墓前にて③
――サンナンさん、なぜ死んだ。
歳三は墓地のある光縁寺を出ると、足早に屯所とは反対方向に向かった。
――さくらの気持ちのやり処がねえじゃねえか。あいつの心に、一生住み続ける気か。
かつて、さくらは山南と「どうこうなりたいと思っているわけではない」と言っていた。
歳三も、同じだった。どうこうなりたいと思っているわけではなかった。
それでも、気持ちというのは、確かにあるのだ。
山南がいなくなってからというもの、押さえ込んでいたものが徐々に出てきそうになるのを、都度、歳三は見ぬ振りをしていた。
――サンナンさんを切腹させたのは、脱走したからだ。
それ以上でも、以下でもなかった。そこには一分の隙もあってはならない。さくらの想い人を、疎ましく思った。塵ほども、それは理由になってはいけない。誰にもそう思われてはいけない。自分だって、思ってはいけない。
だから、これからも、歳三のやることは変わらない。
――それでも、あいつのあんな顔、俺はもう見たくない。
山南の墓石を見つめる、さくらの優しげな、それでいて切なくもの悲しい眼差しが、脳裏によぎった。
あそこで平助が来ていなかったら、自分は何を口走ってしまっていたのだろう。
ぶるりと身震いした。平助には、感謝しなければ。
***
土間の方から、ガタガタと騒々しい音がするので、菊は針仕事の手を止めた。
「島崎はん?」
確か、今日は夕方来ると言っていたはずだ。少し早いがそれならそれで夕餉の支度をしなければ。立ち上がって土間の方へ向かおうとすると、足早に歳三が部屋に入ってきた。
「土方はん……? どないしたんどすか」
歳三は何も言わず、菊を力いっぱい抱きしめた。
「土方はん、く、苦しおす……」
「わりい」
だが歳三は、言葉とは裏腹に菊を解放する気はさらさらないようである。乱暴に、菊の唇に自身の唇を押し付ける。角度を変えて、何度も落とされる口づけに、立っている菊の力が抜けていく。
菊が歳三に組み敷かれるのに、そう時間はかからなかった。
「土方はん、そこ、お針仕事残ってるさかい、危ないっ……」
構うもんか、と言わんばかりに再び口を塞がれる。菊はふっと笑みを零すと、それを受け入れた。
――島崎はんと、何かあったんやろか。
なんでもいい。歳三が求めてくれるなら。理由など、どうでもよかった。
――こうしている間だけは、土方はんはうちのもんや。心がどこにあったとしても、今は、うちのもんや。
***
一旦屯所に戻って用事を済ませ、さくらは妾宅に向かった。着いてみれば、土間には男物の下駄。
「この既視感……」
自分の間の悪さを嘆き、踵を返した。
「ったく、これでは何のための妾宅かわからんな」
幸い今は男装姿だったので、二度手間だが一旦屯所に戻ることにした。余計に歩くのも足腰の鍛錬だと割り切るしかない。
「何のための、妾宅……」
確かに、妾宅という隠れ家を得たことで、さくらの任務はだいぶやりやすくなった。
――歳三は、いつだって、私にとって、私が新選組でやっていくために、最善の道を考えて、用意してくれていた。そうだ……私は、ずっと、ずっと歳三に守られてきた。
少女の頃から一緒に稽古してきた兄貴分の源三郎、弟分の勇に総司。歳三は……互いに前を見て、武士になるという夢に向かって、切磋琢磨してきた友だった。同志だった。だが、同志たりえたのは、歳三の支えがあったからにほかならない――
ざり、と土を踏む音がした。
振り返ったが、振り返らなければよかったとさくらは後悔した。
歳三が、バツの悪そうな顔をして、立っていた。
「忘れ物を、取りにきただけだ」
ぽつりと言う歳三の顔を、さくらはまじまじと見つめた。先ほどの墓前でのことを思い出したら、なんだか気まずくて会話らしい会話はできそうにない。
「そうか」
それだけ言って、さくらは歳三の横を素通りし、妾宅に戻っていった。遠ざかっていく足音が背後に聞こえ、歳三は屯所の方へと歩き出したのだとわかった。
「島崎はん。どないしたんどすか?」
出迎えた菊の驚いたような顔を見て、さくらの方が面食らってしまった。
「どうって、今日はもともと来るつもりで……」
「そうやなくて。その顔のことや」
顔? と目をぱちくりさせると、さくらは菊の言った意味がわかった。頬を、涙が伝っている。
「ああ……はは、目にゴミでも入ったかな。お菊さん、悪いけど、お茶を淹れてもらっていいですか」
言うが早いか、さくらは自室として使っている小部屋に引っ込んだ。まだ拭っていなかった涙を、乱暴に袖でこする。涙の理由は、自分でもわからなかった。
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