その女、島崎朔太郎②
手ぬぐいを受け取った男は、真っ直ぐに加茂屋まで歩いていった。追いかけて斬り捨てることも可能だが、もし仲間がいるのならまとめて捕まえたい。さくらは加茂屋と隣の建物の間に入った。人が二人やっとすれ違えるくらいの路地だ。身を隠すにはちょうどいいとばかりに、二、三間(約五~六メートル)進んだところでしゃがみ込んだ。すると、声が聞こえてきた。会話の内容までは聞こえないが、どうやら二階の部屋に先ほどの男がいるようだ。他にも二、三人分の声が聞こえる。やはり仲間がいるのだとさくらは確信した。
「サク」
声をかけられ、顔を向けるとそこには
「総司から聞いたが、当たりで間違いないな?」
「ああ。仲間もいるようだ」
「それなら突入してよさそうだな。一番隊にもそう伝える。私は裏を固めるから、サクは早く引き上げた方がいい」
源三郎は、路地を抜けていった。総司の隊が表を固めていれば、裏口を押さえることで挟み打ちにできる。
程なくして、騒がしい声や物音が聞こえてきた。どうやら総司たちが中に踏み込んだらしい。さくらはずらかろうと立ち上がり先ほど源三郎が立ち去った裏口方面に向かった。路地を抜け、広い往来に出ようとした境目のところで、急に目の前の景色が遮断された。
「お前……さっきの!」
正面には、先ほどさくらが手ぬぐいを渡した男が立っていた。
「まあさっきのお武家さまやないどすか。こないなところでまた会うなんてなあ」
「白々しい。お前も新選組の仲間なんやろ! けったいな京言葉使いよって!」
「新選組! けったいはそちらやないどすか。新選組なんてもう恐ろしゅうて恐ろしゅうて、手を貸すような肝の据わったおなご、よういいひんわあ」
「それが盲点やったんや。女やからと、油断した」
「ほな、百歩譲りまひょ。うちが新選組に通じてるとして、あんさんどないするのや」
「顔を見られとるさかいな。当然、斬って捨てたるわ!」
そう言うと、男は刀を抜いた。
「ハァ……まったく、今日は戦い担当ではないのだが」
さくらは裾を絡げると、懐から短刀を出した。まさか応戦しようとするとは思わなかったのだろう、男の顔に狼狽の色が浮かんだ。
「くそ、生意気な……!」
男は刀を構えたまま、動かなかった。短刀を構えているとはいえ、こちらは女。動きにくそうな着物。それは男も当然わかっているはずなのに、すぐには向かってこない。さくらの発する殺気がただものではないと、男も察しているようだった。
「……動かぬなら、こちらから行くぞ」
低い声で言うと、さくらは一歩踏み込んだ。
男も動いた。だがさくらの方が速かった。振り下ろされる白刃をさっとかわし、あっという間に相手の間合いに入ると、思い切り足を払った。よろけた男は体勢を立て直したが、闇雲に振った刀がすぐ横の壁に引っかかった。隙あり、とばかりにさくらは男に体当たりをかます。ぐおっと声をあげて倒れた男の肩口に、さくらは短刀を突き刺した。男は痛みに呻いた。
「ひ、卑怯な手を……」
「卑怯なもんか。
「お前。何者なんや……」
「新選組調役、
「山本……時次郎……」
「そうか。まあ詳しい話は後でたっぷり吐いてもらうとして……」
山本と名乗った男に馬乗りになる格好で、さくらはあたりを見回した。生け捕りにしなければならないので、これ以上深手を与えるのは危うい。しかし、うかうかしていれば反撃に転じられる可能性もある。早めに応援を呼んで捕縛しなければ。
「沖田ー! 井上さーん! 大石! 宮川! 山野ー!」
誰かが気づいてくれやしないかとさくらは声を上げた。ちなみに、呼んだ名には共通点がある。皆、さくらの事情を知る者だ。
「島崎!」
と声がした。源三郎と、
「うわあ、姉先生、本当にそのカッコで仕事してるんすね。初めて男装見た時もびっくりしたけど」
「今そんな話をしてる場合ではない。それにその呼び方はこっちではやめろと言ってるだろう」
「むしろそのカッコならいいじゃないすか」
「いいから、縄をかけなさい」
源三郎に言われて、鍬次郎は不服そうな顔をしたが、手先はてきぱきと動かし、あっという間に男を縛り上げた。
「サク。あとは任せて早く屯所に戻れ」
さくらは御免、と手ぶりで源三郎に謝意を見せると、するりと往来に紛れた。どこぞの女中がお使いに出かけているだけですが何か、と言わんばかりの顔をして屯所への帰路につく。
近藤さくら。今は改名して島崎朔太郎を名乗る、新選組唯一の女性隊士。彼女は今日も、町の治安を守るべく隊務に邁進する。
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