その女、島崎朔太郎④

 残されたさくらと歳三の間には、一瞬変な沈黙が流れた。が、すぐに歳三がそれを破る。

「で、さっきの続きだが。大坂から来ているというのが本当なら、まずいな」

「ああ。長州だけじゃない。他の藩からも協力者が出ているということだろう。もともとこのあたりは長州贔屓だったが、ますますその色が濃くなってるとみて間違いなさそうだ」

「そうなると、大坂や他の地域もあたらせた方がよさそうだな」

 歳三は書状の束をガサガサと広げた。ここ最近の出動・捕縛の状況報告書だ。ぶつぶつ言いながら目を通している姿をぼんやりと眺めていると、さくらはふと、ある場面を思い出した。山南が切腹した日のことだ。

 かつての副長・山南敬助やまなみけいすけが切腹したあと、さくらは歳三に抱きついてわんわん泣いたのであった。もっとも、先に抱きついてきたのは歳三だが。屯所を移転してからこれまで、バタバタした日々を送っていたし、その間二ヶ月ほど歳三に会っていなかったものだから、そんなことを思い出す暇などなかった。しかし今、久々に二人きりで膝を突き合わせているからだろうか。ぶわっ、と昨日のことのようにさくらの脳裏に蘇る。

 ――改めて時が経ってから思い出すと、なんだか鳥肌がたつというか身の毛がよだつというか。あの夜は、お互いどうかしてたな。うわあ……。


「おい、聞いてんのか」

 歳三のイライラした声にさくらはハッと我に返った。そうそう、眉間に皺を寄せたぶっきらぼうなこの感じ。本人には悪いが、これでこそ土方歳三だとさくらは思った。

「はいはい、聞いてる聞いてる」

「じゃあ次どのあたりが怪しいか言ってみろ」

「えーと、まあ今回が四条と五条の間の鴨川沿いだったし、あの辺はやっぱり怪しいよな」

「馬鹿やろう。そういう短絡的な考えするやつがいることくらい向こうだってお見通しだろ。やっぱり聞いてねえな」

「なんだよ、馬鹿だの短絡的だのってそんな言い草……」

「烏丸町の方でも小競り合いが続いている。奴らが根城をそっち方向に移す可能性もあるだろう。先回りして巡回を強化する。お前も近くを当たれ」

「承知ぃ」

「それと、もう一度言うが、その格好で屯所に来るな。他の隊士に見られたら事だぞ」

「今日は裏からここまで誰もいないのは重々確認済みだ。普段はちゃんとタミさんの髪結屋で男装に戻してから来るさ」

「面倒くさいだろうが頼むぞ。隊士も増えたし、お前の正体はより慎重に隠さなきゃなんねえ」


 今回の件でこれ以上さくらができることはもうなかった。あとは総司たちが引っ立ててきた浪士らを尋問することになるが、それはさくらの仕事ではない。

 歳三に言われた通り男姿に戻ると、さくらは束の間の自由時間を使ってふらりと屯所を出た。向かう先は、光縁寺。山南の墓が、そこにある。さくらは屯所が移転した後も、山南の月命日には墓参りに来ていたのだった。

 今日は、墓石の前に先客がいた。

「平助……」

「島崎さん。今月も来たんですね」

「平助もな」

「僕は……せめて墓参りくらいはと思って」

 藤堂平助とうどうへいすけは昨年秋からずっと江戸に残って隊士募集に奔走していたので、屯所が移転した時も、山南が切腹した時も、その場に居合わせていなかった。

 西本願寺に足を踏み入れた平助がいの一番に尋ねたのは、山南のことだった。すでに四十九日も終わっていて、屯所も移転していたので、山南の存在を感じられる場所は光縁寺の墓しか残されていなかった。さくらは、墓参りの案内役を買って出た。

「本当に……本当にこの墓は山南さんのものなんですか」

 そう言って跪いた平助の青白い顔を、さくらは忘れることができない。

「ああ。そうだ。ご立派な最期だった」

「どうして……!」

 平助は、愛おしそうに墓石を撫でていた。どうして、どうして、と言いながら。

「平助。すまない。歳三から顛末を聞いているかもしれないが、山南さんの変化に気づけなかった私たちのせいだ。脱走する程に山南さんを、追い込んでしまった」

「だからって……脱走したからって……切腹にしなくたってよかったじゃないですか……!」

「それは駄目だ。脱走は、切腹だ」

「島崎さんは……やっぱりどこまでも近藤さんや土方さんの味方なんですね」

「味方とか敵とかいう問題ではない。新選組の法度は、絶対だ。……ただ、恨むなら、私を恨め。結局、山南さんを逃がせなかったのは私なのだから」

 平助は、ぐっと口をつぐんだ。山南の死に目に会えなかった平助の気持ちは、察するに余りある。だからさくらは、それ以上は何も言わなかった。墓石にもたれて静かに泣いている平助を、さくらはただただ見守ることしかできなかった。


 それから一ヶ月。月命日に墓参りをしようとしていたのは、さくらだけではなかったのだった。

 平助はもう帰るところだったらしく、墓石の正面をさくらに譲るように立ち上がった。

「島崎さん」

 平助はにっと笑った。少し無理をしているような笑顔だった。

「がんばりましょうね。山南さんのためにも」

「ああ、もちろんだ」

 平助は笑顔のまま頷くと、静かにその場を立ち去った。

 さくらはその背中を、切なげな笑みを浮かべ見送った。

 新たな局面に突入した新選組は、時代の波に翻弄されていくことになる。

 それでも、さくらにできることは一日一日の務めを全力で果たすのみ。

「見ててくださいね、山南さん」

 さくらは、静かに墓石へと語りかけた。






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