我々の結論

天池

我々の結論

 有名な銅像が一筋の光に照らされて彼方を見詰める高台の下には、くすんだ煉瓦と青緑色の柵の装飾が堅固な、創業数十年のカフェがあった。栢羽(かえば)の案内は道沿いに右へもう少し続き、隣のラーメン屋、その隣のカレー屋、うどん屋、蕎麦屋とテンポよく流れ、その先はお土産屋の並ぶ一角だった。カフェの名物はイカスミパスタで、黒い渦の上に後から散らした青ネギの緑が独特の光景を示していた。しかしその店も先月の初めに潰れてしまった。だからここにはイカの亡霊が漂っている。小学校の低学年の頃、テレビで見かけた大きなイカの捕食シーンに咄嗟に嘘を吐くときのような体内の不調和を覚えて、言葉を忘れたことがある。食卓には刺身とご飯とけんちん汁があったのだけど、そのどれもが急速に色や風味を失った感じがして、箸の軽さが妙に気になった。足を使って後ろに体重をかけて、椅子をほんの少し動かしてみた。重さと軽さのバランスが一瞬崩されて、またすぐに、何か昔ながらの玩具の機構のように元通りになり、波が引いて、イカが向こうへ去って行く。空と暗闇の向こうにその生命体は消え、暖色のダイニングとテーブルの透明のマットが現れる。波と波の間の出来事。玩具。砂浜に貝殻が残されるように言葉と味が戻って来て、皮膚の内側でもう一人の目に見えない自分が一度身震いしたような気がした。銅像が光を浴びていると言うより、むしろそれを照射していると考えた方が希望がある。イカの住む洞を横切り、二年前に出来たラーメン屋の整えられたキッチン内部を眺める。銀色を宿すそれぞれの金属の表面が、イカの捕食を目撃した頃にアルミホイルを使って作っていたロボットのことを思い出させた。工作の対象は人型のロボットから特殊な機能を託された有人タイプの機械へと変わっていき、その大抵は海に入るものだった。

 前に踏み出すとき、足裏がそれに先んじる一歩のそれと水平になっているかどうか、研ぎ澄ませた感覚で確認しながら慎重に歩を進めていく。歩道の煉瓦はざらついた表面を示した。夏場にここを訪れたときには、大きなミミズの遺骸が中央のところに横たわっていた。(今も何があるか分からない)。電柱の灰色が齧られたように歪む。とそのとき、その向こうを二筋の光がすり抜けていき、丁度電柱の辺りがもわもわと濁り立った。何故だか分からないが、その濁りの奥に食卓の透明マットが出現し、その上をもう一人の自分が栢羽と同じ速度で歩き出した。――いや、もう一人どころではない。高さの異なる幾枚ものマットが車道上に乱立し、足並みを揃えて彼等は歩き、――駆け出した。一番向こうの自分が不注意からけんちん汁を蹴飛ばし、その内容物は横のマット――と言うよりももはやアクリル板――へ、更にその下、――と流れ落ちていき、遂にはアスファルトの上へびしゃり――と思ったところでその黒に身を隠していたウツボが一口に飲み込んだ。

 お土産屋を数軒過ぎ、三差路を左折、坂を上る。半月が見え、隠れ、また顔を出した。大きな市民公園へ差し掛かるとなんだか空気の流れが良くなったように感じ、一度マスクを外した。坂を上り切ればすぐ宿泊先のホテルが見えて来る。

 場所への愛着を人よりずっと持ちやすい、ということに対して自覚的になったのは案外最近のことだ。もう一度足を運びたいな、と少しでも思ったら、もうそこは栢羽にとって殆ど無尽蔵の愛を傾け得る対象である。そこにあるものは変わらなくて、自分はまた別のものに色を付けられた自分としてそこへ入って行き、自分と場所との関係だけがまた、新しいものとして始まる。一方で自分は、安心して胸を拡げて呼吸する内に、過去の関係を段々ともう一度、静かにその身へ取り入れていく。表皮の内側に秘めていたもの、安易な色付けを頑なに拒んで来たもの、小さくて重たいきらめき、それが今一度、光に照らされて、かつ光を放出し、僕を色付け出す。だから好きな場所はとことん好きで、そこにあるものをよく知ろうと思う。栢羽の「案内癖」はその性質から来ていた。そのことにふと気が付いたとき、殆ど同時に、それは海への愛着と同じことだと思った。


