消えた五十両、士道のかたち②


 勘定方の河合耆三郎かわいきさぶろうは、千両箱を見て青ざめていた。

 中身が、どう数えても足りない。

 金額にして、五十両。


 心あたりがないわけではない。昨日、久しぶりに深酒をしてしまった。千両箱についている南京錠の鍵は、いつも肌身離さず持っているが、酔いつぶれて寝ている間に誰かに盗られたとしてもわからなかっただろう。

 前後不覚になるほど酒を飲んでしまった自分を、河合は呪った。いや、もしかしたら、そう仕向けられていたのかもしれない。一緒に飲みに行ったのは、河合が勘定方と兼任で入っている八番隊の仲間・鈴木と、合同で巡察していた五番隊の小川と大橋という隊士だ。皆ここ一年程の間に入った隊士で、「河合さんのお勧めの上手い飯屋、教えてくださいよ」なんて言われて巡察後、町に繰り出したのだ。

 しかし、その三人のうち誰かが犯人とも信じたくなかった。皆気持ちのいい若者で、隊務に対する態度も真面目そのもの。大金を貢いでしまう程入れ揚げている遊女がいるとも聞いたことがない。彼らは平隊士ゆえ給金はそこそこだが、盗みを働くほど切羽詰まっているわけではないはずだ。

 ――って、監察やあるまいし、仲間を疑って考えても始まらん。

 今は犯人捜しよりも、重大なことがあった。五日後は、皆に今月の給金を配らねばならない日なのだ。その時に五十両も不足があれば、必ず露見する。そんなことになれば、よくて謹慎、悪ければ、切腹……。

 切腹、の二文字を、河合は首をぶんぶんと横に振って頭の中から打ち消した。とにかく、なんとかして回避せねば。

 ――そうや、播磨の家に、文を出したらええ。

 河合の実家は播磨の米問屋で、蓄えには余裕があった。五十両は大金だが、それでもすぐに送ってくれるだろう。早飛脚を出せば、なんとか間に合う算段だ。河合は早速、行動に移した。

 しかし、四日経っても、実家からの便りはなかった。もう明日には、五十両の紛失がバレてしまう。

 河合は、仕方なく打ち明けることにした。


「それで私のところに来たというわけか」

 ことの顛末を聞いたさくらは、複雑な思いで小さな溜息をついた。河合にとって直属の上司・八番隊隊長の武田は今広島に行っており不在だ。

 ――おおかた、歳三に直接言いに行く度胸は持ち合わせておらぬか、先に私を味方につけておけばあとが容易いと踏んだか。そこはやはり勘定方だな。頭は回るようだ。

 聞いてみれば、河合の思惑は後者だった。

「このままやと、明日は皆さんに給金を配る日です。確実に土方副長にバレます。島崎先生、どないしたらええでしょうか」

「どないしたら、と言われてもなあ」

 正直言って、判断の難しい事例だった。脱走したわけでも、仲間を斬ったわけでもない。金は、本当に誰かに盗まれたのであろう。河合自身が盗むとは考えられなかった。文を送ってすぐ金を工面してくれるような実家があるなら、わざわざ危険を冒して隊の金に手をつける必要はない。

 では、勘定方として、金を盗まれたことに対しての責はどうなるか。それを士道不覚悟として断じることもできるだろうが、いささか強引な気もする。それではまるで切腹ありきで理由付けをしているようである。深酒して眠りこける隊士などザラにいるし、さくらも酒の弱さについては人のことをとやかく言える筋合いもない。そもそも大前提として、鍵を盗んで金を盗んだやつが悪いのだ。河合は被害者。すぐにやるべきは、犯人捜しだろう。

「わかった。咎人とがにんは、監察方でも調べてみよう。悪いが、五十両をぽんと貸せるほど私も蓄えがない。明日の給金配りの時、露見するのは必至。バレる前に土方副長に話した方がいいだろう。それと、お前にはもう一人味方につけておくといい男がいる」


 暫しの後、歳三の部屋に現れたのは、さくら、河合、そして新八だった。

 以前、新八が勇の態度を正してほしいと建白書を提出した後、勇本人は新八と和解し水に流していたが、歳三はむしろ勇よりも事態を重く受け止めていた。一時期隊長職から外して謹慎させたのも、「二度と同じことをするなよ」と歳三が釘をさすためだ。

 しかし、勇や歳三の今後の行動如何こうどういかんによっては、新八は再び命を懸けてでも糾弾するだろう。永倉新八とは、そういう男だ。

 歳三もそれがわかっているから、新八の話には一応耳を傾けざるを得ない。

 というのをすべて見越して、さくらは新八を味方に引き入れるよう助言したのだ。

 しかし、歳三の答えは

「河合。お前のやったことは切腹に値する」

 というものだった。

「待ってください、土方さん。河合は被害者ですよ。金を盗んだやつが悪いに決まっているじゃないですか」

 すぐに新八が予想通りの反応を示した。歳三も想定の範囲内だったのだろう、ふんっと鼻を鳴らすと冷静に反論した。

「そう思うんなら、盗っ人を見つけて俺の目の前に突き出すことだな。そこまでできれば、河合は自分の失策の落とし前をつけたということにして、代わりにそいつを切腹させる。だが、できなきゃ……河合には、金庫番のくせにおめおめと金を盗られたという罪だけが残る。士道不覚悟、切腹だ」

「落とし前ということなら、河合はもう動いています。播磨の実家に文を出して、金を補填しようとしているんですから」

 歳三が黙りこくってしまったので、何を言われるのかと、さくら達三人は固唾をのんだ。

「無期限に待つというわけにもいかねえだろう。河合。金はいつ届くんだ」

「あ、あと五日もあれば、必ず……!」

「……なら、五日やろう。それまでに金の補填ができない、もしくは盗っ人を突き止められなければ、わかっているな」

 河合は、パッと顔を綻ばせたかと思うと、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます! ありがとうございます! きっとそれまでには、金の工面をいたしますゆえ!」

 新八も最初驚いたような顔をしていたが、よかったな河合、と背中を叩いた。新八の明るい表情とは裏腹に、さくらは顔を曇らせた。

 ――本当に、これでよかったのだろうか。

 ちくりと、胸が痛んだ。山南の顔を思い浮かべる。

 ――山南さん、いいですよね。悪いのは、金を盗んだ奴なのですから。

 見ると、歳三もなんだかすっきりしないような、困ったような、そんな顔をしていた。


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