松本良順、来たる①
「皆、用意はいいか」
さくらの問いかけに、その場にいる者は皆神妙な面持ちで、はい、と頷いた。
「やってやるぜ。このくらい、屁でもねえってんだ」
「新選組の大仕事だな……」
「三つ数えたら一斉に行きますぞ。皆、冷静に」
一、二、三、のかけ声と共に、一同はうおおっ、と気合いの声を上げた。
「不味い!!」「美味い!!」
賛否分かれ、すぐに互いを「お前の味覚おかしいんじゃねえの」と罵りあった。
今日の食卓に上がったのは、豚肉。ここにいる者は皆、生まれて初めて食したことになる。
「やっぱり食べてみないとわからないものですねえ。近藤先生や土方さんをここに呼ばなかったのは正解ですよ。反応次第では局長・副長としての威厳に関わりますからね」
言いながら、総司はけろりとした顔をして咀嚼している。さくらは、「お前は平気な方か……」と青ざめた顔で呟いた。
「たぶん、慣れますよ。調理法だって改善の余地がありそうですし」
さくらは、そういうものかなあ、と言いながら二口目を口にした。
「うへえ……」
なんだか妙な臭いがするし、いつまで噛めばなくなるのかわからないし、お世辞にも美味とはいいがたい。
しかし、ここでくじけてはいけない。さくらはごくんと飲み込んだ。
「水、水……」
ところで、さくら達がなぜ豚肉を食しているのか。話はひと月程前に遡る。
屯所である西本願寺に、客人がやってきた。さくらも知っている人だからと勇の部屋に呼ばれて行ってみると、そこには思わぬ人物がいた。
「松本先生!」
さくらは顔を綻ばせた。奥医師(幕府御典医)・
「島崎さん。お元気そうで何より」
松本は人の良さそうな笑顔を浮かべた。聞けば、将軍の上洛について来たらしい。奥医師といっても将軍にべったりくっついている必要もないらしく、挨拶がてら顔を出しにきたということだ。そんな
「それで、近藤さん」
と、顔を曇らせた。勇は襟を正して「はい」と答える。さくらは状況がいま一つ飲み込めず、黙って二人を見ていた。
「ひと通り、拝見しましたが……はっきり申し上げます。かなり、劣悪な状況と言わざるを得ません」
「そう……ですか」
「な、何が劣悪なんですか?」
話に置いていかれる、と直感したさくらは、間に割って入った。勇が「ああ」と気づいたようで説明してくれた。
「実は、さっきまで松本先生に屯所の中を案内して歩いてたんだ。病人の部屋とか、
「はい。それで、隊士の皆さんの様子を見て……怪我人や病人が多すぎるなと」
さくらはまさかそんなことを指摘されるとは思っていなかったので、虚を突かれて「はあ」と間抜けな返事をした。仕方ないじゃないか、と思う。
夏というのは誰かしら暑さにやられるものだ。特に昨年は、副長助勤の総司ですら暑気あたりでしばらく隊務を離れたこともあって、隊内には「まあ、暑さばかりはどうもね」という意識が暗黙のうちにある。怪我人については、確かに鍛錬不足な者が一定数いるのは問題だが、ここ最近は斬り合いも増えているし、今の数ならむしろ想定の範囲内だ。
しかし勇はそうは思わなかったらしい。落ち着いた様子で、「いやあお恥ずかしい」と頬を掻いた。
「いかんせんこの暑さもありますし、近頃は捕り物も多くて。しかし、せっかく隊士を増やしたというのに実働部隊が減っては意味がない。このままではいけないとは思っているのですが」
さくらは小さくなって聞き役に徹することにした。見ている状況は同じでも、それに対する意識が勇と違うことに、さくらはなんだか恥ずかしくなった。
「確かに、体調を崩してしまったり怪我をしてしまうことそれ自体は仕方のないことでしょう。私が言いたいのは、その対処です。大部屋の片隅にただ寝かせているだけでは、よくなるものもよくならない」
「そ、そういうものですか……」
「まずは、病人の部屋を別に作り、風通しをよくすること。あとは、風呂をしっかり用意した方がいいですね。身綺麗にすれば多少の怪我は早く治るし、皮膚の病などを遠ざけられる。それから、滋養が何より大切。豚肉を食らうといいでしょう」
その松本の助言を受け、今に至る。
「薩摩の人たちは日常的に豚肉を食べてるらしいですよ。伊東さんが言ってました」
平助は涼しい顔を装っているが、一口ずつちびちびと食べている。無理をしているようだ。
「ああ。確かに、去年の戦の時、薩摩のやつらはでかいなあと思ったもんだよ」
新八はどうやら平気らしい。何食わぬ顔で豚肉を食している。
「そういえばそうでしたねえ! 西郷さんでしたっけ? 立ってるだけですべての攻撃を跳ね返す! みたいな佇まいでしたよねえ」
総司が懐かしそうに言った。さくらが、「それは本当か」と食いついた。そういえば、松本が肉をたくさん食べれば腕力がつくとも言っていたのを思い出した。
――不味い、などと言っている場合ではないな。
強靭な腕力は、さくらがもっとも欲しいもののひとつだ。短刀で相手の間合いをかく乱するとか、素早い突き技を繰り出すとかは得意だが、力勝負になればどうしても分が悪い。例えば、勇のようながっしりとした屈強な体など、女のさくらには望むべくもない。
だが、それでも、豚肉で少しは頑丈な体になれるのなら。さくらは平助同様、少しずつ噛みちぎりながらなんとか豚肉を胃の腑へと流し込んでいった。
「ところでよお、これ食ったら、健診? っていうのやるんだろ。なーんか気が進まねえな。なんにも悪いところなんかないぞ」
左之助がぱくぱくと豚肉を頬張りながら言った。周りの者も、うんうんと大きく頷いた。確かに、左之助にどこか悪いところがあるとは思えない。だが、新八が真面目に反論した。
「いい機会だ。みんな診てもらった方がいいと思うぞ。万が一ってこともある。総司だって、去年ぴんぴんしてるように見えて池田屋でぶっ倒れたんだから」
「あはは、本当、永倉さんに助けてもらわなかったら私は今頃あの世行きでしたよ」
「総司、笑いごとじゃないよ。って、僕もおでこ斬られて早々に役立たずになってたけど」
平助は額をぺちっと叩いた。痛々しい傷跡が残ってはいるが、本人はさして気にしていないらしい。食卓は、和やかな笑いに包まれた。
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