフの切っ先は弾かれた。
勢いが良かったせいで、先の方が少し刃こぼれしたが、それでも構わず翔子はもう一度ナイフを振り下ろす。
しかしまたも何かに阻まれ、刺さることは無かった。
「何で!?」
鬼気迫る表情で、何度も何度も振り下ろすが、そのたびに阻まれている。
「どうしてよ! 何で刺さらないの!?」
叫んでも誰も答えを持っておらず、ただ不思議な光景を見ていた。
「……どういう、ことでしょう」
「俺にも分からん」
何かあった時の為にと、自分の後ろに柊を隠していた鳥居跡は、その何かを見破るためにじっと目をこらした。
「何でっ、何でよっ」
いくらやっても刺さらないのを察した翔子は、膝から崩れ落ちる。
ナイフも床に転がり、彼女を刺激しないように気をつけながら、鳥居跡は遠ざけた。
何かによって阻まれたせいで実行出来なかった翔子は、顔を覆って叫ぶように泣いた。
その痛々しい姿を視界に入れることなく、雛はどこか遠くを見つめ、そして呟く。
「……はな……?」
♢♢♢
「雛さんは、あの時お姉さんの名前を呼びましたよね。あれはお姉さんのおかげだったんでしょうか?」
「そうかもしれないな」
「お姉さんが雛さんを守ったんですね」
根拠も証拠も何も無いが、そうであればいいと柊は思った。
雛のピンチに、花奈が助けた。
雛だけではなく、同時に翔子も救ったわけだ。
もしもナイフが刺さっていたら、良くて怪我、下手をすれば死んでいたかもしれない。
そうなれば翔子の罪は、更に重いものになっていただろう。
「雛さんは何かを感じ取っていたんですかね」
あの時、雛は確かに花奈の名前を呼んだ。
彼女にだけは、自分のことを守ってくれた存在が見えていたというわけだ。
「今も見守ってくれるのなら、雛さんは大丈夫です。きっとお姉さんの手紙に書いてあった通り、元気な笑顔を見せるようになります」
柊は手紙の中にあった雛の笑顔が、いつか取り戻されるようにと願った。
「手紙と言えば、花奈さんが翔子さんにあてた手紙ってどうなったんですか?」
「ああ、あれな」
花奈が書いた手紙は、雛にあてたものの他に、翔子にあてたものもあった。
あの日は色々なことが重なって、結局うやむやになってしまったのだが。
「拘束する機会を窺っていた時に使って、今は警察署の方に証拠として預けられているはずだ」
「それじゃあ翔子さんは、まだ中身を見ていないんですね。どんなことが書いてあったんでしょうか」
柊は中身を考えてみるが、本人じゃないから全く思い浮かばなかった。
そして警察署にあるのであれば、その中身を見ることは出来ない。
「分かるぞ。なんて書いてあったのか」
「え? 何でですか?」
「コピーさせてもらった」
「そんなことが出来るんですか?」
「まあ、ツテでな」
警察署にある証拠品をコピー出来るなんて、どんなツテなのか。
物凄く気になっていたが、聞いたところで答えてくれないような雰囲気があった。
「どんなことは書いてあったのか教えてもらえますか? それとも教えたらまずいものですか」
「いや、特に重要なことが書かれていたわけじゃないから、教えても構わないはずだ」
鳥居跡は立ち上がり、部屋にある机に行くと引き出しを開けた。そしてそこから手紙を取り出し持ってくる。
「これだ」
そう言って出してきたのは、B5用紙にコピーされた手紙だった。
柊は恭しく受け取ると、中身に目を通す。
『翔子へ
あなたがこの手紙を読んでいる時には、私はもう燃やされて灰になっちゃっているのかな?
