変な病院

増田朋美

変な病院

変な病院

その日も冬らしいのんびりした日で、穏やかに晴れた天気だった。富士山がきれいに雪化粧をして、やっと、安泰な季節がやってきたと言える。世間では、おかしな感染症が流行っていて、外へ出るのはちょっと躊躇してしまうくらいであったが、それでも、仕事などでやむを得ず外へ出る人はいた。単に仕事というだけではない。中にはどうしてもだめになって、病院に行く人もいる。特に最近は、病院に行く人が、なんだか増えているような気もするのだが、、、。そんなことは考えず、政府は経済活動を優先させていた。

「今日は、穏やかでいい日だな。最近悪いものが流行っていて、一寸、困ってしまう人が多いというが

、なぜか天気だけは良いという、不思議な日だ。」

と、杉ちゃんは、かぼちゃのスープの入ったお皿を、車いす用のトレーにおいて、水穂さんのところにやってきた。

「さあご飯だよ。今日も残さないでしっかり食べてくれよ。」

杉ちゃんが、そういうと、一緒にいた由紀子が彼の枕元に、かぼちゃのスープのお皿を置いた。

「さあ頑張って食べような。起きるのがつらかったら、寝たままでいいから。せめて完食位してくれ。すくなくとも、多すぎるということはないと思うので。」

由紀子は、杉ちゃんに言われた通り、おさじを水穂さんの口元に持っていった。水穂さんは急いで中身を飲み込んだ。

「よし、もう一口食べてくれ。」

由紀子はまたおさじを口元にもっていくと、又中身を飲み込んでくれたので、ほっとする。

「じゃあ、もう一度。」

と、杉ちゃんに言われて由紀子はまたおさじを持っていくが、今度は反対の方を向いてしまった。

「なんで?食べたくないの?もうちょっと、食べようよ。」

ここから先が、水穂さんの食事というものについて、根性がいるというか、正念場になってしまうのであった。食べてくれるのは、いつでも一口か二口。それ以上は、難しい。

「ほら、杉ちゃんがつくってくれたんだから、つくった人にも失礼でしょうが。」

と、由紀子は、そういうのであるが、水穂さんは食べ物を口にしようとしないのだった。

「でも食べる気がしなくて。」

と、小さな声でそういう水穂さん。

「おかしいな、うちのフェレットの正輔も輝彦も、食べるものはおいしそうに食べるんだけど。人間は、そういうことになると、難しくなるもんだろうか。」

杉ちゃんは、腕組みをして考え込んだ。

「ご飯をたべないと、薬だって飲めなくなっちまうぞ。薬ってのは、ご飯をちゃんと食べてからじゃないと、効かないんだよ。」

「そうよ。薬はあくまでも補助的なものよ。其れよりも、ご飯をたべることの方が、大切なのよ。健康であれ、そうでなくても、誰でも大切なものはあるのよ。」

由紀子は、一寸じれったい気持ちになって、杉ちゃんのいうことに、急いで付け加えたのであるが、水穂さんは、どうしても食べる気がしないというか、食べようとしないのだった。

「こんにちは。」

いきなり、インターフォンのない玄関の引き戸が、ガラガラっと音を立てて開いた。今のは誰の声だろうと杉ちゃんが言うと、由紀子は、浜島さんだわと答えた。

「インターフォンがないから、ここで入らせてもらうわね。みんなお昼の時間だし、右城君にご飯をたべさせている真っ最中でしょう。」

まさしく、彼女、浜島咲は、そんなことを言いながら、部屋の中に入ってくるのであった。正直に言うと由紀子は彼女が苦手だった。

「ああ、やっぱり食事してたんだ。右城君、食べないと、ダメになっちゃうわよ。幾ら、病気で寝たままになってても、食べ物を食べて栄養を取るということは、忘れないでもらわないとね。」

と、咲はそう言いながら、水穂さんの隣に座る。水穂さんは、黙ったままで答えなかった。

「其れより、はまじさんどうしたの?今日は何を話に来たのさ。」

杉ちゃんがそう聞くと、

「よくわかってるわね。杉ちゃん私のことちゃんとわかっていてくれてうれしいわ。今日はね、私、

病院に行ってきたの。」

と咲はまた話し始める。

「はあ、風邪でも引いたのかい?」

「いいえ、風邪じゃないわよ。何だか朝起きたら腰が痛かったから、それを何とかしようと思っていってきたの。」

咲は、杉ちゃんの話に、すぐにそう返した。

「朝起きたら腰が痛かったの?布団が柔らかすぎたとかそういうことじゃないの?」

杉ちゃんがまた聞くと、

「そんなことないわ。私、柔らかい布団何て好きじゃありませんから。それでね、病院に行ったんだけどね、医者もいやいやながらの診察って感じで、どこにも異常はないっていうのよ。私がこんなに腰が痛いのに、何とかしてくれないんですかって聞いても、うちの病院では見切れないから、ほかをあたってくださいですって。私、頭に来て、診察料だけ払って、次回の予約も取らずに帰ってきちゃったわ。」