 ビジネスホテルのネット予約の際、備考欄に「可能な限り上層の部屋を希望」と書いておいたのが功を奏し、十八階からの眺めは上質な満足と安らぎを与えてくれた。必ず朝食付きにするのが栢羽のポリシーで、明朝お腹いっぱいに食べた後でここを発つとき、この場所にも強い愛着を抱いているのだろうなと予想された。市民公園のところは最近の地殻変動によって一瞬にして陥没した一円のようで、引きずり込まれると危ない。また近くの神社では、今丁度茅の輪くぐりが出来るようだ。探検の途中遭難した船の甲板で、内心の恐怖を決して見せじと覆い隠しつつ、難しい顔で船員の示す地図を睨む船長のような心持で、薄めのコーヒーを片手に窓の向こうの256町を凝視する。頭の中でふいに再生ボタンが押されたかのように進行する、巨大イカに頭から喰われるという親しい想像を眉毛の奥に覆い隠す。透明な窓によって隔てられることの危うさ。生態系の外部存在としての半月がじっと街を照らしている。

 ――ここから下まで大体六十メートル。表面はこんなにも明るい。所詮は浅瀬に過ぎない。カーテンを閉めた栢羽はベッドに身体を投げ込み、ささやかな浮遊に一抹の寂しさを覚え、先程封じ込めた巨大イカをもう一度呼んでみた。けれど来ない。起き上がって、スリッパの上に靴下の両足を置いて腰掛け、テーブルのコーヒーをまた手にした。味が薄いと、ゆっくり沈んでいく感じがする。結局は深層へ行きたいのだけれど、別に今は急ぐこともないし、と栢羽はよく考える。

「結論として、おっしゃりたいことの意味が分からないのですが」

 昼下がりからレンタルオフィスを利用して出席したオンライン学会での発表で、質疑応答に充てた時間の終盤になって受けたそのようなコメントにたじろいだ自分の姿が記憶の球となって、上部から一面に射し込む光を反射しながら、消える当てもなく彷徨っている。あのとき画面から遠のいていくような栢羽の脳裏に一瞬にして召喚されたのは、レンタルビデオ店でアルバイトをしていた専門学校時代、返却を延滞させていた客に対して追加料金や新規貸し出しが受け付けられないことの説明をしていると、それを遮るように「結論、何が言いたいの!?」と激昂された一場面だ。言葉上のあまりの類似に、むしろ驚きの方が上回る。白飛びした画面が洋上の空のように思えたところで、若干遅れてやって来た焦りが顔中に充満し、しどろもどろ答えはしたものの、結局それまで何度か自分なりに説明して来たことの繰り返しに過ぎないのだから、要求を満たすものでないのは明白であった。質問者は不正確な翻訳に苛立つようにうっすらと顔をしかめ、やり取りと持ち時間がそこで終わった。

 結論を求められるのは、自らの身体で考えたり動いたりすることの出来る主体として社会生活を送る上ではしばしばあることだが、その全ての場合において結論が存在しているとは限らない。結論を導くのが自分でしかない以上、それがあろうがなかろうが、要求に対して対処することが出来るのは自分しかいない。我々は本質的に商人だ。愛の、言葉の、存在の、結論の。掘り尽くした鉱山の前で囲まれ、或いは、豊穣の畑を壁で囲い、耕作者や採掘者であった僕達は、時折じっと一本の木を見詰め、何を売ればいいのかな、売れるものなどあるのかな、などと、考える。地上に生活することのこの浮遊感はどうしたことだろう……。また、自分自身が結論を求めていないのなら、その到来は無限に遅延して、彼方に鈍い光を示すばかりだ。よく見えるようで絶対に到達出来ない、蜃気楼のようなそれもあるかもしれない。――海中から何かを引き揚げようとするかのような不吉な記憶の球をなだめようと栢羽はここまで考えて、この方法では効果が薄いことを悟った。憂鬱を晴らそうと大回りをしてホテルまで来たは良いが、湧き出しては気付かぬ内に消えていく無秩序な記憶達と感覚の流動に覆い隠され気配を無にしていたその言葉は、むしろそれ等によって表面を磨かれ、本質的な姿を顕在化させたような状態で視界の内部をちらついた。でもきっと、今考えることに意味はなかった。そう思うことにした。早くコンビニに行って夜ご飯を調達して、食べたら眠りの為の努力に時間を割こう。ホテルの部屋では、いつも急激に意識を失ってぐっすりと眠るか殆ど全く眠れないかのどちらかだった。