仏壇に私の昔の写真が置かれていて、お線香をあげた後かもしれないね。
死ぬ前に手紙を書かなかったのは、なんて書けばいいのか言葉が思いつかなかったからなの。ごめんね。
病気になってから翔子は、私の身の回りの世話をしてくれようとしたね。本当は嬉しかったけど、断ったのは理由があったからなの。だから怒らないで。
ガンって分かって、あまり治療はしなかったけど、それでも体はどんどん弱っていったのが分かっていた。
私はそんな姿を翔子に見せたくなかった。翔子の中の私は、輝いているままにしておきたかった。
ずっとずっとあなたの中の私は、一緒に過ごしていた私でありたかったの。
あなたを遠ざけたのは、嫌いになったわけでも意地悪をしたわけでもないのを知ってほしい。
それにね、きっと怒っていると思うけど、死に顔も見られたくないんだ。
死んだ顔なんて、絶対に可愛くない。翔子には見ないでほしい。
だから雛に頼んで、見せてもらわないようにする。
怒っているとは思うけど、雛のことは怒らないで上げてね。
あなたのために止めた方が良いって説得されても、私が頑なに駄目だって言って、仕方なく言うことを聞いてくれただけだから。
それにね雛は元気な子だけど、たぶん落ち込むと思うの。その時に翔子には雛の支えになってほしいんだ。
わがままばっかりで、頼み事ばっかりで、ごめんね。
でもお願い。私の最後のお願い。
翔子、今までありがとう。
楽しかったし、とても幸せだった。
大好きだよ。
花奈より』
「……師匠」
手紙を読んだ柊の手は微かに震えていた。
「もしも翔子さんがこの手紙を先に読んでいたら、こんなことは起こらなかったですかね」
「そうかもな。でも実際はこの手紙が読まれず、田中翔子は白石雛を恨んで計画を実行した。その結果は覆せない」
「はい」
花奈が死ぬ前に、この手紙のことを雛に教えなかったのか。
それとも雛が、この手紙のことを忘れていたのか。
どちらにせよ、仏壇の引き出しに入れられていたこの手紙を翔子が読むことは無かった。
身の回りの世話をさせなかったのも、死に顔を見せなかったのも、雛が意地悪したわけではなく花奈の意思だったわけだ。でも、それを翔子が知ることは無かった。
そのせいで雛に対し見当違いの恨みを感じたまま、強行に及んでしまったわけだ。
「翔子さんは、これからどうなるんでしょうか」
「本人も罪を認めているし反省している。今は素直に供述していて、協力的だそうだ。さすがに実刑は避けられないだろうが、それでも模範囚でいれば数年で出られるだろう」
「起きたことは覆ませんものね。もしかしたら翔子さんも、あの時花奈さんのことを何か感じたのかも。それで大人しくなったんでしょうか」
「さあな。そこに関しては何も言わないから、本人にしか分からない」
「この手紙、翔子さんが読む機会はありますか?」
手紙を読んで、自分の行ったことの愚かさを感じてしまうかもしれない。
しかし読まないままで終わってしまうのも、それは駄目だと思った。
「ああ。落ち着いたらすぐにでも渡してもらう予定だ。どうなるかは分からないが、それでも渡した方が良いだろう」
鳥居跡も彼女には同意見なようだ。
手紙を返すと、また引き出しにしまいに行く。
「そういえば肝心のブローチなんだが、見つかった」
「どこにあったんですか?」
「それがな、面白いことに白石雛が持っていたんだ。持っていたというよりも付けていた。田中翔子も調べたはずなのに、全く気付いていなかったらしい」
「それも、もしかしたら花奈さんが?」
そんな簡単なところにあったとは、あの時柊は全く気付かなかった。
何か不思議な力で隠されていたのか、そうだとしたら翔子がブローチを見つけられることは一生無かっただろう。
「さあな。それは分からん。これが大体の事件の経緯だ。分からないこととか、聞きたいことはまだあるか?」
「そうですね。今のところは無いです」
「おとといはよく頑張った。初めてにしては、よくやった方だ」
「ありがとうございます」
あらかたの話は終わった。
終わりの雰囲気を迎え、まだ時間は残っていたが鳥居跡は柊に帰るように伝えようとした。
しかしその前に、柊がポンと手を打つ。
「あ、待ってください。そういえば聞きたいことがありました」
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