新しい家①

 「近藤勇の妾宅」は屯所の東側にある小ざっぱりとした邸宅に決まった。お相手の深雪太夫は大坂・新町で一、二を争う売れっ子。身請けされて遊里を離れるとはいえ、粗末なところに住まわせるわけにはいかないと、異例のことではあるが店側が積極的に家探しを手伝ってくれた。

 おかげで、二人暮らしには少々広く、「多摩の百姓」には分不相応な家に勇は居を構えることになった。だが、それも「新選組局長の家」と呼べばしっくりくるのだから不思議なものである。

 蓋を開けてみれば、さくらが思っていたよりも多くの隊士が「新町の太夫を身請けできるなんて、局長スゲー!」という反応を示した。懸念だった新八と左之助にも、さくらの嘘はたちまちバレて

「へえー! ついにあの深雪太夫をねぇ! 島崎さんも最初にそう言ってくれればよかったのに、水くさい」

 と、言われてしまう始末だった。


 だが、さくらが恐れた通り「局長はずるいよな」という声も聞かれた。彼らの不満を逸らそうとさくらはいろいろ考えたが、結局ひとつしか思いつかなかった。早速、実行に移す。

 西本願寺境内につくられた道場。まずは、いつも通り隊士たちに稽古をつけた。

「一本!島崎先生の勝ち!」

 さくらの突き技の前に敗れた隊士は、面金の奥から悔しそうな視線を投げかけた。さくらはそれに気づかなかったふりをし、礼をした。

 最近は、諸士調役の仕事も忙しい。平隊士と直接行動を共にすることの少ないさくらにとって、限られた機会のうち一つが、剣術稽古だ。さくらは、彼らににとある試合を見せたかった。

 次! のかけ声に呼ばれたのは、勇だった。

 二人が剣術の勝負をするのは久しぶりだった。勇は外回りに忙しく道場で隊士らに稽古をつけることがめっきり減っていた。そこをなんとか都合をつけろとさくらが頼んだのである。

 竹刀を構えて対峙した二人からは、ただならぬ気が漂う。道場内も、緊張に包まれた。

「始め!」

 総司の合図で、二人はぎゅっと竹刀を握りしめた。だがもちろん、すぐには動かない。互いに切っ先をコン、コン、とぶつけながら出方を伺う。勇は強い。背もさくらより頭一つ分高い。だが、その勇と共に長年稽古をしてきた。手の内はわかっている。勝機がないわけではない。さくらはダンっと一歩踏み込み、小手先をねらった。

 結果は、勇の勝利に終わった。さくらの攻撃も当たったが、一本と認められるには勢いが足りなかった。負けはしたものの、不思議と悔しくはない。ほっとした気持ちの方が大きかった。勇には、局長として新選組最強でいてもらわなければ困るのだ。

「皆も、局長のようになれるよう精進するのだぞ」

 そう言い残して、さくらは道場をあとにした。隊士らが、勇に羨望のまなざしを向けるのをしかと認めてから。

「しかし、やはり負けっぱなしなのも癪だなあ」

 ぽつりと独り言を漏らし、未だ聞こえてくる掛け声や竹刀のぶつかる音を背にさくらは自室へと戻っていった。今日はこの後、あまり気の進まぬ用事がある。


 ***


「ここか……」

 さくらは、ため息をついた。西本願寺屯所から北へ小半時歩くか歩かないか、といった距離感。町はずれの静かな場所だ。ここに建つ小ぶりな武家屋敷ともいえる家が、今日から「島崎朔太郎の妾宅」になる。

 昨年の「どんどん焼け」で京の町は家不足だというのに、よくもまあ見つかったものだとさくらは舌をまいた。

 もっとも、焼け野原になった中心部はすでに土地がならされていて、京の人々はそこに家や店を再建したくましく生活していた。この家はむしろ忘れ去られた存在なのだろう。

 詳しい事情はわからないが、とある侍がさる事情によってこの家で切腹した結果、お家取り潰しの憂き目にあい、妻子は逃げるように田舎に引っ込んだのだという。不吉な空き家として近所の人が近寄らないため格安で手に入れることができた。もっとも、屯所内での殺生を数々経験しているさくら達にとって、そんな家は不吉でもなんでもない。掃除さえすればまったく問題ないし、立派なものだ。


「って、その掃除がめんどくさ……」

「掃除も鍛錬のうちだとよく大先生おおせんせいが言ってただろ」

 さくらは、隣に立つ歳三をぎろりと睨んだ。

「こんなところで父上のことを引き合いに出すなど卑怯ではないか」

 はああ、と聞こえよがしにため息をついて見せた。歳三は気に留めない様子でずんずんと中へ入っていく。 

 勇が深雪太夫を身請けするどさくさに紛れて、さくらの妾宅話もあれよあれよと進んでいった。

 もちろん、さくらには身請けするような馴染みの遊女などいない。そもそも付き合いを除いて遊里で遊ぶこともほとんどない。

 歳三がいうには、この妾宅の役割は二つ。一つは、諸士調役の変装・連絡の拠点にすること。屯所で話しづらいこともここでなら話せるし、さくらはいちいちタミのところに行かずとも男装・女装の切替ができる、というわけだ。そして二つめは、目くらまし。女を囲っている、という事実があれば、伊東はじめここ一年の新入隊士にさくらが女子だと疑われにくくなる、という寸法だ。

 理にはかなっている。かなっているがしかし。さくらにとって気が重いのは家のことではない。家の住人のことだ。

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