消えた五十両、士道のかたち③
事実上、河合は隊規違反スレスレで切腹を免れたと、新選組隊内ではまるで英雄譚のような語られようだった。よかったなあ河合。さすがにあの土方さんも、古参のお前においそれと切腹は言い出せないだろうよ。隊士らはその話で持ちきりになっていた。
皆が浮き足立っている中、さくらは盗っ人探しに精を出していた。五日というのは、案外短い。手掛かりになりそうなところは片っ端からつぶしていかねばならない。
「正直に言え。河合を見殺しにすることになるのだぞ」
さくらは、河合と飲みに出かけていたという三人に聞き込みを行っていた。酔わせたところに鍵を盗んだと考えるのが普通だろう。河合も、鍵を盗られるとしたらそこしか考えられないと言っていた。三人のうち二人が属する五番隊隊長である平助も、心配そうな顔で同席している。
「知ってること、なんでもいいですから」
平助は、悪戯をした子供に「怒らないから言ってごらん」とでも言うような調子で三人――特に小川と大橋――に答えを促した。
だが三人は、「そうは言われましても……」とうなだれるだけだった。
「私たちは、確かに河合さんと飲みにでかけましたが、潰れた河合さんを屯所まで送り届けたあと、三人で飲み直しに出たんです」
大橋はそう告げた。他の二人もこくこくと頷いた。
これはどうやら本当だったらしい。飲み屋の女将の証言も得た。そう考えると、時間的制約から考えて、三人が盗んだとは考えにくい。
むしろ、同室の隊士らが巡察に出ていたりしていたことで河合が一人で寝ている状態になり、屯所にいた全員が疑わしいという状況になってしまった。
「いったん、全員の持ち物を検めよう。それと、最近この辺で派手な金遣いをしたやつがいないか聞き込みだ。高価なものを買ったとか、遊女を身請けしたとか」
さくらの号令で、大規模な捜索が始まった。現在大坂に駐屯している
しかし、動かぬ証拠が見つからないまま、四日が過ぎた。
隊内に溢れていためでたい雰囲気は、かつてない緊張感に変わっていた。皆こそこそと集まっては、「どうなんだ」「まだらしい」と情報を求めて右往左往している。
河合が実家に依頼した
「河合。本当に何も思い出せないのか。金がなくなった日の夜のこと」
さくらは苛立ちを募らせながら、河合を問い詰めた。この四日間、謹慎を命じられて小部屋で過ごしていた河合はすっかり憔悴しきった様子で、首を振った。
「それより……飛脚は、まだ、来おへんのですか」
今度は、さくらが首を振る番だった。重苦しい空気が二人を覆う。
「明日いっぱい猶予はある。それまでに事が動かない場合、明後日の朝だ」
明後日の朝どうなるか、ということをさくらははっきり口にできなかった。いっそ、すぐに切腹させた方がよかったのではないか。希望を持たせて、結局死ぬことになるのなら。そんな考えすら、脳裏をよぎってしまった。だが河合は、まだ望みは捨てませんと青白い顔で微笑んだ。
結局、盗っ人が捕まることも、飛脚が来ることも終ぞなく、その時は来てしまった。
抜けるような青空のもと、白と浅葱の切腹裃に身を包んだ河合は、悲痛な面持ちで正面に鎮座する歳三、さくら、他の隊長たちを見た。
「飛脚は、まだ、来おへんのですか……? 島崎先生、下手人の手掛かりは……?」
さくらは首を横に振ると
「……すまない」
と、絞り出すように言った。
「河合。往生際が悪い」
歳三の一言に、河合はおそるおそる、目の前に置かれた短刀を手に取った。
それを、ゆっくりと腹に向けた。
瞬間、介錯の刃が振り下ろされた。
「うわああ!」
振り下ろされるのと、怖気づいた河合が立ち上がり、よろよろと走り出すのは同時だった。振り向きざま、痛みに呻く河合の喉にさらに一突き。それは、およそ切腹とは言い難い、武士としてはなんとも粗末で、哀れな最期だった。
五十両を携えた飛脚が到着したのは、翌々日のことである。
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