第6話 4.5話 急転直下の前の夜

『ありがとう!あなたの名前は?!』


 そう背中越しに聞こえた声をこの数日何度も思い返している。


 大した会話でもなければ続きがある訳でも無い本当に些細な出来事。

「ありがとう、か・・・」


 脳裏に浮かぶこのたった5文字を、この数日間何度も1人で読み返している。


「――の?」

「ああ。本気さ!」

「俺だって本気さ!」


 夜も更け2つの月はすでに天高く、通りに人の姿はない。人通りの少ない時間を狙って出歩いているので当たり前なのだが。


「こんな時間に人が出歩いてるなんて・・・」


 それも少しばかり高揚したような声色。聞こえてくる感じからして女性が1人と男性が2人。男性たちは何やら言い争っているようだ。


 建物の影からこっそりと様子を伺おうと少しばかり顔をのぞかせる。もし万が一この間の男の子みたいにいじめられてたりしたら大変だし・・・



「本当にわたしを愛しているの?」

「もちろんだ!君の為ならばなんだってできるさ!」

「俺だってそうさ!家族もいるが・・・お前の為ならそんなものいくらでも捨ててやる!だから引っ込んでろ!」

「な、なんだと!お前の方こそ引っ込んでろ!!」


 口から出る言葉はどんどんその勢いを増し気づけば取っ組み合いにまでなってしまった。

 けれど、目の前で殴り合いが起きていると言うのにその光景を慈しむように、背筋が凍るほどやさしい視線でその女は眺め続ける。


「ぐあぅ!この!」

「ぐはっ!ごほ、ごぁ!」


 片方は大柄で筋肉隆々と言った感じの見た目。大して片方は人など殴ったことも無さそうな気弱そうな男性。見た目だけで言えば絶対に殴り合いなどしそうも無い組み合わせだというのに・・・


 そうしてみている間にもさらに熱を帯び大柄な男性がは我を忘れたかのようにもう片方の男性に馬乗りになり殴り続ける。

 何度も。何度も。自らの手も晴れ上がりおそらくは骨が折れていると言うのに――下敷きの男性が動かなかくなって尚、殴り続けていた。


「――っ・・・」


 その異様な光景に飛び出すこともできずただただ声を殺して見つめることしかできなかった。

 仲裁をしようと思っていたのに。止めなくちゃと思っていたのに動くことができなかった。


「はぁーっ、、、はぁーっ、、、!」

「もういいのよ?あなたの気持ちはよくわかったわ。」

「そ、そうか!わかってくれるのか!ははっ、、やった、やった、、、!!」


 狂っている。この光景をあんなにも穏やかで愛おしそうに見つめるあの女は狂っている。


 その女は優しく微笑みながら男性の頬にそっと触れ抱きしめた。


「ああ、、愛してる、、。愛してる、、、!」

「ええ。分かっているわ。だから、あなたも――死んでくれる?」

「・・・へ?」


 なんの魔法も使っていない。洗脳や催眠、身量の魔法すら使っていないのに・・・


 意味が分からなかった。一体何がしたいのか。どうすればここまで人の心を虜に出来るのか。

 告げられた男性は一瞬戸惑ったような顔を見せ――

「・・・ああ。お前の為なら、喜んで。」

「本当にわたしを愛しているのね・・・」


 自らの顎と頭に手を当て、自らの手で首を折り自害した。


「ふふ、、、うふふふ、、。ああ。本当に美しいわ。」


 その笑い声は嘲笑ではなく本心からの賛辞に満ちていた。

 

「おやおやおやぁ?こんな時間に女性の一人歩きとは感心しませんなぁ?」

「、、、っ!」


 目の前で起きる出来事が決着すると同時に背後から響いた声に声にならぬ悲鳴を上げる。


「あら?遅かったじゃない?女性を待たせるなんて褒められたことじゃ無いわよ?」

 笑顔のまま女性もこちらを向く。いままでの暮らしで人の気配には人一倍敏感だった。・・・のに。この背後から現れた男性には声をかけられるまでまったく気づけなかった。


「ひっ、、、!」


 ゆったりと。女性の方が、まるで散歩のようにこちらへと歩み寄ってくる。

 込み上げる恐怖に腰を抜かしてしまい立ち上がることすらできずただただ目の前の女性と男性の二人組を見上げることしかできない。


「これは失礼ぃ。思いのほかに手間取ってしまいましてぇ。それよりも、最初から見られていましたよぉ?少し不注意すぎるのではぁ?」

「という事はあなたも最初から見ていたのでしょう?ならずいぶん前からあなたもいたんでしょ?」

「はっはっは。これは失言でしたなぁ。して、この子はどうするのです?」


 まるで出かける前の友人同士の世間話。少し後ろでは死体が転がり、あれだけの狂気の光景があったにもかかわらずこの二人にはそれが日常であるようにとても馴染んでいることがより一層理解の及ばない恐怖を駆り立てる。


「どうもしないわ。あなたも分かっているでしょう?この子にどうにかできるのならそれはそれでわたしとしてはとても喜ばしいことだもの。」

「はっはっは。本当に意地の悪いお人だぁ。」

「・・・あなたに言われるのは何とも腑に落ちないわね?まあいいわ。明日はよろしくね。」

「ええ。ええ!抜かりなく!喜劇の幕開けの準備は出来ておりますとも!」


 訳の分からぬ会話を頭上で繰り広げそのまま何事も無かったかのように二人は歩き去る。


 その刹那「さあ。あなたの愛を見せて頂戴?」とそっととても優しい声で女性は言葉を残す。その二人をわたしはただ呆然と見送った。

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