消えた五十両、士道のかたち①
慶応二(一八六六)年は、暗い幕開けとなった。
結局長州へ入ること叶わなかった勇たちは、手前の岩国藩まで行けたものの目立った成果を上げることはできなかった。京に戻ってきた勇は、それでも会津公松平容保に謝罪かたがた見聞きしたことを報告した。
「長州は強気な態度でございました。反して、広島に詰めている幕閣の皆様方は、いまひとつ士気があがっておられないご様子。もしこのまま戦になれば、幕府軍にとって厳しいものになるやもしれません」
この報告に容保は驚いたようだったが、薄々感づいていたような素振りもみせ、勇たちに感謝の意を述べた。
そして、勇たちは事態の挽回をはかり再度広島へと旅立った。一月の、下旬のことである。
同じ頃、京での留守番を務めるさくらたちに、ある報告がもたらされる。
伏見奉行所の役人が、寺田屋に潜伏する坂本龍馬らを急襲したというのだ。
一緒にいたのは言葉からして長州の者だそうだが、結局二人とも逃がしてしまったので詳細はわからないらしい。
「ったく、五十人でよってたかって、捕まえられねえとはどういう了見だ」
歳三が舌打ちした。そんな歳三を見て、さくらはいたたまれなくなった。部屋には、巡察や任務のない幹部が集合している。なんとなく、皆の視線が痛い気がした。
「すまぬ……。もっと早く情報を掴んでいれば」
「別に、島崎だけのせいじゃねえ。俺が判断を誤った。奉行所ってのは探査力はそれなりだが、どうも捕り物は苦手らしい」
「しっかりして欲しいですよねー。タラレバ言ってもしょうがないですけど、池田屋の時みたいに突入しちゃえばよかったですね」
平助が軽い調子で言ったが、その通りすぎる、と皆の表情はますます暗くなった。
「池田屋から一年半で副長も焼きが回りましたかな。はっはっは。あ、池田屋の突入を決めたのは近藤局長でしたね」
谷三十郎がにまにまと笑顔を浮かべて言った。むろん、楽しそうなのは彼だけで、他の面々はしらーっとした視線を送っている。谷はさすがにその視線の性質に気づいたようで、コホン、と咳払いをした。
こんなに嫌味な人であったか、とさくらは思ったが、少し想像を巡らせれば合点がいった。弟の周平が改めて近藤家の後を任されたことで、近藤勇に一番近いのは自分であるべきとでも思っているのであろう。副長として君臨する歳三のことを、よく思っていないに違いない。
とにかく、と歳三が声をひときわ大きくした。
「これからは長州だけじゃない。薩摩にかかわる者も、生け捕りにして話を聞く」
承知、と全員が短く答えると、その場は解散となった。
***
谷は、巡察の番が回ってくるまで少し時間があったので、町へ出ていた。最近、通い詰めているとある店がある。
「わあ、旦那。また来てくれはったんですか」
店の主人は、白髪交じりの月代頭をぺこぺこ下げながら、奥から出てきた。
「うむ。今日は何か新しい品は入っているか?」
谷は尊大に胸を張って主人に尋ねた。主人は、それがございますとも、と言って再び奥へ消えた。やがて恭しく両手に抱えて持ってきたのは、一振りの大刀だった。
「ほう、これは」
谷の目の色が変わった。抜き身を掲げ、刃紋をじっと見た。美しく波打っており、精巧な技術で作られたことが一目でわかる。
「これはかの備前の国・康光の作でしてねえ。たまたま流れてきたのを、なんとか買い付けたったんですよ」
「ふむ……これは確かに、掘り出し物であるな」
谷は刀から目を離さずに言った。目を離せず、といった方が適当か。それ程、その刀にはえもいわれぬ魅力があった。
「して……いかほどになる」
谷の言葉に、主人は誰が見てもわかる程ぱっと顔を輝かせた。
「へえ、そちら、七十両でございます」
主人の顔とは裏腹に、谷の顔は青ざめた。にこにこと嬉しそうな顔を見て、罪悪感のようなものさえ芽生える。
「金を工面できたら、また来よう」
谷は、なんとか動揺を悟られないような顔で、店を出た。
七十両。今もらっている新選組幹部の給金だと、数か月かけて貯めればなんとかなる。だが、数か月もあの刀があの店にそのままあるとは思えない。他の者の手に渡ることも十分考えられた。今すぐ、金を工面しなければ。手持ちは確か三十両ほどであったか。となると、あと四十両足りない。谷はうーん、と唸りながら屯所へと戻った。
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