新しい家②
歳三は、なんと「真実味をもたせるために」と本当に遊女を身請けしてしまったのだ。まあ羽振りのええことで、とさくらは皮肉のひとつも言ってやったが、歳三はどこ吹く風といった様子だった。
「本当にいいのか? 君菊さん、だっけ? 歳三のことを好いて身請けに応じたのではないのか。それなのに、いざ来てみたら私の妾宅だなんて」
「あいつは
「はあ、そういうものかね」
とにもかくにも、数日後に君菊を迎えるため、さくらと歳三は家の中を見て回った。掃除することはもちろん必要だが、それ以外に足りない家具や調度品はないか確認していく。
部屋数は、襖で仕切れば最大四部屋になる、という構造だった。中央は壁で区切られており、押入れがある。南東の日当たりがいい部屋は本来なら客間だが、客などくる予定はないので、この家で一番長い時間を過ごすことになる君菊に譲るつもりだ。
ざっと見て回ったが最低限の鍋釜はあり、あとは布団だけ持ってくればすぐに住めそうだった。さくらと歳三は、井戸で水を汲んでくると、部屋に雑巾をかけ始めた。
「ふふ、歳三が真面目に掃除なんて、久しぶりだな。今日は久しぶりなことばっかりだ」
「ここはあんまり他の奴らに知られるわけにいかねぇんだ。自分でやるっきゃないだろ。にしても、家、か……」
「どうした?」
さくらは不思議そうな顔をして歳三を見た。歳三は一瞬目を合わせたかと思うと、さっと逸らした。
「なんでもねえよ」
二人は時々「そういえばこの前捕まえた浪士ってその後どうなった?」というような仕事にかかわる雑談をしつつも、基本的には黙々と掃除をしていった。
――なんだか、試衛館にいる頃に戻ったみたいだ。
さくらは懐かしい気持ちになった。稽古前に道場の雑巾がけをした時、どちらが端まで速く雑巾をかけられるか、なんて競争をしたこともあった。入門こそ遅かったが、行商のかたわら試衛館で稽古をしていた歳三の”試衛館歴”は長かった。江戸で共に過ごしていた頃のとりとめもない記憶が、ぽつりぽつりと断片的に思い出される。
――そうそう、出会いは最悪だった。
さくらは、思い出してクスリと笑みを漏らした。互いの素性もわからず、「薬屋のくせに!」「女のくせに!」と罵りあった。まさか、今こうして新選組の副長・副長助勤として京都の家を掃除しているなんて、あの頃は微塵も思い至らなかった。
――なんだかんだいっても、今じゃすっかり気安い相手だ、歳三は。
「おい、手を動かせよ。俺はこの後も忙しいんだ」
「なっ、歳三に言われる筋合いはない! 私はもう二部屋目だ。歳三こそ、最近は偉そうに指図するばかりで体がなまってるんじゃないか?」
「うるせえ。そこまで言うなら、明日の稽古、今度は俺と勝負だ」
「負けるもんか」
さくらは、ニヤリと笑みを浮かべた。
***
さくらと歳三の試合はわずかな差で歳三の勝利となった。本当に紙一重だった。と、さくらは自己分析している。もう一度やれば勝てると言いたかったが、それでは負け犬の遠吠えでしかない。さくらはなんだか借りを作ってしまったようなすっきりしない気持ちのまま数日を過ごすことになった。
だが、いつまでもうじうじと言っている場合でもなくなった。さくらの妾宅にとうとう君菊がやってきたのだ。
君菊は年の頃二十五、六といったところの小柄な女性だった。このまま年季が明けても借金を返せる見込みがないからと、この身請け話に飛びついたらしい。というのは、君菊をここまで送り届けた付き人から後で聞いた話だ。
そこまで貰い手がないものか。さくらは信じられなかった。なにせ、女の自分が見ても、君菊は美しい女性だったのだ。確かに過日会った深雪太夫のような華やかさはないが、白い肌、潤んだ瞳からは色気が漂う。
「はじめまして。菊いいます。どうぞよろしゅう」
奥の部屋に通された君菊は、三つ指をついて丁寧に頭を下げた。君菊というのは源氏名なので、ここでは菊と呼んでやってくれとお付きの男が補足した。
「こ、こちらこそ」
さくらも慌てて頭を下げた。
「ご苦労だったな」
歳三は余裕の笑みを浮かべていた。
一応、さくらが身請けしたことにするというわけで、証文やら何やらにさくらは署名して拇印を押してとせわしなかった。ひととおり終わると付き人も帰ってしまい、家には三人きりとなった。
「さて」
歳三が切り出した。
「前にも少し話したと思うが、お菊の役目はこの家を守ることだ。まあ、掃除やら洗濯やらして適当に過ごしてくれ。それと、この島崎の変装なんかも手伝ってやって欲しい」
「へえ」
「なんだかすみません。本当、気楽に暮らしてもらえればいいんで。何もないですけど、本とか、三味線? とか、退屈しのぎの品が入り用でしたら持ってきますんで」
「お心遣いおおきに。よろしゅうお頼申します」
君菊はもう一度頭を下げた。
初対面の印象は、悪くない。控えめだが品のある女性なのだとも思う。それでもやはり、今日会ったばかりの女性と二人で暮らすという目の前の事実に気が重くなるさくらなのであった。
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