 大きな木の気配や質感に親しみを覚えるのは、やはり名前のせいだろう。実家のある栃木県東部の那珂川町というところには鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)という神社があって、そこに生えている立派なカヤの木が栢羽の名の由来である。人のあまりいない広い市民公園は樹木の香りに満ちており、左右の枝々が密やかに絶え間なく通信しているような気がして来る程の静寂。絵未里が神社に遊びに来てくれたあの日の木立を、――またあの日の白く曇った空や、その上からゆっくりと落下して対流する暑気に打ち付ける手水の冷たさを――どうしても思い出さない訳にいかなかった。

 絵未里がフランスへ旅立ったのと、栢羽がテレビに出始めたのは殆ど同じ時期だったが、少しだけ前者の方が早かった。絵未里は泳いでいった。僕は混濁流や海水の循環に流されただけだ。栢羽が出逢ったのはバレリーナだった。それは確かだ。彼女は熱心にレッスンを積み、日常の立ち居振る舞いにまでその緊張感が認められるような美しいバレリーナだった。調整され尽くした舞台の遊動する彩り、イソギンチャクの世界における光のようであった彼女は、一方、空いた時間に相当な熱情を注ぎ込んで取り組んでいたのであろう絵画による評価で、距離的には遠くない美大に進学すると間もなく立体造形にのめり込み、やがて自らの身体機能を活かした映像作品で国際的な注目を集めるようになった。彼女に無駄な動きはなく、無駄な判断もないようだった。それはそう見せることの出来る力量や努力があったからだが、人から見えているところでも隠れているところでも、とにかく絵未里は、いつも泳いでいた。栢羽はその案内役をするのが本当に楽しかった。積み上げて来たものを無際限に自由自在に放出し、沈黙していた世界に光を与えるその仕草に、自分の見たもの、知っているものを全て開示しようと決心していた。

 八月の朝、空はまだくらくらする程の青色だった。数匹で近付いたり離れ合ったりしているスズメを眺めながら待ったバスは、栢羽も乗り慣れないもので、まだ何も現われてはいない道路の先が頼りなく、容赦ない地上の光にそわそわしていた。

「あ、来たよ」

 薄手のカーディガンを纏った絵未里の左腕が彫刻のように現れ、反対側からはバスが姿を見せたらぐんぐん近付いて来て、二人の立つバス停の手前で道路上の一本の枝をへし折った。ぽきん、と聞こえた直後にはぷしゅ、という音と共に正確に停車して、ドアが開いた。車内には前の方におばあさんが一人座っていて、正面から金色に照らされていた。二人は一番後ろの席に座ることにした。車両の到来によって閉ざされた景色がまた開かれると、一つの生体の視界として滑らかに流転した。幾つかの停留所をそのまま通過したバスはほどなくして橋に差し掛かり、眼下には山の木々を反射した大きな流れが独占的に一望出来た。絵未里は前の座席の頭の部分に手を掛けて、身を乗り出して眺めていた。向こうの橋の上にかかるように一つ、雲が現れて栢羽は安心した。なにせ、降りるべきバス停に着いたら片道一時間の山道が待っているのである。

「境橋、っていうんだけど、県境はもう少し先。降りたら山頂までずっと茨城」

「私、川越えたことないな」

「川も茨城の方、流れてくし、山頂からの眺めも半分は茨城で楽しいよ」

 優しさに満ち溢れた場所と分かる絵未里の横顔を半分見て、半分は窓枠の外を見詰めながら、栢羽は前にそこを訪れたときの風景をぼんやりと思い出していた。それがいつのときのものなのか、誰と行ったときのものなのか、栢羽には分からなかったけれど、きっとどれでもないのだろうという確信もあった。水面の木々が、川の流れと溶け合っているのに決して流されず、その縁にどっしりとくっついているのと同じことだ。川の上でのスケートが寒冷地の冬にしか出来ないみたいに、この川の遡行も夏にしか出来ないのだ、という風に一隻の船が向こうの橋を潜ってやって来た。今は船の持ち主しか乗っていないようだが、観光客のアクティビティ用に運航しているものだろうと思われた。するとまるでその船が牽引して来たかのように、あらゆるところから不透明の雲が姿を現し、あっという間に全ては白色に覆われた――。

 どっしり構えた無数の樹木達が、夜に色付けられた空気と完全に溶け合って、身を交換しながら、ひたすらに沈黙を作り続けている。それ等を分け入って芝生の方へ進んで行けば何が隠れているやら分かったものではないが、栢羽が歩いているこの道の上には、ただ一つ、神々しい船型の月が輝いていた。

