さくら、孤立無援②

 それで、とさくらは源三郎を見た。

「実は、源兄ぃに味方になってもらって止めようとだな」

「おい、本当かよー!」

 見ると、左之助は満面の笑みを浮かべている。新八も笑顔で左之助の肩を叩いた。

「よかったじゃないか左之助。おまさちゃんだっけ? いい感じだって言ってたもんな」

「島崎さんよお、その話、実現しそうなのか? 俺、おまさちゃんとは妾じゃなくて正式に夫婦めおとになりてえと思ってんだけど、そういうのもアリか?」

 なんだか話がそれているような。思っていたのとは違う反応に、さくらはうろたえた。

「そ、そんなのは知らん。それになんだ左之助、おまさちゃんって、前に屯所に米持ってきたあのか!?」

「他に誰がいるんだよ」

 以前、左之助の隊が米問屋で暴れる浪士を捕縛したことがあった。そこの娘が、わざわざ高級米を持って屯所に来たことがある。「原田様に、お礼を……」と言って顔を赤らめた彼女はまだ少女といって差し支えない年恰好だった。こんな男所帯にこんなかわいい女の子が! と隊士らがざわつく傍らで、

 ――女ならここにもいるけどな。年増だが。

 と、ひとり胸の内で自虐したのをさくらは覚えている。

「左之助、そんな、夫婦とかいうところまで話が進んでるのか?」

「まだわかんないけどな~」 

 この男、こう見えて、否、こういう性格だからか、「面白いお人やわ」なんてことで案外モテるのである。それにしても、展開の速さに驚くあまりさくらは本題を忘れそうになった。意外にも、話を本筋に戻してくれたのは鍬次郎だった。

「でも、ずるいっすよ原田さんー。幹部だけなんてそんなの」

「そうだ鍬次郎。もっと言ってやれ。そういう不満が出れば、隊士たちはついてこなくなるんだ」

「しかし島崎さん。こういう考え方もある。好きな女と一緒になれるとあれば、平の隊士たちも幹部目指して品行方正になったり稽古に励んだりする、とか」

「なっ、新八、お前もそちら側か! だいたい、そんなの動機が不純だろう! 私たちは公坊様のために……!」

「そっか、そういう考え方もありますねー。松原さんみたいに幹部がやらかして降格ってこともあるし。席が空く見込みもあるわけだ」

 鍬次郎が目から鱗、とばかりに楽しそうに言った。松原というのは、壬生浪士組時代からいる隊士で、副長助勤として真面目に隊務に励んでくれていた。真面目ゆえ、少々存在感の薄い男だったが、数か月前に捕縛した浪士の妻と通じたという疑いがもたれ、降格処分になっていた(証拠が不十分だったので、切腹は免れた)。

 さくらは溜息をついて、鍬次郎をたしなめた。

「そういうのを狙うんじゃない。不義密通の噂が立って降格になる幹部なんてそうそう出てたまるか」

「まあ、さくら、いいんじゃないか? 近藤先生がそうしようって言ってるんなら」

 さくらはぎろっと源三郎を睨んだ。

「源兄ぃまで! ここまでだんまりだったくせに、最後の最後で総司みたいなこと言いやがってええ!」

「なに、総司にももう話したのか」

「話してないっ! もういいっ! 私の味方などおらぬことがよーくわかった!」

 さくらは荒々しく立ち上がると、乱暴に襖を開け、部屋を出ていった。


 怒りに任せて屯所内を歩いていたが、ふとさくらは気づいた。

 ――左之助と新八がいいと言ってるんなら、いいのではないか……? 結局私は去年の建白書騒動みたいなことが起きたらというのを心配していたわけだし……。

 考えが傾きかけるのを、さくらはぶんぶんと首を振って払った。鍬次郎の「ずるい」が答えだ。普通の隊士なら、そう言うに決まっている。

 さくらは一旦自室に戻ろうとした。天気がいいので廊下の障子は開け放たれている。養豚場の方から風に乗って特有の臭いが漂ってきた。ここまで臭うなんて、今日は風向きが悪い。さくらはこの臭いが苦手だった。豚肉自体は、醤油で味付けすれば騙し騙し食べられるようにはなったが、好きな食べ物として挙げるにはまだまだ道半ばだ。

 迂回するのも面倒なので、さくらは臭いに顔をしかめながら廊下を歩いた。すると、前から歩いてくる人物があった。近づいてくると、それが伊東甲子太郎であるとわかった。

 ――そうだ、この際、伊東さんを味方につけられないだろうか。本当に頭がいい人は、こんなことがまかり通ればどうなるか、見通せるかもしれない。

「おや島崎さん。なんだか久しぶりですね。同じ屯所にいるというのに」

 伊東の方から話しかけてきた。これは好都合だ。

「そうですね。諸士調役の任務で外に出ることも多かったですし。山崎が医者まがいなこともするようになってからは特に忙しくて」

「そうでしょうとも。何より今は公坊様がこちらにおられる。警戒を強化しなければいけませんからね。島崎さんたちが事前に調べてくださるおかげで、出動する甲斐もあるというものです」

「はあ、ありがとうございます。……ところで伊東さん、この後何かご用事でも?」

「今から局長、副長に呼ばれているのです。何やら相談があるとか」

 まずい、とさくらは思った。先手を打たれるに違いない。

「いいい伊東さん、先に私の話を聞いてくださいませんか……っ!」

「どうかしました。何か急用でも?」

 遅かれ早かれ伊東には本当のことが勇から話されるのだ。だったらさっきのように歳三を引き合いに出さず正直に言うべきだと思ったが、なかなか口から言葉が出てこない。

 ――ああ、なんと情けない。

 共に武士になろうと誓ったのに。弟として試衛館に迎えて、共に切磋琢磨してきたというのに。新選組を結成してここまで共にやってきたというのに。

 ――なぜ、勇が偉そうに遊女を身請けして、私がその尻拭いみたいなものをせねばならんのだ。もう、勝手にすればいい。

 さくらはなんだか脱力してしまった。それに、よく考えれば遊女の身請けに反対してしまうのは自分が女子ゆえではなかろうか。そう思ったら、伊東に気取られやしないかということも心配になってくる。

 ゆえに、さくらは 

「……いえ、なんでもありません」

 と尻すぼみに言った。伊東が不思議そうな顔をする。無理もない。それでも、伊東がどんな答えを出すのか気になったのでさくらは提案した。

「私も一緒に局長のところへ行ってもよろしいでしょうか」

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