誰がために④
やはり。つまるところ、慶喜はそれが言いたかったのだ。さくらはごくりと一度唾を飲み込んだ。
「腹を切る覚悟はとうにできております。私の身ひとつで新選組の皆を公方様にお取立いただけるのであれば、安いものにございます。但し、もし私もその中の末席に加えていただけますのならば、身命を賭して公方様のため、日の本のために働く所存にございます」
だが、その言葉を受け、慶喜は予想外のことを口にした。
「そういうことを聞いておるのではない。そなた、余のために生きる覚悟はあるのかと問うておる」
さくらは無礼にあたることも忘れ、思わず「生きる……ですか?」と聞き返してしまった。
「そうじゃ。余に仕えるということは、余が死ぬか、もしくは隠居し将軍の立場を退くまで、仕えるということじゃ。ときに、そなたは齢いくつになる」
「は、ははっ、今年三十四になりました」
「ふむ。それでは余とそう変わらぬ歳じゃな。ならば尚のこと。猫も杓子も『身命を賭して』などと申すがのう。その意気はともかく、本当に皆が死んでしまっては、余に仕える者はいなくなってしまう。余は、ひとりでも多くの者に生きて日の本のために尽くして欲しいのじゃ」
そういう考え方もあるのか、とさくらは感心してしまった。畳みかけるように、慶喜は言葉を続ける。
「どうじゃ。そなたは、幕臣として最期まで余のために働くと誓えるか」
「は、……御意のままに。島崎朔太郎、この命続く限り公方様のため、日の本のために働く所存にございます」
「島崎」
再び名を呼ばれ、さくらは思わず顔をあげてしまった。まずい、と思った時にはすでに遅し。慶喜としっかり目が合ってしまった。
「それでよい。そなたは、よい目をしておる。大なり小なり、この国は変わる。以前と同じような世の中には戻らぬであろう。その新しき時代には、そちのような者にいて欲しいのじゃ」
「もったいなきお言葉。恐悦至極に存じます」
「近藤も土方も、今の話をしかと肝に銘じておくのだぞ」
「は、ははあっ」
慶喜は満足げに微笑むと、元いた位置にどっかりと腰を下ろした。
「詳しいことは追って沙汰する。近藤、土方、島崎。励めよ」
三人が畳にめり込まんばかりに頭を下げ返事をすると、衣擦れの音がした。慶喜は退室したようだ。
「三人とも、面をあげよ」
容保の声だった。三人は素直に顔を上げた。
「そういうわけじゃ。これからも、なお一層の働きに期待しておるぞ」
「し、失礼ながら……殿はこの件ご存知だったのですか」
勇が尋ねた。容保は、悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべた。
「ははは、少々驚かせてやろうかと思ってのう。そうそう、島崎の話をしたのは余ではないぞ。公方様は最初からご存知のようであった。寛大なお方じゃ。まあ、単なる女好きという線もあるやもしれぬが……」
「女好き……?」
歳三がぽつりと呟いた。さくらはそんなことが関係あるのかと不思議に思ったが、とにもかくにも命は拾ったのだ。こうなれば慶喜の言う通り、とにかくやるしかない。
三人は、ふわふわした足取りで会津藩本陣を後にした。なんだか夢見心地であった。改めて思い返すにつれ、今さっき起きたことが現実のことだとは少々理解しがたかった。
勇が屯所とは違う方向に歩いていくので、さくらと歳三は不思議そうな顔をしつつもついていった。
たどり着いたのは、壬生・新徳寺であった。
「ここから、始まったんだよなあ」
勇が感慨深げにつぶやいた。さくらと歳三は顔を見合わせて、笑みを漏らした。
「そうだ。そして、俺たちはとうとう名実ともに武士になる」
「うん、本当に、なるんだな」
「……勇、歳三」
振り向いた二人に、さくらは満面の笑みを見せた。
「ありがとう。ここまで、連れてきてくれて」
「何言ってんだ」
歳三がぶっきらぼうに言った。勇は、ふわりとさくらに笑いかけた。
「おれ達は、三人で力を合わせてここまで来たんだ」
武士になる。それが今本当に叶ったのだと、さくらの中に少しずつ実感が湧いてきた。
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