と、咲は、そういうのであった。

「つまるところ、診察を断られたわけね。で、腰には何も異常はなかったというのは、本当かな?」

「ええ、画像判断と、血液検査をしたけど、全部数値は正常で、何も異常はないっていうのよね。こんなに腰が痛いのに、異常が無いっていうのが、おかしいわ。医者もぶすっとして嫌そうな顔をして診察するし。ほんとに変な病院だった!」

由紀子はそんな咲の話を聞いて、もしかしたら、浜島さんは神経障害性疼痛とか、そういうものにかかったのかと思ったが、口にすることはしなかった。

「確かにおかしな病院だよな。異常がなければ、にこやかに笑って言ってくれればいいのに。で、そのおかしな病院はなんていうところなの?」

「原口病院。口コミサイトを後で見たら変な病院だっていう書き込みがあったから、ここはおかしいなっていう事は後で知ったわ。もう待ち時間はやたら長いし、医者の態度もぶすっとしてるし、どこが権威のある病院なのよ。そこのねホームページには患者さんの事を第一に考えるって書いてあるけど、それは大嘘ね。私は、最近原口病院に赴任してきた新人医師の久保っていうひとに診てもらったけどね。もう、態度はでかいし、異常が無いってバカにするし、ほんと最悪よ。もう誰のおかげで医者をやっていられるのか、不思議なくらい。お年寄りの前では猫かぶっているようだけど!」

総合診療科を名乗っているので、どんな人でも受け入れると表向きにはかいてあるのであるが、それは、大嘘であると言えるほど、患者を選ぶ病院なのだろう。咲は、そこを知らなかったのだ。

「まあ、あたしも悪いというか、ちゃんと口コミサイトを見て、しっかりしたところに行くべきだったと反省してはいるんだけどね。」

咲は、はあとひとつため息をついた。

「そうだねえ。まあ確かに、ちゃんとした病院を探すのは難しいと思うけどさ。今度はちゃんと診察してくれるところにかかってね。」

と、杉ちゃんが、そういうことを言って、とりあえず咲の愚痴はそれで終了したが、由紀子は、どうしても二人の話に加われずにいた。水穂さんは、病院をえらぶどころか、追い出されてしまって当たり前の身分なんだから。ふいに、水穂さんがせき込んでいる声がする。由紀子は、急いで、水穂さんを

横向きに寝かせなおして、背中をさすってやった。

「だから、右城君も早くいい先生見つけてね。すくなくとも、今はやりの感染症とは違うんだから。其れをちゃんとしてくれるお医者さんであれば、右城君だってすぐに何とかなるはずよ。」

咲がそういうことを言っているので、由紀子は、思わず訂正してしまいたくなったが、水穂さんのことを考えると、そのようなことは言えないのだった。

「そんな、良い医療何て受ける資格在りませんよ。僕は、この世で必要なんかされていませんから。其れでいいんです。」

水穂さんの、人生を達観しているような発言はむなしかった。由紀子は何とか、それを訂正してもらいたいと思うのであるが、これを解決するには、同和問題を解決しないとできないということを知っていた。だから、水穂さんの言う通りにするしかない。だけど、水穂さんの事は好きだし、ずっと生きていてほしいと思う。由紀子は、どういっていいのかわからないまま、その日は其れでやり過ごしてしまったのであった。結局水穂さんは、それ以上、カボチャのスープを口にすることはなかった。

その数日後。由紀子が駅員の仕事を終えて、自宅にかえろうと、車に乗ってカーラジオのスイッチを入れた時の事であった。

「今日未明、静岡県富士市の総合内科病院である、原口病院の病院内で、医師の男性が殺害されているのが発見されました。被害者は、原口病院に勤める内科医の、久保誠一さんで、凶器とみられるものは見つかっていませんが後頭部を、机に打ったことが致命傷であったことから、警察は殺人事件として捜査しています。」

