不穏な動き①


 朝。目覚めて、さくらは違和感に焦った。妙に静かで、部屋が広くて、風通しがいい。天井の色が違う。

 ――どこだここは……!?

 がばっと飛び起きて、あたりを見回した。少し間を置いて、そうだ、ここは自分の妾宅だったのだと気づく。

 慣れたはずなのに、未だに時折そんな朝を迎える。江戸から壬生に移った時も、壬生から西本願寺に移った時も、こんな気持ちになることはなかったように思う。

 恐らく、まだ受け入れきれていないのだ。女だというのに、妾宅で元遊女と二人暮らしなんて。

 暮らしているといっても、ここで寝泊まりするのは月の半分あるかないかという頻度だ。完全にこちらに住み込む気は端からなく、歳三も菊もそれは承知している。西本願寺の屯所はやかましいし、そこらじゅうに汗やら家畜やらの臭いが充満しているしで、環境としてはよほど劣悪なのに、あちらにいた方が気楽なのである。

 とは言え、女姿での仕事が続く時は、いちいち男装に戻す必要がない分この妾宅での暮らしが便利であった。そんなこんなで、さくらは屯所と妾宅を上手く使い分けていた。

 まだ昇って間もない日の光に目を細め、さくらは欠伸をした。土間の方からは、ほんのりと味噌汁のにおいが漂ってくる。

 菊は、よく働いてくれていた。二人分だけ作るのは食材がもったいないからと、たくさん作った煮物や漬物を隊士の昼食にと分けてくれる。西本願寺に届いたそうした品々は、評判もよくあっという間になくなってしまう。

「島崎はん、朝餉の支度できましたえ」

 さくらの部屋に、膳が運ばれてきた。お椀からはほかほかと湯気が立ち上っている。先ほどより強い味噌の香りが鼻をくすぐる。味噌汁の他には、漬物とごはん。味わいながら食事をゆっくり摂れるという点では、妾宅に軍配があがる。

「ありがとうございます。お菊さんも自分の膳持ってきて。一緒に食べよう」

「いつもおおきに。ほな、お言葉に甘えて」

 初めの頃は、「そないなわけにはいきしません」と断っていた菊であったが、今ではこうしてすぐ応じるようになった。さくらは、家の当主でもなんでもない。菊のことは家のことをやってくれる同居人ということで、そこに上下関係はないと思っている。だから、ここにいる間は、なるべく気を遣わず過ごしてほしい。

 しかし、だ。

「今日は天気がいいなあ」

「へえ、そうどすな」

「……私は今日、泊まり込みで調べ事をする。明日の夕方にはいったん帰ってくるが、明後日は屯所で早朝稽古もあるので男装に替えて屯所に泊まってくる。戸締り、お願いしますね」

「へえ、こころえました」

「……」

「……」

 会話は、こんな塩梅である。新選組の諸士調役相手に根掘り葉掘り聞いてはいけない。ということを菊がきちんとわきまえている証拠ではある。しかし、これはこれで気を遣わせてしまっているのではないかと、さくらの方が思い悩んでしまう始末である。

 支度を終え、家を出る時。さくらは軽い調子で提案した。

「まあ、連日私しか話相手がいないのもつまらぬでしょう。そのうち土方を呼んで夕餉でも食べさせますよ」

「へえ。お気遣いおおきに」

 淡々と返事をした菊の表情が、僅かに明るくなるのに、さくらは気づいた。


 ――やはり、私の勘は、こればかりは間違っていないと思う……。おそらく……。

 昨年、曲がりなりにも、潜入調査とはいえ、ひと月ほど遊里で働いた。の勘も身に着いたという自負がある。

 ――お菊さんは、歳三のことが好きなのだろう。そうでなければ、こんな見ず知らずの女の家で奉公人みたいなことをするなんて、選ばないはずだ。

 同居人が私なんかですまない、と胸の内で謝ってから、さくらは自分の両頬をぺしぺしと叩いた。頭を切り替えなければ。今日の任務は少し荷が重い。



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