48.小数点以下の感情。
※本稿は「朱に交われば紅くなる」シリーズとして執筆予定だった「朱に交われば紅くなる3」の第一話です。
勝ちたかった。
負けたくなかった。
悔しかった。
煽られてむかついた。
事の発端なんてそんな些細なことだったと思う。
最初はただの嫌みなやつだと思ってた。
だってそうでしょ?私に勝って自慢するためだけに、学年一位を取るなんて、そんなの嫌なやつそのものじゃない。
しかも最初は50位以内にすら入ってなかったのに。ただ嫌がらせのためにそこまでするなんて。
だけど、一晩家に泊まらせて、デートみたいなこともして、ちょっと分かった。
あいつは、嫌なやつなんかじゃない。
嫌なやつだったのは、
「おや、もしかして君、
「…………はい?」
声を、かけられた。
顔を上げてみると、そこには見覚えがあるようで無いような男がいた。
身長は……私よりもちょっと高い、かな。フォーマルな恰好をしている。どこか、かしこまった式典にでも出席するのだろうか。右手には豪華な花束を持っている。
「……結婚式?」
男は苦笑して、
「なら、良かったんだけどな」
「あの、どなたですか?」
不思議と、怪しさは感じさせない。ただ、だからといって油断していいわけではない。近頃は物騒なのだから。
なんて考えていたら、男は「大事なことを忘れていた」といった風に、
「そうか」
ぽんと手を叩き、
「自己紹介がまだだったか。俺は
「青春部……?」
なにその名前。
だけど、聞いたことがある。それってもしかして、
「あの、もしかして、ですけど。西園寺……さんの所属している」
橘は満足げにうなづき、
「そうそう、それそれ。よろしくね」
手を差し出してくる。
握っても、いいのだろうか。
私がそんなことを考えながらじっと見つめていると、
「ま、こんなところで初対面じゃ難しいか」
ひっこめてしまった。その声色には「残念だ」とか「がっかりだ」という感じはまったくない。むしろ「そうなるだろうな」と思っていたように見える。それでもなお、手を差し出してみた。握ってあげればよかった。素直にそう思ってしまった。
その代わりに、
「あの、橘……先輩?」
「別に先輩なんてつけなくてもいい。呼びたいように呼んでくれ」
「じゃあ、橘さん」
「なんだ?」
「結婚式でないのならば、一体どこに行く途中だったんですか?」
そう。
彼の服装から考えると、ある程度フォーマルな場にお呼ばれしているということは容易に想像がつく。そうなると、こんなところで油を売っている場合ではないのではないか。そんな心配をしたのだが、
「ああ、大丈夫。別に時間が決まっているものではないからな」
見抜かれてしまった。
一体どこまで読んでいるのだろう。
橘はぽつりと、
「ちょっとね、墓参りさ」
「墓参り……ですか。あの、親族の、ですか?」
お盆、というにはちょっと時期がずれているが、そもそもシーズンでなければ行ってはいけないというものでもないだろう。きっと彼にとって、都合のいい日が、今日だったのだ。
そんな橘はさらりと、
「いや、親族ではないんだ。まあ、大切な知り合いってところかな」
「知り合い……ですか」
なんだろう。
知り合いという表現は難しい。友達、家族、仕事仲間、バイト先の先輩後輩、全てが「知り合い」に分類される。ただ、あえて親族を否定してまでそんな表現をしたということは、
「それより、佐藤くん。君はどうしてここに?大分荷物も多いようだけど……」
そうだった。
私は今、逃げてきたんだ。
戦うことから、勝負することから逃げてきたんだ。
「ちょっと、色々ありまして……あの、急ぐので失礼しても……?」
だからいかなくちゃならない。流石に誰も追ってはこないと思うけど、ここでぼーっとしているわけにもいかない。
……本当は、逃げても意味なんてないんだけど。だって、西園寺くんは私の家に絶対、戻ってくるんだから。それをお母さんが入れないわけがないから。
そんな陽菜の考えを見抜いてのことかは分からないが、橘は、
「そうか。それならこれを持っていきたまえ」
手持ちの鞄から一枚の紙を取り出して、手渡してくる。
「……これは?」
橘は誇るように、
「合宿の詳細を記した紙だ。既にうちの部員にはPDFファイルで送信してあるんだが、こういうのはほら、実際に形になってなんぼだろ?だから印刷してみたんだ」
しげしげと眺める。
合宿、という話だが、そもそも青春部(元は新聞部だったらしいけど)に合宿の必要性があるのだろうか。無駄に凝りまくった、プロ顔負けの開催要項。そこには何をするのかが一切書かれていない。あるのは日程と場所と、橘が書いたと思われる合宿に対する熱い思いをつづった文章だけだった。一体何をするのだろう。そして、
「これ、私が貰ってもどうしようもないんじゃ……」
そうだ。
私は別に青春部員ではない。
だから、この合宿にだって、
「そんなことはないぞ。飛び入り参加もOKだ」
「…………え?」
「そこに連絡先が記してあるだろう。もし来ようという気持ちがあるのであれば、そこに連絡を入れてくれ。後は俺が何とかする」
「連絡先」
なるほど。
確かに携帯の電話番号らしき文字列と、メールアドレスが記されていた。恐らくは橘のものだろう。しかし、
「いや、そもそも部員じゃないですし……」
ところが橘は、
「なら、部員になればいい」
「……はい?」
「別に変なことじゃないだろう。兼部は禁止されているわけではない。面倒な出席規定もなければ、しがらみもない。籍だけ置くだけでも大歓迎だぞ?」
「…………」
言葉が出ない。
考えたこともなかった。
いや、そもそもその必要が無かったのだ。なぜなら少し前まで西園寺は、
「…………まあ、考えておきます」
紙を折りたたんで、ポケットにしまう。そんな反応を見た橘は満足したのか、
「おう。楽しみにしてるぞ」
「別に行くとはいってないですよ……」
呆れる。
この人の中ではきっと、既に、私が参加することが決まっているんだ。なんだかしゃくだ。でも、その予想を外すためだけに、自分の気持ちに嘘をつくのはもっとしゃくだ。
「それじゃ、行きますね」
今度こそ、用事はないだろう。
急がねば。せめて今つかまるのは避けたい。
「おう、気をつけてな」
そんな見送りの言葉を背に、私は再び歩き出す。これだけ時間を食っても現れないということは、追いかけてはこなかったのだろうか。それとも、見つからないのだろうか。分からない。全ては闇の中だ。本人に聞いたって正しい答えを返してくれるかは分からない。
勝ちたかった。
負けたくなかった。
悔しかった。
煽られてむかついた。
事の発端なんてそんな些細なことだったと思う。
西園寺紅音。
彼のことをどう思っているのかは、結局のところ、私自身もよく分かっていないのだった。
「朱に交われば紅くなる」の舞台裏 蒼風 @soufu3414
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