アナウンサーは、慣れた口調でそういうことを言っている。アナウンサーなので、そういうことは平気で発言できてしまうのであろうが、こういう話しは、一寸、躊躇する気がする。由紀子は、昨日浜島さんが、原口病院は評判がよくないといっていたことを思い出した。そうなると、誰か怨恨とかそういうものがあってもおかしくない。それでは、患者の家族とか、そういうひとがやったのではないいかと思われる。由紀子は、それ以上事件の話は聞きたくなかったので、カーラジオを止めて、車を自宅へ走らせた。

しばらく車を走らせていると、葬儀会館の前を通りかかった。最近は葬儀会館もいろんなところにできているが、その葬儀会館は、富士市内でもかなり昔からある、老舗的な所だった。葬儀会館の前に、大量の花輪が置かれている。中には、大物と言われている企業の名前が書いてある花輪もある。誰がなくなったのだろうか、と由紀子が考えていると、玄関先に久保家と書いた看板があったので、由紀子は、先ほどカーラジオで流れてきた、久保誠一という医者の葬儀が行われているんだということを知った。参列している人も何人か出てきたが、みんな立派な着物を着て、明らかに上級階級とわかる服装の人ばかりだった。由紀子はそれを見てさらに気分が悪くなった。由紀子は、何も考えるなと自分に言い聞かせながら、車を走らせて、葬儀会館の前を去った。

数日後。由紀子は駅員勤務を終えた後、たまたま喉が渇いたので、コンビニに寄った。急いでジュースを買って、お金を支払おうとしているとき、何人かの若い男女が、コンビニに入ってきた。彼らは、コーヒーを店員に注文した。店員がコーヒーを準備している間に、ちょうど目の前にあった、静岡新聞をとって、こんなことを言っている。

「はあ、まだこの事件は、犯人が捕まらないのかあ。あの、久保誠一の事だから、きっと、恨みを持っているやつは、いっぱいいると思うけど。なんて言ったって、経歴は素晴らしい医者だったかもしれないけど、それが、恩を仇で返すような、診察していたからな。」

「そうねえ。特に、お年寄りにはよかったかもしれないけど、あたしたちのような若い人を馬鹿にする傾向はあったわよね。看護師もああいう態度とられて、困ってたんじゃない?」

男性と女性はそういうことを言っている。

「確かに俺も、原口病院にどうしようもないほど腹が痛くなって、行ったことはあるんだけど、あの医者に、どこにも異常はないって言われて、あきれた顔されちゃったよ。なんであそこはそういう事平気でするんだろう。」

そうなのか。その原口病院は、そういう病院だったのか。由紀子は、彼女たちの話を聞きながら、一寸ため息をついた。

「お年寄りには優しい病院だったかもしれないが、俺たちみたいな若い奴を差別するようなところはやっぱり駄目だよ。」

そのうちにコーヒーは出来上がったので、男女はそれを受け取って、コンビニを出ていった。由紀子は、一寸興味がわいてその新聞を買ってみることにした。新聞など、よむ事はほとんどなかったのに、由紀子は新聞を買ってしまった。

自宅にかえると、由紀子はその新聞を広げて読んでみた。それによると、あの原口病院の久保誠一医師は、何とも東大を卒業し、アメリカへ留学もしていて、その論文が、アメリカの医療雑誌に乗ったりしたこともあるという、すごい人物だった。そういうわけだったら、田舎の人間が注目するのは疑いない。特にそういうことは、お年寄りであれば、より気にするはずである。しかし、久保誠一が、若い人を差別するという記事は一つもなかった。可能であば、由紀子も水穂さんを彼に診せたいと思うほど、すごい医者だと新聞記事には書かれているのだ。この記事を信じ切っている人は、そう思う子事だろう。でも、そういうところは、もしかしたら、久保誠一の遺族が、新聞社に手をまわしたのかもしれないと由紀子は思った。

次の休みの日、由紀子はまた製鉄所にいった。いま由紀子にできることは、仕事が休みの日に、製鉄所に行って、杉ちゃんがやっている水穂さんの世話を手伝うということであった。由紀子は、また杉ちゃんが作ってくれたおかゆを水穂さんに食べさせようと躍起になって、水穂さんにおさじを口もとまでもっていくのであるが、二口たべたら、もう先がないのである。

「こんな水穂さんを、久保誠一という医者が見たら、なんていうかしら。」

と、由紀子は、一寸ため息をついた。

「まあ、ああいうのはエリートだから、何も言わないだろうな。何も言わないで済んでくれればいいけど、馬鹿にしたり、顔に泥を塗るなとか、そういうことを言うんじゃないの?」

