第23話 敗走
「泣かないんだ、偉いね」
仕事までの時間を持て余し、仕方なく病院の中庭でコーヒーを飲んでいると、赤崎さんが話しかけてきた。
彼女はここで勤務している看護師で、年上ではあるが、それほど年は離れていない。
背が高く、長い黒髪は丁寧にポニーテールにしてまとめられている。スポーティーというより、幾多の状況を乗り越えてきたのだろうといった大人びた雰囲気が特徴的な女性だ。
若干ながら、かつての桜木先輩に似ている気もしなくはないが、決定的な違いを強いてあげれば、赤坂さんは紛れもなく大人という事だ。
僕にはお姉さんとして接する訳でも、対等に接するといった事務的なものでもなかった。
それは、患者と看護師という近くて遠い、信頼をまとった冷血さが作用しているのだった。
僕は傷病人ではない。だが、彼女にとっては似たようなものなのだろう。
そして、今の僕は長年付き添ってきた病理が突然に摘出された状態なのだった。
「これで君と休憩できなくなると思うと何だか寂しいね」
「僕はなにも死ぬわけじゃないですよ」
「不謹慎だね」
遠くの方を見つめながら笑う赤坂さんとの会話は僕にとって、かのとの会話の代替物のようなものだ。
面と向かって話しても答えは返ってこない。そして、赤坂さんは癖なのか、わざとなのか、本当の患者以外とは目を合わして話さない。
「で、どうすんの」
万人が今、僕に語り掛けるとすれば、これ以上の質問は存在しないだろう。
明日からの仕事という意味での将来。
かのとの折り合いという意味での将来。
別の女性との出逢いという意味での将来。
将来を考える時、いかにシワだらけの老人であっても、絶望を飲み込めるよう、希望的観測でそれを包む。だからいつだって子どものような顔で将来を見つめる。
もはや僕の周りには誰も何も存在しない。本当に身動きが取れないのはかのではなく僕の方だったということだ。
時代を先取りするのは勿論、あえて逆行するのも一つのライフスタイルにして一個の独立した哲学だ。だが、時代に取り残されるのは哀れという他はない。
「君は私と同じだね。患者がいなければ、自分の価値を見いだせない」
「………そうですね」
流石は幾千の励ましと臨終を告げてきただけはあって、何を言うにも的を得ている。
「とりあえず、死んじゃダメだから」
「死にそうに見えますか」
「さあね、私は看護師であって医者じゃないからそこまでは分からないよ。でも、佳乃さんのご両親に迷惑だから」
これだ、この単刀直入どころか切り裂かんばかりの物言いが、今の僕にはかえって気休めになるのだ。下手な同情を演じるのは僕だけでいい。
「また会ってくれますか」
「看護師が必要そうならね」
プライベートでは無理ということらしい。つまりはサヨナラって事だろう。
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