 ――結論。――絵未里。――結論。――絵未里。――結論――。

 きっと誰もいないであろう芝生の広がるエリアを覗く右手側には大きな常緑の広葉樹が乱立しており、左手は紡錘形の葉を茂らせた同種の木が一列だけあって、その後ろはより背の高い針葉樹の庭のようになっている。公園自体は桜の名所でもあるが、中央の大きな道の左右に冬も豊かにフォルムを保つ常緑樹を配置しているのは歩行者への配慮なのだろう。左手の奥で街灯に照らされた細い枝の集合が淡い明かりを受け止め、こちらが一段低くなっているかのような錯覚を起こさせる。

 絵未里が東京で個展をやったとき、会場はこの近くのギャラリーだった。

 ――何度か足を運んで、最終日の撤収後には九時前にイカスミパスタを食べた。

           イカスミパスタが食べたいな。

    まあ、近くで買ったパスタなら、少しは似た味がするかもね。

                  ――でもこんなところまで来てしまって、

              持って帰る内に冷めちゃうな。

        ――結論。

           シーフードのカップラーメン……

   白、

                     結論。

      絵未里――

          ――結論。

 シーフードラーメンも美味しいよ。今夜はこれ、食べようよ。研究中もたまに食べるんだ、まあ、僕の研究対象はもっと深いところの生物が殆どなんだけんどね、でもなんか、明るくて白いもう一つの海みたいでしょ、カップの中って、あとさ、あっちに神社あってね、さっき看板見たんだけど、なんか今、茅の輪くぐり出来るらしいよ、あのほら、ぐるぐる回るやつ。この辺の木は大きくてちょっとすっぱいね

 ――いかなる言葉が商品になり得るのかは分からない。質問者の先生に売った言葉は駄目だった。明日のテレビ出演ではどうだろう、何も分からない。考える気も起きない。でも絵未里、絵未里――君が好きそうな果実が今、収穫出来たんだ。

 フランス時間で昼下がり。昼の内なら外出可能なようで、前に向こうの夕方頃電話したときは貸し切りスタジオで練習した帰りだと言っていた。だから昼に電話を掛けるのは気が引けたし、そもそもこちらから掛けるのは互いの時間が少しだけ似た様子を帯びる夕方から夜の時間に限っていた。でもLINEで伝えられることの範囲は広くないし、一体LINEで僕が何を伝えたいのかも分からない。いやそれは、電話でもそう……。歩幅を埋める冷たい空気がか細く震えると、針葉樹の庭から大きな波がやって来て、果実を奪って芝生の向こうへ行ってしまった。幽かにカジキのような生物が飛び出してそれに食いついたのを見た気がした。

 ――我々は本質的に商人だ。愛の、言葉の、存在の、結論の。


                 ***


 同じ肩書きと同じ説明がいつもの調子で放たれると、空間の注意は俄然自分の方に向く。例えば水族館のトレーナーがイルカやシャチを誘導するようでもありながら、その実自分は明らかな捕食対象であるようなこの感覚は慣れることがない。

 ――今日は海洋プラスチック問題の現状とその改善への取り組みについて、お話を伺おうと思います。廃棄された後で次第に打ち砕かれていったごく小さなプラスチック破片、マイクロプラスチックと呼ばれるものは自然分解されることがなく、海中で蓄積して生態系等に大きな影響を及ぼしているのですよね

 そうなんです。マイクロプラスチックだけでなく、私達が使った後でごみになったそのままの形のプラスチックも沢山海洋に流出しています。まずはこちらの映像をご覧下さい……これは深度千メートルの海底をハイビジョンカメラで撮影した映像です。ネズミの群れのようになっているこの白っぽい影、これは全てビニール袋なのです。このままプラスチックごみの廃棄状況が改善されなければ、二〇五〇年には海中のプラスチックの総量が魚の総量を上回ると推定されています

 栢羽とアナウンサーとの間には一つモニターが設置してあり、それぞれ一メートル程の間隔を空けている。この一年はビデオ出演やリモート出演の機会が多かったが、今日のテーマは栢羽の従事している研究に密接に関わっているものであるし、映像を使ってしっかりした説明が行いたかったので直接テレビ局に出向くことにした。最近始まったこの朝の情報番組は、まとまった時間を使って世界的なトピックを扱うことを特色としているもので、とりわけ環境問題を伝えることに注力している。構想自体は何年か前からあったのかもしれないが、感染病の流行の最中というその開始時期の為、世界中の現状が即時に確認出来る良質な番組ということで高い視聴率をキープしていた。栢羽は出勤前の人々やこれからそれぞれの一日を始めようという人々に海の危機のことが伝えられるのを嬉しく思った。