杉ちゃんはそう答える。由紀子はその通りだと思った。きっと水穂さんの事を、久保誠一という医師は、そういう風に見ると思われる。

「でも、誰が、ああしたんだろうね。自然現象でもないし、きっと誰か怨恨とか、そういう事だと思うんだけどさ。一部の患者からは、天罰が下ったというやつもいるんだってな。」

と、杉ちゃんが言う。

「ネットのニュースで見たんだけど、久保誠一が殺されたことで、そういう風に解釈する奴もいるらしいぜ。」

由紀子は、スマートフォンを出して、久保誠一殺害と検索欄に入れてみた。すると出るわ出るわ。ニュース記事もずらりと出るし、動画サイトには動画が投稿もされている。よく見ると、一流の作家とか、新聞記者ではなく、素人ではないかと思われる投稿が異常に多いということに気が付いた。内容はどれも、久保誠一という医師が、傲慢で、若い人に対し、異常はないと言って、片付けてしまうという内容ばかりだ。それに動画サイトを見てみると、確かに杉ちゃんが言った通り、天罰が下ったという霊媒師的な解釈を字幕としてあげている動画も多く見かけられた。動画の投稿者は、皆、二十歳前後の若い人たちで、由紀子が思うのに、うつ病とか、双極性障害とか、統合失調症などに該当する人たちではないかと思われる節があった。多分、久保誠一に診察を拒否されて、別の診療科に行かされて、そこでそういう病名をもらった人たちだろう。その人たちが、久保誠一の悪行ぶりを自分が語る動画として、投稿しているのである。

「すごいわね。こんなにたくさんの若い人たちを、見捨ててきたんだわ。」

中には、久保誠一に見捨てられたことで、新しい診療科を発見し、そこでちゃんとうつ病と診察してもらったので、さほど悪いことではなかったという人も少なくなかった。でもそれは、なんだか無理して言っているような顔をしている人ばかりなのだ。みんな、久保誠一に、異常はない、他へ行ってくれ、と冷たい顔をして言われた、そのくだりばかり投稿しているのである。

「まあ、いずれにしろ、あの久保何とかという医者は、変な医者だったことは疑いないね。日本社会は、生きている人にはつらい思いばかりさせて、終わった人ばかりに優しすぎるという傾向もあるけどね。でも、いずれにしても、これだけあの医者にひどいことを言われたという投稿が蔓延っている以上、絶対いい天界にはいけないと思う。」

杉ちゃんはちょっと宗教的なことを言った。

「そうね。かえっていないほうがよかったわ。そのほうが、皆がより良い医療を受けられるもの。」

由紀子は、そう発言して、自分の行ったことにはっと気が付く。そうそういうことなんだ。本当に必要ない人というのは、こういうやり方をして表現されるのである。そうなると、浜島さんや、杉ちゃんなどから、とにかく食べてくれとひっきりなしに言われている水穂さんは、けっして不要な存在ではないのだった。

そんなことを考えながら、由紀子は水穂さんの口もとに、おかゆの入ったおさじを静かに持っていく。

「もう結構です。食べる気がしません。」

という水穂さんに由紀子はこういうのだった。

「もう必要ないと言いたいんでしょう。そんなのあんまりよ。」

一寸強い口調でそういうことを由紀子は言ってしまう。水穂さんは、そんなことを言われて、困ってしまっているようであったが、

「でも、由紀子さんはそうおっしゃってくれたとしても、僕はこういう身分ですから。」

とだけしか言わなかった。

「いいえ、必要ないというのはあの、殺された医者の方よ。その証拠に、こんなに投稿サイトで、その悪行ぶりをたたかれているじゃないの。水穂さんもそのことに気づいて。」

「そうそう。由紀子さんいいこと言う。」

と、杉ちゃんが、大きなため息をついた。

「人間一人、動かすのだって、難しいんだぞ。原口病院の医者みたいに、だますことは簡単だが、真実に触れさせるということは、本当に大変で、魅力的な人でなければ動かせないはずなんだ。だから、それができるんだから、もうちょっと、考え直して生きようと思ってくれないかな。」

杉ちゃんにそういわれて、水穂さんはそうですねといった。でもそれ以上の言葉を口にすることはなかった。

「人間悪い奴は、どこの国へ行っても悪人さ。その証拠に、久保っていう医者は、悪口ばかり書かれているじゃないか。」

杉ちゃんは、大きなため息をついた。由紀子は、水穂さんの口元に、おかゆの入ったおさじを、

「さあ水穂さん。」

と今度はにっこりしながら近づけた。



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変な病院 増田朋美 @masubuchi4996

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