谷兄弟の凋落 ―兄の場合➀


 慶応二(一八六六)年 三月。


 勇が、広島から戻ってきた。やはり一度目と同じく、長州には入れず成果を挙げることができなかったという。だが、会津や見廻組などがもたらした情報と総合すれば、薩摩と長州に繋がりができているのはほぼ確実だろうということだけはわかった。

 動乱の時代は、徐々に、だが確かに、新たな局面に入ろうとしていた。


 そんなある日、さくらは屯所の倉で源三郎の隊が捕まえてきた浪士の尋問に立ち会っていた。

「それでうちの小川を斬ったというのか。話すことはそれで全部か」

 両手を縛られた二人の浪士は、もう勘弁してくれとばかりに激しく頷いた。肌が見える箇所は痣だらけだ。源三郎が、同席していた平隊士たちにこのまま見張っておくよう命じた。

「奉行所に引き渡すまでは、ここに留め置く。島崎、少しいいか」

 隊士の前ゆえ他人行儀にさくらを呼ぶと、源三郎は倉の外に出、周りに人がいないかを確認した。

「サク、思い出したことがある。あの浪士が言っていたことが本当なら、三条大宮の錠前屋……平田屋といったか、そこをあたってみてくれないか。もしかしたら、証拠が得られるかもしれない」

「錠前屋?」

 なぜ錠前屋、と尋ねると、源三郎は眉間に皺を寄せ記憶をたぐるように話してくれた。

「確かに、それだとあの人しかいないというのも頷ける。……そうか、前提が間違っていたのか」

 さくらは早速、屯所を飛び出した。


 ***


 それから数日後。

 谷三十郎は約二ヶ月に及ぶ大坂での隊務を終え、西本願寺屯所に戻ってきていた。

 腰に差しているのは、真新しい刀。その刃はまだ血を吸っていない。切れ味を試したいような、だが綺麗なまま手元に置いておきたいような。どちらとも決めかねていた。それでも、一番はやはり常に身につけていたいという思いである。

 まずは、ここまでの任務の報告と挨拶を兼ねて、勇の部屋を訪れた。くだんの刀は自身の右側に置いている。

「谷さん。どうでしたか、大坂は。私も広島から戻ってまだ日が経っておりませんで、大坂はおろか京の情勢も土方たちから聞いてやっと知るようなありさまで」

 勇はにこにこと笑みを浮かべ、お恥ずかしい、と頬を掻いた。反して谷は自信たっぷりに、「それがですね、局長」と切り出した。

「大坂にも、長州系の浪人が溢れておりますよ。連中は表だって京に入れないものだから、大坂では我が物顔とでもいいましょうか。とにかく、隠れる様子もないのです」

「ほう。それでは、引き続き大坂も警戒が必要でしょうね」

「はっ、此度の駐屯で、大坂の情勢もよくわかってきました。再びの大坂出張も辞さぬ思いです。どうぞこの谷三十郎にお任せあれ」

 勇は満足げに「それは心強い」と頷いた。

「ところで谷さん。それはもしや、噂の新しい刀ですか。たいそう立派なものだったと、隊士たちが羨望の眼差しを向けていましたよ」

「え、ええまあ、そうなんです」

 谷はつとめて冷静に応えた。

 ――バレているはずがない。刀の買い替えなど、新選組隊士にとって日常茶飯事だ。局長はきっと世間話のつもりで。河合も、小川も死んだと聞く。ことさら意識しては駄目だ。

「はは、少し洒落たつくりの刀で、目立つのでしょうな。もちろん、切れ味も抜群で実戦向き。これからも、近藤局長のお役に立てるよう精進していきますよ」

「それはありがたい心構えですね。して、どこで手に入れたのですか」

「ええ。知り合いから、少々安値で譲ってもらいまして」

「それはそれは。よいお知り合いをお持ちですな。どのようなお知り合いで」

「ああ、古い友人です。大坂で万太郎がやっている道場のつてで知り合いまして。あの……それでは、今日は稽古の指導をすることになっておりますゆえ、これにて」

 谷は頭を下げると、そそくさと部屋を出ていった。


 勇は、谷が完全に姿を消したのを確認すると、「だ、そうだが」と声をかけた。背後の押し入れから、さくらが出てきた。

「どう思う?」

 勇が尋ねた。さくらは神妙な面持ちで頷いた。

「あの様子だと、少々手荒な真似でもせぬ限り、自らは吐かぬだろうな」

「斬るのか?」

「もちろんだ。この前捕まえた浪士の言ってることが事実なら、河合や小川の敵を討たねばならん……少し、カマをかけてみよう。総司を借りるぞ」

「なあさくら」

「何だ」

「谷さんはいいとして……河合君はさ……まあ、おれがとやかく言っても仕方ないけど」

 五十両紛失から河合の切腹まで、勇のあずかり知らぬところで始まり、終わった。勇が複雑な思いを抱くのはわからないでもない。だが、さくらは毅然と答えた。

「そうだ。とやかく言っても河合が生き返るわけではない。私たちはもう、情には流されない」

「……それなんだけどさ。おれは、最近思うんだ。こんなことを続けていていいのかと。山南さんは、本当にこんなことを望んだのかなあって」

「……法度を、緩めようというのか」

「うーん、そういうわけでもないんだが」

 煮え切らない態度の勇に、さくらは少し苛立ちを募らせた。これ以上、この話をしても平行線だ。

「とにかく、谷さんのことは引き受けた」

 さくらは勇の部屋を出て、自室に向かった。


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