 話を終えてスタジオを出ると、幾つもの蛍光灯で照らされた長い廊下に人の姿はなかった。主張を全て出し切った後で判決を待つ公判の被告のような存在を少しだけ想像し、ああ、まだ朝なのか、と思う。突き当たりの小ぶりの窓からは柔らかで刺々しい光が流入している。花が開いたり閉じたりするのを操るような光。誰よりも美しい人魚がすいすいと向かって行ってしまうような――。

 学会で容赦ない質問を浴びせて来たあの先生も番組を観たりするのだろうかと思うと胃が痛んだ。フレンチトーストで内側の壁にワセリンを塗っておいて良かった。あの光まで大体二十メートル……十五……そのとき、床中のあらゆるところから顔を出して呆気にとられるくらいのスピードで真っ直ぐ上に伸び出した多種多様な植物達が、一つの箱舟を押し上げて……遥か上まで。地上六階の深海の空。鳥達の羽音の中、交互に足を踏み出し、灰色のカーペットは溶けつつも輝く弾性を維持して、空はじりじりと水面を熱し……十メートル。今や僕自身が巨大イカになって、木立の海を溺れるように泳いでいく……足を曲げては伸ばす、曲げては伸ばして、ただその繰り返しの中で、抗えない光量が……強まっていく、海、空、空中……。

 社屋を正面の巨大な入口から出ると、中央分離帯のない大通りのこちらと向こうでは沢山の人々が行き交っており、ノアの物語の新しい世界を思い出しもした。紺色のスーツに身を包んだ男性とすれ違うようにして左折し建物を離れる。ガードレールにとまったカラスがじっと歩道の方を見詰めていたが、なんとなく気にしながら近付くとぱっと羽を広げて飛んで行った。道の向こうには高架の線路が見えている。駅のところで上から横断すればすぐお土産屋のある一帯であった。駅に着いたら、そのまま電車に乗って帰れば良いだけの話、確かにそう思ってはいたのだけれど、空っぽのリヤカーに何か積んで帰りたいというような気持ちが雲のように湧き上がって来て、歩きながら迷い、迷うことを放棄して歩き、駅前に着いた。栢羽は広い歩道橋の階段を上り始めていた。エネルギー消耗による空腹が意識され、ああ、向こうで何か食べよう、と思った。

 次々にすれ違う電車達と、805町の遠景。左の方から太陽が地表の全てを照らしている。細やかな筋となったその光線は朝の木立に降り注ぎ、あの大きな道や芝生ではきっと魚達がぱくぱくとそれを口にしている。右側には慣れ親しんだ木々があって、左側には過ぎた世界があった。結局はあの木の中に戻りたい、そうしたら何かまた見つけるかもしれない、と思うのだけれど同時に、別に今は急ぐこともないと考えてもいる。ただ太陽の影が巨大な船を作り出すような凪の時間が今訪れていた。

 いつまでそうしていたことだろう。景色には特段変化もなかったが、線路の反射光が強まって来ているような気もしていた。両肘を乗せていた柵の少し離れたところに手を置いてみると、骨のような冷たさにほんの少し生命的な熱が感じられてなんとも雄弁であった。絵未里がよく篭っていた美大の作業室には窓際に一本の銀色のバーがあり、雑巾を掛けたりするのに使われていたのだが、バレエの練習場に設置されたバーによく似たそれが彼女は大好きだったらしい。朝早く行ったときのバーが見せる光の反射と昼頃のそれ、夕方のそれは全然違ったもので、その変化がインスピレーションにもなるのだと教えてくれたことを栢羽は思い出した。

 柵に沿ってタイル張りの平坦な歩道橋を進んで行く。あの銅像が立っているのと同じくらいの高さだ。もしあれが、一つの船首の装飾で、公園そのもの……或いはもっと深いところに更に埋もれている巨大な構造物全体の突出した先端なのだとしたら――そうなのだとしたら、ここを通って様々な場所に向かって行くあの長い車両達など移動手段として霞んでしまう。それが浮かび上がると同時に、歩道橋は溶け出すだろう。人々はカエルウオか何かに帰って、電車はウミヘビに――。段々と早足になっていることを自覚する。木立に向かうのは今だ、そうして広い階段に近付き、歩道橋を去ろうとするそのとき――大きなエイが広くグラデーションのかかった雲を運んで来て、足元から僕はその海に攫われたのだ。

 一つの海に攫われて、かつまた一つの海に入って行く――。

 階段を下りる歩みの一つ一つを動作する毎に力が抜けていく感覚がある。太陽の気配をまだ背後に残し、栢羽は居慣れた海底都市に向かって行く。人間の足を操作して、自分の全てを引き連れながら、深度は少しずつ上昇していく。すると視界は、分厚いガラス一枚を隔てた世界として段々鮮明になって来て、道を行く人々が本当にカエルウオのように見えて来る。殆どそのまま続いている通りを直進すればホテルの方に行けて、市民公園に入るならこの道が一番早い。視線を黒いアスファルトから上に向ける。するとすっかり葉を落とした並木が滑らかな坂を作っている。光に照らされて辛うじて視認出来る透明なマグロの群れが車道を猛スピードで横切って行く。栢羽は気にせずに踏み込む。マグロによって、というよりも、それが作り出した水流によってちょっとバランスを崩しそうになる。

 船と海との境目はどの辺りにあるんだろう、と考えながらカレー屋に入店する。中は混んでいたけれど、カウンター席に幾つか空きがあった。パーテーションで区切られたその空間は、着席してみると一つの潜水艇のようでもあった。階段を降り始めたときから、絶え間なくどんどん沈み続けている。メニューをざっと見てもほぼ迷うことはなく、マスク越しに店員を呼んでシーフードカレーを注文した。

 視界から店員の姿が消えると、待ち構えていたかのように表面の赤みがかった巨大イカが向こうからやって来た。栢羽はじっと前の壁を見詰め、水の入ったコップを握りしめる。こめかみにうっすら力が入る。しかし、「ジョーズ」のワンシーンのように凶悪で自分勝手な迫力を漂わせてやって来るは良いが、結局それが本当に栢羽を飲み込んでしまうことはない。夢の中では何度かそういうこともあったけれど、むしろ夢の中では実体的なイメージが後退しており、恐怖そのものに食べられているという感じであるので同じ個体かどうか不明瞭だ。

 注文をしたから、カレーが運ばれて来る。ごく単純な取引だ。要望通りのシーフードカレーに栢羽の気分は高揚した。真上のライトから落ちて来る暖色の光を反射したスプーン、白米の島、散りばめられたブロック状の食材――。そういえば、この壁の先にはカフェの亡霊になったイカ達がいるんだったな。お前もあっちに行ったらどうなんだ、と頭の隅になおも残り続ける大きなイカに投げかける。イカはまだ小ぶりの潜水艇のすぐ近くを周回して何かの機会を伺っている。

 もしあの大きな船が、店の面する道路のところで外界から切り離され、埋没していた部分も露になって既に浮上し始めていたら、このイカは同乗者ということになるのか。海ごと浮かび上がって、どこかへ向かい始めているこの船……栢羽は腕時計に目をやる。フランス時間で午前三時。君は……。


 新しいマスクを着けて店を出ると、光線は真上から無音の激しさで落ち続けていた。時間と時間とを結ぶ海の遥か上から降るマリンスノー。全く新しい関係性を一つずつ構築しながら慎重に一歩一歩を踏み出していく。駅の地上の入口はもう見えている。何物にも怯んではいけない。今日の光に照らされて、僕は。

 横断歩道を渡って、人波と一緒に構内に入り込む。瞬間、ざぱん、という音がして、駅は急速に暗闇の底へ沈んでいった。栢羽は気にせず歩き続ける。三方向に向いた白い盤面に午前の終わりを予告しながら立っている銀色の時計の、細い直線のポールが少し心細い。改札を通ったらすぐの階段を上り、甲板に顔を出す。たった今電車が行った隣のホームの方から冷たい風が吹く。太陽が先程の時計と似ている。(それは形状的な意味でも概念的な意味でもそうだ)。もうすぐあの太陽が、八時間ずれた世界の午前を照らすのだ。僕をカヴァリエと呼んだ君。冷たい手と生命的な熱。栢羽は結論など絶対に売らない、と顔の奥で叫ぶように強く念じながら、電車が来るのを待った。風を切る音がして、時間通りにそれはやって来た。

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